1992/10/26 読売新聞朝刊
[社説]定着させたい「教育の自由化」
今年は、戦後の教育のあり方や仕組みが新しい段階に入った年として記憶されることになるのではないか。このことは、文部省による四年度版教育白書の「教育改革の推進状況」からも見て取れる。
この一、二年は、改革に向けた答申や提言のラッシュだった。これらを受けて今年は、学校五日制が月一回でスタートした。大学改革の着手元年でもある。高校の個性化・特色化や新たな教員配置計画も、間もなく動き始めようとしている。
全体を貫くものは「自由化」だろう。五年前にその任期を終えた臨時教育審議会の「自由・自律・自己責任の原則」は、もはや避けられないものだとの自覚が、ようやく根づきつつあると言っていい。
当時は、文部省はじめ教育関係者の多くが拒絶反応を見せていただけに、隔世の感がある。今後も、教育を受ける側の視点に立って、画一的で硬い教育を多様かつ柔軟なものにしていく努力を望みたい。
教育の「自由化」には、二つの意味合いが込められている。規制を緩和して、地方教委や学校の裁量にゆだねる側面と、学ぶ側の個性を生かそうとする視点だ。選択の自由の拡大が、その重要な一環として位置づけられることは言うまでもない。
学校段階によって、濃淡の差はあるものの、教育にある種の「市場原理」が導入されようとしていることにも注目したい。
それが最も端的に現れたのが、大学政策だろう。設置基準をうんと緩めることで、カリキュラムの編成をはじめ、新しい試みを促している。従来の「行政指導型」から「自由競争型」への転換と言っていい。
高校以下の学校でも、現場の裁量が広げられようとしている。新設される総合学科にしろ、入試の多様化・多元化にしろ、その方法などは、いずれも高校と都道府県教委の判断とやる気次第だ。
来年度からの小中学校への教員配置計画でも、例えば「チーム・ティーチング」など新しい指導方法を導入する意欲をもち、実施条件を整えたところに、まず重点的に配置するという考え方だ。
大きな格差が出ないよう配慮も加えられているが、やる気のある学校が「手を挙げる」仕組みには、義務教育にも、部分的ながら競争原理が働くと言い得る。
児童・生徒に対する心配りとしては、中学の選択の拡大、高校の無学年・単位制などがある。それ以上に着目したいのは、登校拒否の子に対して、民間施設などでの「回り道」を認めたことだ。
たとえ一時的にせよ義務教育に例外が認められたことの意味は小さくない。
一連の動きは、道筋が示されたか、あるいは緒についたばかりだ。
効率優先から、現場や子供の主体性に重きを置く教育は、時代の流れとして後戻りできるはずもない。自由につきもののリスクや自己責任、モラルなどを視野に入れながら、「個性的な学校で個性的な学習」のできる教育を模索してほしい。
人の手当てや財政などの面で、文部省の支援が欠かせないことは言うまでもない。
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