2000/01/08 毎日新聞朝刊
[社説]新千年紀 教育改革 個性生かす多様な社会を、地域やNPOとの連携視野に
明治の文豪、夏目漱石は1911(明治44)年の講演で、次のような趣旨のことを話した(岩波文庫「漱石文明論集」)。
「昔(徳川時代)の道徳は、完全な一種の理想的の型を拵(こしら)えて、その型は努力の結果実現できるものとして出立したものです。忠臣、孝子、貞女と完全な模範を前へ置いて、至らぬものでも努力の如何(いかん)によっては模範通りのことができるという教え方、徳義の立て方であった……」
「しかし今は事実を土台にする。人間は完全なものではない……如何な忠臣、孝子、貞女でも、一方では随分いかがわしい欠点を持っている……今の人は昔に比べるとよほど倫理上の意見についても寛大になっている……段々住みやすい世の中になってお互いに仕合せでしょう」
しかし残念なことに、その後は寛大な時代にはならなかった。むしろ元に戻ってしまったのではないか。 国の求める人材は、特に昭和に入ってから、どんどん特化、純化していった。許容範囲の狭い、逸脱を許さない模範像を作りあげていった。その推進力が、国がつかさどる学校教育だった。文部省は41(昭和16)年、「臣民の道」を出している。
敗戦により価値観は大きく転換、戦後日本の目標は経済的な豊かさになった。が、追いつき追い越せを目指し、国民一同、一丸となってがんばるという構造は変わらなかった。それを支える人材を養成するのが、国の主導する学校教育であり、子供を模範と思う鋳型にはめ込んでいく構造も変わらなかった。
ただ、軍国主義は論外としても、近代化を進め、キャッチアップを目指す過程においては、国家社会に役立つ画一的な模範型の人材を、大量にかつ効率的に育てなければならない事情があったことも確かだ。
それには強い中央統制のもと、平等で画一的な教育を行うことが効果的で、国はそのための基盤整備に力を注いだ。近代化の推進に不可欠な、教育水準の高い人材の量産に成功したのは、その成果といえる。
◇身につかない知恵・常識
しかし、学校教育の基盤整備がほぼ終わった80年代初めころから、そうした教育システムが機能しなくなってきたように思える。いじめ、不登校などが噴き出し、教育の荒廃、学校不信があらわになってきた。深刻なのは、教育が、中身の乏しい人間を生み出しているとの疑念があることだ。入試は頑張るが、大学に入ってしまえば世界でもまれなほど勉強しなくなる。それどころか偏差値秀才にして、オウム真理教事件にかかわったり、集団暴行事件を起こすなどの「愚行」が続発している。
98年2月の国会演説で当時の橋本龍太郎首相は、「常識、知恵、知識を身につけるための教育が、良い学校に入り良い仕事に就くための手段になってしまった」と嘆いた。豊かさを保障する良い会社に入ることを唯一の理想的な目標として掲げ、その実現を子供に期待してきたことの反映だろう。「優良な規格品」作りを主眼とするこの構造を変えない限り、教育のゆがみは是正できない。抜本的な改革が求められている。
この点で先駆けになったのが、臨時教育審議会答申である。教育行財政改革の基本として臨教審は「画一よりも多様を、硬直よりも柔軟を、集権よりも分権を、統制よりも自由・自律を重んじる制度、施策の導入を」とうたい上げた(86年)。
教育を受ける側の個性を尊重し、多様な選択の機会を広げる改革を求めた答申の意義は大きかった。審議過程で文部省は激しく抵抗したが、その後の教育改革は、臨教審の敷いたレールに沿って動いている。
◇自由・自律のシステムに
画一的統制から脱皮し、現場の創意を促す新学習指導要領が告示された。目指すは、知識詰め込み競争から、自ら学び考え、行動する「生きる力」をはぐくむ教育への転換だ。制度面でも、中央集権の硬直的な体系を緩め、例えば不登校で義務教育を受けられなくても高校、大学に進学できる道が開かれた。
情報化、国際化が進む21世紀は、マニュアルを記憶し、こなす人材だけでは持たない。自ら学び、考え、それぞれが思う豊かな人生を築いていく自立した多様な個々人の集合体でなければならない。逸脱を許さない、寛容さのない社会はもろい。敗戦はそのことを如実に示した。多様な個人を生かす、しなやかで寛容な社会を構築していくことこそが、今求められている。それには「多様、柔軟、分権、自由・自律」の教育システムでなければ対応できない。
個性の尊重は、エゴイズムを助長し、自由の強調は放埒(ほうらつ)を招く危険性は、確かにある。しかし、個性の尊重は他人の個性をも認めることであり、自由には責任が伴う。大切なのは、こうした基本的な倫理、そしてその基盤ともなる自ら考える精神、「生きる力」を、学校だけでなく社会全体で、育てていくことだろう。従来のように教壇から画一的に教え込もうとしても身につかない。
自然体験や生活体験が豊かな子供ほど、道徳観・正義感があるという調査がヒントになる。学校を中心に家庭や地域社会が連携して取り組むことが基本だが、いずれもかつての教育力を失いつつある現状を見るとNPO(非営利団体)や、中教審答申(96年)のいう第四の領域(スポーツやボランティアなどの目的志向的な活動)とのかかわりも、重要になるだろう。難しい課題だが、みんなで知恵を出していきたい。
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