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1998/01/28 読売新聞朝刊
[社説]自らを問い始めた教師たち
 
 教師の目が自分自身に向き始めてきた。大量の内容を長時間教えれば学力は向上する、そう思っていた多くの教師が、本当の学力とは何かと自問している。
 これが、鹿児島県で行われた日教組の教育研究全国集会で受けた印象だ。教育改革の流れが意識変革を迫っている。
 学校教育は今、戦後最大の転換期を迎えている。知識の一方的な伝達から「考える力」の重視へ教育の方向を変え、子供たちに「生きる力」をつけていく、この二つをどうつなげていくかが課題だ。
 そのために、毎週土曜日を休みにし、教育内容を厳選した新しい学習指導要領が、二〇〇三年度から実施される。文部省の教育課程審議会は昨年秋、国際理解や環境などの現代的な課題について、教科の枠を超えて学ぶ「総合的な学習の時間」を創設することも打ち出した。
 この総合学習では、教師の創意工夫に期待して、テーマの決め方などは学校の判断にゆだねられる。さらに時間割の編成も、大幅に教師の裁量にまかされる。
 教師にはこれまで、上意下達の学校管理システムを批判しながら、現実にはそのシステムに安住しているところがあった。しかし、教師も自由裁量と自己責任の時代に入る。集会で「抵抗型」の発言が影をひそめたのは、その認識が浸透したためだ。
 集会では、五日制で授業時間のやり繰りが難しくなったとの嘆きに、「毎週同じ時間割で授業をする発想を変えるべきだ」と批判が出た。二十五分単位の授業時間を自由に組み合わせるモジュール学習などの発表は、授業の今後の方向を予感させた。
 中学の選択教科で、二、三年生に多くのコースを設け、地域の人にも講師として参加してもらい、三時限続けての授業をしたところもあった。
 算数で各国の生活や文化を教材にした小学校もあった。例えば「韓国のお好み焼きが二枚ある。三人で仲良く食べるには」という問題で、つまずきやすい分数の概念を分からせる。実際にお好み焼きを作りもした。異文化理解にもつながるこうした授業が、総合学習につながっていく。
 一方、年間授業時数の標準を「下限」とし、それ以上の時数を強制している地方教委もあった。長時間授業を過大に評価している。現場の裁量を尊重すべきだろう。
 総合学習では、様々な意見の混在するテーマを取り上げることもある。だが、かつてのイデオロギー対立の愚を繰り返してはならない。教師は自分の価値観を押し付けるのではなく、子供が広く深く考えることを第一としてほしい。教師のバランス感覚と成熟度が問われる。
 集会では教育改革を「待つのでなく、教師が呼び込もう」との発言が度々あった。新指導要領実施に向けた助走は既に始まっている。さらに、その向こうには教科の再編・統合が見えている。
 日教組は教育課程の自主編成を長い間、運動方針としてきた。それが現実の課題となり、多くの教師が戸惑いつつも模索を始めている。意識変革に期待したい。

 
 
 
 
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