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1999/09/25 毎日新聞朝刊
[新教育の森]キーワードの軌跡 今週のテーマは・・・「学力テスト」
 
◇「ゆとりの弊害」を実証?−−35年ぶり本格実施
 戦後教育界に論争と混乱を引き起こした全国一斉の「学力テスト」(学テ)。それが再び出番を迎える。文部省は2001年度、小学生〜高校生約10万人を対象に共通の学力テストを実施する。名目は「学習指導要領に沿った理解がどこまでできているか測定する」だが、背景には最近しきりに指摘される学力低下問題がある。この問題では、分数もできない大学生を例に「日本の将来はどうなる」と嘆きの声がしきりだ。「ゆとり」を掲げ、学習内容削減を進める文部省は「低下はない」と反論に懸命だが、「測定」せざるを得なくなったようだ。21世紀版学テは「ゆとりと学力」という難題にどんな答えを示すのか。【宮澤勲】
 
◇少ない判断材料
 文部省の計画では、まず来年度に専門家による調査研究会を設置し、問題の作成と試験の具体的方法を検討。2001年度に実際にテストを行う。小学生は5、6年で国語、社会、算数、理科の4教科。中学生はこれに外国語(英語)が加わった5教科。高校はさらに多様になり、科目数で12となる。受験者は各学年から1%程度を抽出し、全国で10万人の規模になるという。
 テストの目的は通常の試験のように個人の能力を競わせて順位をつけることではない。「その学年の児童・生徒がどれだけ、学習指導要領によって定められた学習内容を理解しているかのデータを得る」(文部省小学校課)ことにあるという。
 教育現場では今、「学級崩壊」「総合的な学習の時間」(新たな学習指導要領で導入される新授業)とともに「学力低下」をめぐる論議がかまびすしい。
 よくやり玉に挙がる大学生の学力低下は、つまるところ小学校から高校まで学習内容を軽減してきた結果ではないか、という声も根強い。共通の学力テストは、それを検証する手段の一つにはなる。
 これまで継続的に児童・生徒の学力を調査したデータは意外なほど少ない。その貴重なデータを見ると、やや学力が落ちているような、そうでもないような、どうとでも読める結果になっている。
 「学力低下」を示すものとして、しばしば取り上げられるものに、国立教育研究所が実施している「理数調査報告書―理数定点調査」がある。
 これは同一の高校8校の2年生を対象にして、1989年、92年、95年に数学20問を課し、その得点を比較したものだ。それによれば、平均正当率は66・4%▽66・0%▽62・3%と調査が進むごとに低下している。
 調査対象となった20項目の推移をみても「不等式の証明」など14項目でポイントが落ちている。わずか8校の調査だが、確かに「学力が落ちている」ようにも映る。
 
◇大学に強い懸念
 反発の中で、60年代半ばに全国一斉の学力テストが中止された後、長く全国共通テストは行われていなかったが、81〜83年に小、中学生を対象に復活、さらに93〜95年にも行われた。目的は、今回計画されているのと同じで「学習指導要領で定められたカリキュラムの内容がどこまで理解されているか」だった。この2度の全国的なテストは小学校の5、6年、中学生から1%を抽出した規模でもあり、あまり騒ぎにはならなかった。
 この二つのテストでは、わずかだが共通の問題による正当率の比較が行われている。このうち中学の理科では1〜3年での19問のうち、1年の「圧力」、2年の「乾湿計の原理」など13問で正当率は落ちた。しかし一方で、「顕微鏡の倍率」などは上昇している。このデータで、文部省は「総合的にみるとほぼ変化はない」と結論づけている。
 大学はどうか。
 大学入試センターが昨年11月、国立大の教官に実施したアンケートの結果、「大学での学習に必要な論理的思考力、理解力、表現力などの基礎的能力」について、6割が「低下している」「やや低下している」と回答した。また学力全般については「低下している」「やや低下している」としたのは全体の55%だった。
 これを深刻な数値とみるかどうかは分かれるところだろうが、学生の学力低下への懸念は大学側には強いようだ。中央大学商学部(東京都八王子市)では、来春の推薦入試合格者から大手予備校・駿台予備学校の協力で、入学前の通信教育を行うことになった。この動きは今後さらに他大学にも拡大しそうだ。
 大学入学後の補習授業も一般的になっており、3割の大学・短大で補習授業を行っているという調査結果もある。
 こうした背景もあって、文相の諮問機関・中央教育審議会は「大学入試でこれ以上科目を減らさないように」という内容を盛り込んだ答申を今年中に出す。
 
