1996/01/11 読売新聞朝刊
[社説]子供に「生きる力・考える力」を
教育界は、いじめの克服という重い課題を抱えたまま、新しい年を迎えた。
ひるがえって見れば、昨年と同じパターンである。いじめ自殺事件を契機に、総点検が本格化したのは去年の今ごろだ。
今年は、自殺だけは何としてもくい止めたい。同時に、いじめ防止にも全力を挙げ少なくとも歯止めをかけたという手ごたえを感じ取れる年でありたい。
いじめ対策には、「取って置きの方法」はない。が、手をこまぬいている訳にはいかない。学校には、あらゆる地道な努力を求めると同時に、周りも「自らでき得ること」を模索し、協力する必要がある。
今年はまた、昨年のオウム事件から受けた衝撃の余波が、なお続きそうでもある。とりわけ、高度の知識はあっても、判断力や免疫力を持たない受験エリートが事件に大勢かかわった事実は、教育界全体が問題意識として持ち続ける必要があろう。
いじめの多発と自殺、そして、オウムに群がった若者。これらの現象は、さまざまなことを考えさせられる。
その第一は、若者や子供たちの「生きる力」や「考える力」が弱くなってきているのではないか、という点だろう。
子供たちはまた、ストレスや欲求不満の状況に置かれ、自らを肯定でき、かつ他者と支え合う「共同体」を失っている感もある。これが、第二の気になる点だ。
これらが重なって、物事のけじめとか、生命や愛に対する感覚を鈍らせているのではないか。あるいは、物事を批判的・総合的に見る力をしっかり身につけないまま成長しているのではないか。
背景には、遊びや直接体験、自然との触れ合いの不足がある。受験競争の低年齢化も進んでいる。それも、かつてのような上昇志向から、「脱落の恐怖」から逃れるものへと変わってきた感が強い。
子供たちの生活に、時間的・空間的・精神的なゆとりを取り戻す必要性を、改めて痛感する。このままでは、主体性を欠いた「指示待ち」が増えるばかりだろう。
「脱偏差値」路線は、すでに四年目に入り、少なくとも中学現場からは、業者テストも偏差値も消えた。学校五日制も、昨年から月二回に拡大された。
一九九六年度で小、中、高校のすべてに行きわたる学習指導要領は、知識の伝達から、思考力・判断力・行動力に重きを置く「新学力観」をうたっている。評価基準も一人ひとりの持ち味や優れた点を発見し、伸ばして行く方向に変わった。
これに、体験と課題発見学習の重視を合わせると、「知識と知恵と人間性」のバランスの回復を目指していると言える。
この方向は、ぜひとも根づかせなければならない。五日制の完全実施を視野に入れた「学校のスリム化」への模索は、その延長線上にあると言えるだろう。
昨年、日教組と文部省の「歴史的和解」が成立した。だが、真価を問われるのはこれからだ。学校の内外で「教育の再生」への努力が求められる。親の意識変革が欠かせないことは、言うまでもない。
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