2002/04/20 毎日新聞朝刊
[社説]学校と奉仕活動 受験とからめるのは安易
「自分の時間を提供し、対価を目的とせず、自分を含め地域や社会のために役立つ活動」
中央教育審議会が18日にまとめた「青少年の奉仕・体験活動の推進方策」の中間報告は奉仕活動を、そう定義している。「できる限り幅広くとらえた」という。
異論の少ない定義であろう。しかし、この視点から提案したはずの推進策は、定義とかなりずれがある。とりわけ、小・中・高校でのあり方で目立つ。
自発性の尊重より、子供たちの参加の拡大を重視したせいだろう。森喜朗首相(当時)の私的諮問機関「教育改革国民会議」以来の画一的で、強制的な姿勢が伝わってくる。
中間報告の核心は、「奉仕活動をどのように推進していくのか」である。現状を「ボランティア活動に興味・関心は持つものの、経験は少ない」と分析する。「もう一歩を踏み出すきっかけや後押しとなるような仕組みや、子供が参加しやすい環境を作ること」を求めている。
問題は小・中・高校での具体策である。目を引くのは、高校、大学の入試で受験生のボランティア活動の実績を評価の対象にするよう提案していることだ。特に高校入試では「積極的に評価する工夫」を求めている。
中学生や多くの高校生にとって入試は最大の関心事だ。受験とボランティア活動を結びつければ、参加の強い動機づけになり、活動に加わる生徒は増えるだろう。
しかし、受験を有利にしようとの思いから、形式的な参加となる恐れが十分にある。それは、ボランティア活動で最も大事な自発性が薄れ、強制的な作用が働くことを意味する。
さらに、受験での対価を求めた活動が出てくる。「自分の時間を提供し、対価を目的とせず」という定義と矛盾している。
文部科学省は98年から、高校に校外での活動を単位認定する制度を設けている。しかし、参加は全国高校の2%にしか過ぎない。
受験とボランティア活動をからめたのは、こうした現状を打ち破りたいからだろう。しかし、安易な発想ではないか。もっと工夫が必要だ。さらに、生徒の校外での活動を受け入れるには、地域社会の態勢が極めて不十分なことも考えねばならない。
政府が児童、生徒の奉仕活動を積極的に打ち出してきたのは、教育改革国民会議の提言以来のこと。最初、義務化を掲げた。しかし、奉仕に義務化はなじまないとの批判が強く、00年12月の最終報告からは義務化の表現が消えた。
文科省は、その後、国民会議が目指した路線で動く。昨年の通常国会で、奉仕活動の促進を盛り込んだ改正学校教育法を成立させている。中教審への推進策の諮問も、この路線に沿ったもので、中間報告の基調には、「公」が「個」に優先する姿勢が感じられる。
ボランティア活動で優先すべきは、「個」の方である。「個」が尊重されない活動は、量が増えても、形だけのものになる。
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