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2000/11/03 読売新聞朝刊
「知」と「心」ともに重視 「教育改革」読売新聞社提言
 
 子どもたちを取り巻く現状は危機的様相を深めている。国のこれまでの教育改革は、成果を上げるどころか、むしろ子どもたちの学習、生活、考え方にひずみをもたらす結果を生んでいる。「個性化」「自由化」の理念が「放縦」とはき違えられ、それが教育放棄につながって子どもをだめにした面もある。二十一世紀を担う子どもたちに社会生活のルールを教え、その上で高度な国際化社会を生き抜く資質を身につけさせなければならない。そのため、読売新聞社は、教育改革の原点からの見直し、基礎学力の向上と才能教育の重視、大学・大学院と先端研究分野のあり方、そして優秀な教員養成について緊急に提言する。(関連記事2・3・4面)
 
 ◇「教育改革」を改革せよ 
 ◆自由、個性を放縦と混同させるな 
 ◆自然・社会体験でルール、道徳を教えよ 
 ◆責任ある自由を柱に新教育基本法を
 
 ◇基礎学力の向上を図れ
 ◆「ゆとり」を反復学習に生かせ 
 ◆中学、高校で「学力試験」を実施せよ 
 ◆英語を小学三年から必修に 
 ◆良書に親しむ習慣をつけよう
 
 ◇多彩な才能を「平等」でつぶすな
 ◆運動、芸術、技能の才能も伸ばそう 
 ◆中高一貫など新形態の学校を増やせ 
 ◆成績は一人ひとり絶対評価で
 
 ◇大学を学ぶ場に戻せ
 ◆生物わからぬ医学生は困る 
 ◆基礎教養科目は必修とせよ 
 ◆国際競争力ある大学、大学院を
 
 ◇先端的研究を延ばす投資を 
 ◆優れた研究をフェアに評価せよ 
 ◆産学連携に無用な制約をなくせ
 
 ◇優れた教員を育てよ
 ◆「なんとなく教師に」を排せ 
 ◆教員の評価に親、地域の声も 
 ◆実践重視の教員養成大学院を作れ
 
◆新世紀の担い手 育てるために
 九月に出された首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」(座長・江崎玲於奈芝浦工大学長)の中間報告は、まず、「人間性豊かな日本人を育成する」ためとして、道徳を教えること、奉仕活動を全員が行うことなどを提言している。
 読売新聞社の提言とも共通点が多い。ただ、子どもの人間性などにかかわる提言は、戦後、国が手がけてきた数々の教育改革の功罪を検証した上で行うべきだ。
 高度成長期まで国が進めてきた平等で効率的な教育システムは、七〇年代末、「画一的」との批判を浴びる。コミュニティーの崩壊、人間関係の貧困化、受験競争の過熱が言われ、少年非行、校内暴力など「教育荒廃」が社会問題化してきた。そこで、政府の臨時教育審議会(八四―八七年)は「個性化、自由化、多様化」を打ち出し、以後、これに基づいて教育上の種々の動きが始まることになる。
 だが、個性、自由の観念と、それにまつわる施策は、時に教師や親、子ども自身にも「放縦」の誤解を与えた。「ひろい心、すこやかな体、ゆたかな創造力」「自由・自律と公共の精神」(臨教審最終答申)どころか、かえって自分勝手な子どもを増やし、非行や学校荒廃を深刻化させる要因になった。
 子どもは一個の人格として尊重されなければならないが、いまだ形成途上にある存在だ。未熟で判断力も乏しい。道徳、社会のルールを教えることで人間らしさが養われていく。その土台となるのは家庭のしつけであり、それを補完するのは学校、地域、社会の役目である。
 いま大人社会がすべきことは、入試や学習指導要領のひんぱんな見直しなど技術的なレベルの「教育改革」を超えて、「子どもとは何か、育てるために何が大切か」という教育の原点に戻って考えることだ。
 提言の第一に「『教育改革』を改革せよ」を掲げたのは、このような考え方からである。
 この視点に立てば、新世紀の教育を位置づける、全く新しい教育基本法も検討されるべきだろう。観念論で「改正」の是非を論議するのではなく、あくまで子どもをどう育てるかという視点で白紙から考え直す必要がある。その際、「自由」には常に「責任」が伴うこと、家庭・地域教育の大切さ、現行法の制定当時にはなかった生涯学習の理念なども盛り込む必要がある。
 弱体化した基礎学力を向上させることの大切さと、伸びる子を伸ばす教育の徹底を訴えたい。今の「ゆとり教育」は、本来、詰め込み教育から脱し、すべての子どもに基礎・基本、生きるための知恵を身につけさせようというものである。しかし現実には、「勉強しなくてもいい」といった誤解も生じている。「ゆとり」が創出する時間は基礎基本の反復に充て、分かるまで教えることが大切だ。古典など良書に触れさせる時間も割いてほしい。
 そして、学習のほか、スポーツや芸術、技能などの面でも、子どもが発揮する才能をどんどん伸ばしてやる教育が必要だ。それこそが本当の「個性化」教育であり、子どもの進路選択に幅を持たせることにもなる。一人ひとりの差異を認めることを「差別化」と批判されることを恐れるあまり、個性化を唱えながら、逆に一律化を招いてきたのではないか。(2面に続く)
 
◆国際化社会にふさわしい 高等教育を
 大学生については、その学力面で様々な批判がなされている。「生物を知らない医学生がいる」「大学がレジャーランド化し、教養教育も崩壊している」
 学生集めのための安易な入試も一因だろう。大学は、教育目的に合った入試を行わなければならない。入ってしまえば、さほど苦労せずに卒業できるシステムも学生の学ぶ意欲をそいでいる。単位・学位の授与には高い水準を保ちたい。
 国際化社会にふさわしい人材を育てる高等教育も、久しく日本の大学には欠落している。高度な教育を受けたはずの官僚、法曹人、“企業エリート”たちですら、しばしば倫理観の欠如、見識のなさを露呈する。基礎教養科目を必修とし、幅広い知識・素養を持った学生を育成する一方、社会の中核となりうる人材を養成する専門大学院を充実させるべきである。
 先端科学を追究する研究者たちにも、公正な評価と投資を惜しむべきでない。日本はノーベル賞の受賞数で他の先進国に後れをとっている。世界で高い評価を受けるような科学者に、積極的投資、公正な評価を怠ってきたのではないか。
 大学と産業界の連携をさらに進めることで、研究を活性化させ、独創的な発見を導き出してほしい。
 教育者を育てる制度作りも肝要だ。地域、親の公平な声を学校教員の評価に生かし、優秀な教師と問題教師の処遇に明確な差をつけることをためらうべきでない。「戦前の『師範学校』を出た教師の方が良かった」という声が聞かれるのは、今の教員養成教育では教師が現場の諸問題を解決する即戦力となりえず、子どもや親の信頼が失われているからにほかならない。実践的な「教育力」を高め、現場で中核となりうる教員を養成する専門大学院を作るべきだ。
 真の意味での「教育改革」の向こうに、新しい世紀を担う子どもたち、若者の、たくましい笑顔を見たい。

 
 
 
 
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