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1995/09/01 読売新聞朝刊
[戦後教育は変わるのか]日教組の路線転換(6)脱55年型思考課題に(連載)
 
◆柔軟化の新方針 夢と違和感交錯
 元美術教師の松岡鐐一さん(77)の楽しみは水彩画を描くこと。この夏、足をくじいて思うにまかせない。ギプス姿の松岡さんを、妻の洋子さん(70)が気遣う。岡山市郊外での静かな暮らしの中で松岡さんは、日教組の路線転換が気にかかる。「日教組の組合員であることが私の誇りであり、支えだった。それなのに、以前とはまるで違う路線に転換しようとしている」
 終戦後、復員した松岡さんは松山市内の小学校教師となった。その同僚教師に洋子さんがいた。教育委員会が公選制から任命制に変わった一九五六年、愛媛県教委は教職員を五段階評価し、昇給に反映させることを決めた。教組は「組合を分断しようとするもの」と反対闘争を展開。日教組、文部省の代理戦争の趣を呈した愛媛の「勤評闘争」は、教組の敗北に終わった。
 運動のリーダーだった松岡さんは、洋子さんと結婚の約束をしていた。しかし、五九年四月、松岡さんは離島、洋子さんは山間部に突然、転勤になった。五年後、ようやく県西部の同じ町の学校に勤められるようになり、結婚したが、その後、洋子さんだけが転勤となり、別居を余儀なくされた時期もあった。
 「愛媛の教組弾圧」と全国に波紋を広げた人事政策の一環だった。だが、松岡さんはどんなに説得されても組合を抜けなかった。昇進に縁のないまま五十七歳で退職、娘の嫁ぎ先の岡山市内に移り住んだ。
 日教組の転身に違和感を持つ関係者は少なくない。
 日教組幹部の一人は「苦しい中で運動を担ってきた人の複雑な気持ちは分かる」としながらも、「保革対立の五五年型の思考方法では、これからの社会に対応できない」と言う。
 新運動方針案の基になった21世紀ビジョン委員会の報告は、各界からのヒアリングを柱の一つにしてまとめられた。そこで、「カリキュラムセンターを設置してはどうか」と提案したのは、元文部省初等中等教育局審議官の中島章夫さん(現在、衆院議員=さきがけ)だった。教育現場の実践を蓄積して分析、研究し、子どもに何をどれだけ教えるか検討していく構想だ。
 「地域の人と学校の先生が意見を戦わせられる学校運営協議会を」。これは元北海道教育長の寺山敏保さんの提案。ゼンセン同盟書記長の高木剛さんは「教育を中心とした複合産別としての日教組」を主張した。細見卓・ニッセイ基礎研究所会長は「知恵でもって食う以外にない時代の人材育成」を求めた。
 かつては考えられなかった人たちからの日教組のヒアリング。提案の多くは新方針案に盛り込まれた。教育複合産別構想では、日教組の構成団体の一つ、日本私立学校教職員組合(日私教)に既に、ゴルフ学院やコンピューター専門学校の教師が加盟、組合の幅を広げつつある。さらに日教組内部には、全米教育協会(NEA)をモデルに、教育情報をコンピューターで組合員に提供することを検討する動きも出ている。そこでは、松岡さんが知っている日教組とはまるで違った組合像が描かれている。
 学力テスト問題、スト権スト、主任制反対など、勤評以後も、数多くの日教組の闘争があった。そして日教組は八九年、連合への加盟に反対する旧反主流派が全日本教職員組合(全教)を結成して分裂。昨年の組織率は日教組三四・一%、全教九・九%となっている(文部省調べ)。
 日教組の転身への動きに、全教は「戦後の教職員運動を総否定しているが、教育の争点は、日教組と文部省が『和解』したからといってなくなるものではない。今回の方針案は、自民党、財界の教育政策を推進するもので、教職員、父母の願いに反する」(長谷川英俊書記長)と批判する。
 違和感と将来への夢とが交錯する中、新方針案の是非を決める日教組の大会が、きょう一日から東京で始まる。大きくカジを切った「日教組丸」の針路について、激しい賛否の論議が予想される。それは、学校教育の今後に大きな影響を及ぼすものになりそうだ。
 最近、松岡さん夫婦に、かつての組合仲間から絵はがきが送られてきた。そこには、「ボクたちのしたことは何だったのだろうか」と自問しながら、「季節にも人生にも歴史にも春夏秋冬があり、そして決して止まることはありません。私はこう生きた、と胸を張ることができれば、それでよいのだと思います」と記してあった。(おわり)
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 この連載は勝方信一(解説部)、河野修三(政治部)、堀井宏悦、坂本浩(社会部)が担当しました。

 
 
 
 
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