日本財団 図書館


2000/08/02 毎日新聞朝刊
[記者の目]教育改革国民会議の報告 空回りする危機意識=高安厚至(政治部)
 
◇「奉仕」強制に違和感
 細切れ改革の詰め合わせではないか――森喜朗首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」(江崎玲於奈座長)の3分科会がまとめた報告を読んだ率直な印象だ。メッセージは一方で「強制」、他方で「自由化=競争」に子供をさらすことを求める。この対立する考え方を、相互のつながりを欠いたまま放り出すように提示した報告だからだ。これでは国民が自らの問題として教育再生に取り組むための道標とならないのでは、との懸念を払拭(ふっしょく)できない。
 報告に盛られた提言は、中曽根政権が1984年にスタートさせた臨時教育審議会(臨教審)や、周辺の人脈がすでに示したものが多い。「出尽くした議論で新たに提言する意味がない」と複数の委員が認める。
 中高一貫校は臨教審第1次答申で、大学9月入学は最終答申で提起された。飛び級制度、学習達成度試験(標準学力認定制度)、やる気のある人への学校設置許可は、臨教審に先立ち、議論の流れを作った「世界を考える京都座会」で登場済みだ。森首相が所信表明演説のキーワードとして使った「立派な人間」も、中曽根ブレーン集団「文化と教育に関する懇談会」座長の井深大元ソニー名誉会長が強調していた表現だ。
 教育基本法についても、初めて「改正」を正面から主張したとはいえ、問題設定は臨教審が言う「我が国伝統文化の否定、徳育の軽視、権利・責任意識の不均衡」の繰り返しだ。
 そもそも(1)21世紀に向けた創造性あるエリート養成(2)教育の個性化・自由化(市場化)(3)道徳とナショナリズム・伝統の重視――つまり「新自由主義」「新保守主義」の組み合わせという枠組み自体が、臨教審と同じだ。
 それから15年を経た現時点の問題認識と対応策はそのままでいいのか、新たな方向性を模索する必要はないのか。報告には「これからの哲学」が見えない。前面に出るのは「改革しないと日本は滅びる、というショック療法が必要」という危機意識だけだ。
 17歳少年の犯罪続発や学級崩壊など、子供を巡る深刻な現実を受けて発足しただけに「哲学論議より目に見える対策を」という姿勢も必要だろう。だが「ショック療法」で状況が改善するのだろうか。
 例えば「奉仕活動の義務化」。報告では小中学校で2週間、高校は1カ月の実施を義務付け、将来はすべての「18歳」に1年間にわたる農作業や高齢者介護などの「人道的作業」に当たらせる構想を打ち上げた。その狙いと効果を報告はこう説明する。子供たちは奉仕を通じ「初めて自分を知る」「受けるだけでなく与えることが可能になった大人の自分を発見する」と。
 その背景にある考え方は、社会が豊かになって自由がはんらんしたため、子供たちは自分で考える力や苦しみに耐える力を失ったという認識だ。提案した委員の一人で作家の曽野綾子氏は「強制が全くない人生などありえない。長い人生の1年だけ、ほんの少し自由を制限するだけだ。制限されて初めて自由をどう使うか自分で考えられる」と語る。また、戦争のための動員ではなく「徴兵制復活」などの批判は当たらないとも強調する。
 それでも私が違和感を持つのは、「奉仕」というのは本来、自発的でなければ意味がなく、国家が強制すれば、それは「労役」でしかないと思うからだ。かつて個人の判断を許さず、無内容な「奉仕」を強いた「滅私奉公」というスローガンは、森首相が好んで口にする「座右の銘」であり、なおさら警戒感も強まる。
 委員らは「強制すべきでないというのは正論だが、子供はボランティアを知らない。大人が見本を示して子供に無意識のうちに模倣させるのが一番良いが、大人はやっていない」と言う。だから代わりに国家が――という論理だ。
 だが、子供自身が納得してモチベーションを持てない限り、どんな行動をとらせても成長の糧とはならないだろう。説得―同意というコミュニケーションとプロセスが不可欠だ。家庭や地域など、身近な世界で奉仕や助け合いをする基盤が失われていたら、たとえ強制された空間で1年間奉仕をしても、帰ってからのギャップが広がるだけで根付かないのではないのか。
 奉仕活動だけでなく「国家や郷土、伝統、文化、家庭、自然の尊重」を目指すという、基本法改正でも事情は同じだと思う。豊かで自由度が増した時代の子育てには、新たなコミュニティーとコミュニケーションが必要だ。「子供が無意識のうちに」学べるよう、大人がボランティアを率先して行う社会を目指すことが先決ではないのか。
 あえて「強制」が必要と言うなら、それは大人のほうだ。PTA活動一つとってもそうだ。参加を渋る親が多くてどうして子供が他人のために汗を流そうとするだろうか。手始めにすべての親に、子供の学校の運営ボランティアを義務付けてはどうか。親や大人がちゃんと向き合ってこそ、子供もやる気を出す。そんな強制なら、親である私は喜んで従うつもりだ。


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION