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1988/01/11 読売新聞朝刊
[社説]「教育改革実施元年」への注文
 
 ことしは、教育改革が、昨年までの論議の段階から、具体的実施へと一歩踏み出す年となる。
 その中心となる文部省が先ごろ、「教育改革の推進−−現状と課題」と題する白書を明らかにした。臨時教育審議会の答申を受けて、今後の取り組みの指針を示したものだ。
 文部省は、このたびの改革が、明治以来これまでのいくつかの時期における改革への試みに勝るとも劣らない大きな試みである、と力説している。この初心を常に念頭に置き、大胆で、かつ心配りのきいた取り組みを期待したい。
 示された四つの基本方向は、重要なものばかりだ。生涯学習体系への移行といい、国際化や情報化など時代の変化への対応といい、将来進むべき確かな道すじである。
 問題は、個性重視の教育がどこまで実現できるかだろう。いま現在、親や子どもたちが最も切実に願い、同時にまた、その実現性に不安と不信を抱いていると思われる課題だからである。
 個性の尊重は、実は、戦後教育の中で一貫して掲げられてきた理念だった。それが、一向に根づいてこなかったために、学校は、ますます息苦しさを増してきたと言っていい。このいきさつから見て、また口先だけに終わるのでは、という心配の声が上がるのも無理のないところだ。
 その懸念のきざしはすでにある。昨年末の教育課程審議会の答申のうち、例えば、中学校での選択科目の拡大は、早くも、「学校選択」という形のお仕着せになってしまい、生徒の主体性が狭められるのではないかという見方が、当の学校現場から出ている。
 あるいは、教育職員養成審議会の答申を見ても、子どもの個性を生かす教師をどう養成するかの視点が読み取れない。
 学習者としてだけでなく、生活者としての子どもたちの個性が尊重されなければならない。その意味で、今回の白書が、いわゆる「管理教育」や「自由・自立、自己責任」の原則について、ほとんど触れていないのは不満が残る。
 制服や丸刈りの強要とか、生活全般にわたって一定の枠にはめようとする規則の横行には目に余るものがある。それを守らせるための体罰となると、これはもう教育の営みとは言えない。
 その点、臨教審が、いまの学校をおかしくしている要因の一つに、「極端な」あるいは「形式・瑣末(さまつ)主義的」管理教育があるとしたのは、当を得た指摘だ。
 そして、それが、豊かな人間形成を妨げ、子どもの心理的重圧感と欲求不満を高める原因になっているとする分析は、世間の多くの気持ちを代弁しているものと言える。
 この国会には、「ポスト臨教審」として、内閣直属の「教育改革推進会議」を設置する法案が提出される運びになっている。
 その性格や委員の人数などはまだはっきりしないが、新機関に求められる最大の役割は、個性重視の原則を、目に見える形で行き渡らせることだろう。都合のいいところだけのつまみ食いに終わってしまっては、改革の名に値しない。

 
 
 
 
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