1989/02/12 読売新聞朝刊
[社説]生かしてほしい「個性の教育」
幼稚園から高校までの教育内容・方法の指針となる学習指導要領案が、文部省の手でまとまった。
一読してまず気づかされるのは「個に応じた指導」とか「自ら学ぶ意欲」などといった言葉がちりばめられていることだ。
そのために、例えば小学校では、教室の外での体験学習を中心にした生活科が低学年に新設される。中学では選択の科目が増え、習熟度に応じた指導の勧めが説かれている。高校で指導要領に示す以外の科目を置けるようになるのもその一環だろう。
いずれも、学校が変わる可能性を秘めている。「子どもの主体性を認める」教育をより進めようとするものだとの評価もできる。
だが、これで個性重視の教育が実現できるのかどうか。気がかりな点をいくつか指摘できるように思われる。
その一つは、学ぶ内容がなお多すぎるのではないかという点だ。教科ごとの要請に加え、国際理解、伝統の尊重、情報化への対応などもあって、ふくらんだものだ。
作文や書写、そろばんの時間が増える。コンピューターに慣れなくてはいけない。中、高では英会話や古典学習にも力を入れよという。高校世界史も必修となる。道徳教育の充実も改訂の柱の一つとなっている。
個別に取り上げれば、大切なものばかりだ。しかし、あれもこれもというのでは「学ぶ喜び」どころか、消化不良で苦痛を覚える子が増えることになりかねない。
算数や理科を中心に精選への努力がうかがえなくはない。だが、新指導要領の実施の途中で、学校五日制が現実のものになると思われる。教育の機会を分散させようとする学習社会の実現という課題もある。
そうした意味合いも含め、教科書作りや検定、現場での扱い方などの面で、なおしぼり込んでいく必要があるのではないか。
第二の不安は、先生の意識の変革と行政の条件整備が伴うかどうか、である。
新指導要領は、かつて見られないほど学校や教師の主体性にゆだねた部分が多い。例えば、授業の単位時間が学校の判断で伸縮自在にできるようになる。従って、いまのような週単位の時間割で済ます年間計画では通用しなくなる。習熟度別指導は、一律・一斉型授業を大きく転換しようとするものだ。
選択の拡大にしても、受験科目中心に「学校選択」というお仕着せになってしまっては何にもならない。教員定数の改善など行政のバックアップが不可欠なことは言うまでもないが、いずれにせよ、日本の学校では不慣れな選択制や個別指導が主流になるのだという自覚が迫られることになる。
ところで、今回の改訂で目を引くのは、国旗・国歌の扱いを明確にしたことだ。
小学校の社会科で「我が国の国旗・国歌の意義を理解、尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てる」ことになった。
問題は「入学式などで掲揚、斉唱するよう指導するものとする」としたことだ。現行の「望ましい」からさらに踏み出したわけだが、国旗や国歌に対する国民の合意は、まだ十分でない面がある。一律に強制して、教育上のマイナスや混乱を招くことのないよう弾力的な運用を望みたい。
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