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2001/10/08 毎日新聞朝刊
[社説]考えよう憲法/15 教育 新しい学校像への対応を
 
◇法律変えても荒廃克服は困難
 近代国家の成立とともに始まる公教育の態様は国によって違うが、明治憲法下の日本は、国家による国民教化という型に属する。教育勅語の精神のもと、富国強兵・殖産興業に資する臣民の育成が教育の目的だった。
 文部省が37(昭和12)年に出した「国体の本義」は「我が国の教育は国体に則(のっと)り……皇運を扶翼するを精神とする。自我の実現、人格の完成といふが如(ごと)き、個人の発展完成のみを目的とするものとは本質を異にする」と述べている。
 
◇憲法と基本法はセット
 こうした公教育の思想は、敗戦により一変した。現行憲法は「国民は教育を受ける権利を有する」(26条)と規定。「憲法の精神に則り教育の目的を明示」する教育基本法が制定された。基本法は教育の目的として、「国体の本義」が否定した「人格の完成」をまず掲げ、同時に「平和的な国家及び社会の形成者として……自主的精神に充(み)ちた国民の育成」(1条)を挙げている。教育勅語とは、本質を異にする。明治憲法と教育勅語のように憲法と教育基本法は、密接不可分のセットといえる。
 しかし基本法は「日本国に対する忠誠がどこにもない」(56年、清瀬一郎文相)など早くから改正論の波を浴びた。憲法改正を求める声と通じるものがあり、基本法改正が憲法改正の前段になるとの位置付けでは、改憲派、護憲派とも一致する。ただ、現実に基本法改正がレールに乗ることはなかった。
 それが、ここに来て動き出す。文部科学省が、首相の私的諮問機関、教育改革国民会議の見直し提言(00年12月)を受けて、中央教育審議会に諮問するのである。
 基本法改正は教育勅語再評価を言う森喜朗前首相の意向だった。町村信孝前文相も「当方であらあらの法案を作りたい」と意欲を見せたが、首相も文(科)相も代わった今、当時の熱気はない。が、伝統の尊重などを求める提言を受けての諮問という段取りに変わりはない。それから先はまだ不透明だが、正規の舞台での初めての審議は、新たな段階といえる。
 教育基本法改正論議を遠景にしつつ、現実に争われてきたのは、教科書検定や学習指導要領の法的拘束力などについてである。国と教育との関係のあり方をめぐる対立であり、「教育権」が、親・教師など国民の側にあるのか、国の側にあるのかが問題になった。
 教育内容への国の介入を大幅に認める「国家の教育権」説は、国は選挙を通じて国民の信託を受けているから、国政の一環として決められるなどと主張する。一方、「国民の教育権」説は、戦前の反省に立ち、思想・信条の自由、表現の自由などからも、国家介入は原則として認められないと説く。文部省対日教組という政治的な争いの構図とも重なり、双方は何かにつけて角突き合わせてきた。
 この問題について最高裁は「両説はともに極端で一方的。国は、必要かつ相当と認められる範囲において教育内容にも決定権を有するが、国家的介入はできるだけ抑制的であることが要請される」と判示した(76年)。常識的な判断に思える。教師に革命思想を吹き込まれるのは困るが、皇国史観を押しつけられるのも困る。「必要かつ相当な範囲」とは、憲法の定める民主主義や人権尊重の精神に即した内容と解すべきだろう。
 対立は今も続くが、イデオロギーがぶつかりあった一時代前の議論との観は否めない。いじめ、不登校、少年犯罪、学級崩壊、学力低下など今日の教育の荒廃が、文科省の「権力統制」の結果というのも無理があるし、日教組の「偏向教育」の責任とも言えない。それよりも戦後の日本が目指した追いつき追い越せの近代化を達成、目標を見失ったことが大きい。情報化、国際化、都市化などの社会環境の変化とあいまって、教育の意味、学校の意味が変わってきていることの反映ではないか。
 敗戦で教育の理念は確かに転換した。が、教育に対する期待の大きさ、学校の存在の重さは、戦後も変わらなかった。国の意図はどうあれ、一生懸命勉強すれば豊かになれる、いい人生がおくれるという国民の現実感覚が、子供を学校に向かわせてきたといえる。
 しかしそれが機能しなくなってきた。いい学校へ入るための受験が、勉強の動機付けにはなりにくい時代になった。続発する官僚や偏差値エリートの不祥事は、これまでの学校教育が中身の乏しい人間を生み出してきたのではないかとの不信を抱かせるに十分だ。
 学校が教育の独占的担い手ではなくなりつつある。米国では手作りの公立学校であるチャータースクールや、家庭で勉強するホームスクーリングが盛んだ。日本でも学校の枠を超えた教育の検討が欠かせない。イデオロギー対立の尾を引く基本法改正は、建設的とは言い難い。伝統尊重や愛国心を法律に書き込めば、荒廃が消え去るというものではなく、いささか安易な議論のように思われる。
 
◇議論の余地ある私学助成
 憲法との関係でもう一つ問題になるのは私学助成である。これが「公の支配に属さない教育」への公金支出を禁じた憲法89条に違反するとの議論は昔からあった。  私立学校には、法律による監督規定があるから公の支配に属するというのが、文科省など合憲論者の主張だ。しかし監督は緩やかで公の支配に値しないとの見方のほか、宗教教育をする私立学校への公費援助は、政教分離の観点から違憲との説もある。私学助成廃止論は聞かれないが、当然合憲とするほど自明なものでもない。なお検討が必要な課題である。


 
 
 
 
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