1995/09/05 読売新聞朝刊
[社説]「協調の日教組」のこれから
「対決から協調」へのステップを踏み出した日教組の路線転換は、当然のことであり、かつ遅きに失した面があるとは言え、まずは好意的に受け止めたい。
ただ、半世紀近い「抵抗体質」から、組織全体が完全に抜け出すには、なお数年の時間がかかるだろう。それには、「これまでが異常だった」という一般の認識を、組合員すべてが共有する必要がある。
転換を余儀なくされた背景としては、次のような点が挙げられる。
冷戦構造や五五年体制の崩壊、それに社会党の政権入りなどで、いつまでもイデオロギーにこだわっていられなくなった。
組織の弱体化に加え、かつてのスト参加者の救援資金の肥大化など財政上の問題点を放置できなくなった。
さらに最大のポイントは、臨時教育審議会後の文部省と教育行政の変化に、日教組が対応できなくなったことだろう。
進行中の教育改革は、「自由化」の流れの中にある。
さまざまな規制を緩めることで、地方教委や学校、教師の主体性と裁量にゆだねる部分を増やすと同時に、生徒の側にも学ぶ自由を認める方向に向かっている。学習指導要領も、改訂のたびに、弾力化・柔軟化しつつある。
この文部行政の変化の認識に手間取ったか、少なくとも一部の勢力は、気づかないフリをし続けてきた感がある。
三日間の大会論議の中で、路線転換抵抗派からは、「われわれの運動は、総資本対総労働の闘いではなかったか」といった古めかしい物言いや、相変わらず自らを批判の対象外に置いた発言が目立った。
他方「国民に支持されない身勝手な行動を続ければ縮小再生産の道しかない」「子供を中心に考えれば、教委、校長、組合それぞれの任務と責任を果たすべきだ」などと述べる代議員もいた。後者の方に理があることは明らかだ。
先鋭的な意見には、本音も含まれてはいるが、多くは地元の強硬派向けの「ガス抜き発言」の色彩が濃かったようだ。
激しい論議の割に、あっさりと運動方針案が通ったのは、組織のジリ貧状態を放置できないとの共通認識からだろう。
ただ、路線転換が過去の間違いを認識した上のことなのか、時代の変化に対応しただけのことなのか、その総括が行われなかった。残念と言うほかない。
これで、本部レベルでの現実路線への転換は成った。だが、組織全体としての真価を問われるのはこれからだ。
何よりも、対話と協調は、地方と学校レベルで根づかなければ意味がない。つるし上げ的な団交はもはや通用しない。行政が耳を傾けざるを得ないような提案と実践に向けて、力量が大きく問われよう。
そのモデルは、足元の組織内にある。教委と現実的・建設的な協議や連携を模索している地方教組の事例に学ぶべきものがあるはずだ。そうすることで、教育界の共通課題であるいじめや登校拒否などの克服と学校再生につながるといい。
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