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2000/11/03 読売新聞朝刊
[論考2000]「努力する子ども」育てよう 編集委員・勝方信一
 
 「受験戦争がなくならない限り、子どもの問題は解決しない」。十年近く前まで、学校現場の取材に行くと、教師は必ずそう言ったものだ。
 確かに、当時、教育の最大の課題は受験の過熱だった。そのストレスが子どもたちを息苦しくしていた。
 それが、九〇年代初めから少子化が顕著になり、受験競争は緩和された。そこで理想的な教育に近づくはずだったが、しかし、子どもの状況は悪化した。
 いじめや校内暴力の問題行動もそうだが、気になってならないのは、普通の子に耐える力、あるいは自分を抑制する力が乏しくなっていることだ。
 例えば、高校中退。実に十一万人を超え、高校生全体の2・6%にものぼる。そうした中退者の中で、高卒資格をとろうとする若者を専門に教える民間のサポート校が増えているが、それでうけに入っている経営者でさえ、「今の子は簡単に学校をやめるんですね、校則がちょっと厳しくなったぐらいで」と驚く。
 様々な事情があり、一概に論じられないとしても、不登校やフリーターの記録的な増加の根底に、何か共通するものがあるように思える。著しい耐性の低下。「キレる」少年を生む要因の一つも、そこにあるのではないか。
 内向き志向も気になる。人生目標についての国際比較調査で、アメリカの中高校生がキャリアアップを目指しているのに対し、日本の中高校生は「その日その日を楽しく暮らす」など、個人生活に関する答えばかりだったという。
 立身出世志向が必ずしも望ましいわけではないが、事はそれ以前の問題だ。小中学校や高校、大学を問わず、若者の間で、何かに立ち向かい、困難を乗り越えようとする意欲が弱くなっている気がして仕方がない。
 生まれつき豊かな環境に育った若者たち。易(やす)きに流れているかに見える現状には、核家族化や都市化による家庭や地域の教育力の低下、刺激的な情報化社会などの影響もある。教育の前提条件そのものが変化してきている。
 だが、それだけだろうか。教育のあり方そのものにも問題があったことを示しているのが、学力低下の傾向だ。分数計算のできない大学生などが問題になっているが、小学校からの基礎教育に問題があるのではないか。個性化、多様化を強調し、「ゆとり」を重視した教育が、本来の狙いとは逆に、現実には、子どもに勉強しなくてよいという誤解を与え、学習時間の減少などをもたらしたのではないか。
 にもかかわらず、教師たちは今、「指導より支援」と言っている。子どもはほうっておけば自発的に勉強し、成長するもの、教師の仕事はそれをサポートすること、といった考え方が前提にあるようだ。
 しかし、「人間とは、教育されなくてはならない唯一の被造物である」というカントの言葉を持ち出すまでもなく、子どもは人格も知能も成長の途上にあり、適切な指導を要する存在である。
 子どもには、まず、学ぶ努力を教え、そして学ぶべきものを学ばせなければならない。その基礎の上に、個性も多様性も花が開く。サポートだけでは、教育の使命は果たせない。
 二〇〇二年度から小中学校では、総合的な学習の時間が始まる。子どもが課題を見つけて学ぶことを重視し、教科書もない授業。教師の力量が伴わないと、子どもたちの学力は崩壊する恐れすらある。
 自由化や個性化、「ゆとり」などの本来の意味を問い直し、これまでの教育改革を総点検しなければならない。社会全体が教育についての認識を改め、足元を固めなければならない。易きに流される社会的な背景があるからこそ、二十一世紀を担うたくましい子どもを育てなければならない。
 そうした視点から、私たちは教育について緊急提言を行った。家庭、学校、地域それぞれで提言を受け止め、教育のあり方をもう一度、考えてみて欲しい。

 
 
 
 
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