◇結果は情報公開を
 だが、大学生は別にしても文部省は、小、中、高校の児童・生徒の学力が落ちているとは決して認めていない。
 御手洗康・初等中等教育局長は「学力低下というが、そもそも学力という言葉が整理されていない。私は必要な学力とは知識の詰め込みではなく、学習する意欲のことだと考えている」と強調して、こう続ける。
 「日本では、ある程度の点数は取れるが、勉強は嫌いという子が多い。こうした子供にしてしまう教育がいいのか。学習指導要領で教える内容を削減してさらに学力低下に拍車を掛けるといわれるが、必要な内容はしっかり教えるのだから、それは考えられない。今度の学力テストは前回、前々回の流れの中で行うもので、あくまで指導要領に基づくカリキュラム到達度をみるもの。学力低下そのものは念頭には置いていない。大学生が学力低下しているのは指導要領の内容を減らしているからなどというのはとんでもない話。入学者が増えているのだから、いろいろな学生がいるのは当然ではないか」
 一方、学力低下問題を提起してきた苅谷剛彦・東大助教授(教育社会学)は、2001年度の新たな学力テストでは前回、前々回だけでなく60年代の問題とも比較できる内容であることはもちろん、学級規模との関連なども含めどれだけ密度の濃いデータを集められるかが課題だという。
 「学力低下の問題が騒がれるまで、文部省が進める『ゆとり』中心の教育改革にはあまり反論は起こらなかった。新しい学習指導要領を作成する段階でも、きちんとしたデータに基づいて学力がどうなってきたのか、十分議論されていない。そもそも基になるデータがないことに驚く」と指摘。「今回の調査で最も大切なのは、結果はすべて情報公開すること。それによって文部省の進める教育改革について第三者による検証が可能となる。都合の悪いデータは出さないということにならないよう、特に注文したい」と“開かれた検証”になることを求めている。
 
◆メモ
 最初の小、中、高校の全国共通の学力テストは、1956年からの予備的調査を経て61年に本格的にスタートした。特に中学では全校の2、3年を対象に国語、社会、数学、理科、英語の5教科で行うという徹底ぶりだった。
 目的は、学習の到達度を他の自治体や他校と比較することにより教師の指導法の参考にするほか、教育環境の整備、優秀な人材の発掘・育成にもあったとされる。しかし、このテストは、徐々に学校や自治体が結果を競う学力コンテストの意味合いが強くなる。
 都道府県別成績順位は公表しない建前だったが、当時の文部省高官が「愛媛は全国でトップの栄誉を勝ち得た。ひとえに教師みなさんの不断の努力のたまもの」と口を滑らせたこともあり、競争に拍車が掛かった。学校によっては、テスト前に予行演習をやるようになり、成績の悪い子供をテスト当日に欠席させる学校も現れた。
 また、日教組は「学力テストは教育内容の国家統制につながる」などと反発、全国規模で「反学テ闘争」を展開した。テスト拒否の教師に対して文部省側は免職や停職などの大量処分で対抗、教育現場は混乱した。「日教組20年史」によると、61年から翌年にかけて地方公務員法違反、公務執行妨害などの容疑で2000人が任意出頭の形で取り調べを受け、逮捕・拘置61人、起訴15人に上った。法廷闘争も広がり、判決は「教育諸条件を整備するために許される教育行政上の措置で合法」と認めるものから「教育内容に対する行政権の不当な介入で違法」とするものまで分かれた。76年5月の最高裁判決は「学力テストは合憲・適法」だった。
 混乱を経て、一斉学力テストは66年を最後に中止になる。その後、学力テストは81〜83年、93〜95年に学習指導要領の改訂に合わせ実施された。対象は小学校の5、6年と中学1〜3年で各学年から1%程度、各1万6000人を抽出してテストをした。
 81年のテスト導入前、国立教育研究所が小・中・高から計1万7000人を対象に学習到達度調査をしたところ、「書き取り能力が低く、分数、英会話も弱い」という分析結果が出、基礎学力の欠如が論議されるようになった。
 
◆記者ノート
◇官僚が考える「体験学習」
 都会の子供が、自然と接する体験学習などといって、田舎で田植えや稲刈りを経験する様子がしばしばマスコミで紹介されることがある。泥にまみれて歓声を上げる子供たち。国は、子供が元気に遊べるようにと「あぜ道」まで整備することも考えているようだ。
 複雑な思いがする。
 小学校から中学にかけて、日曜日は田んぼや畑で働くことが当然だった。翌日に期末テストが控えていても、多少労働時間が減る程度。テストのために丸々日曜日が使えるサラリーマンや自営業者の子供を見て、どんなにうらやましかったことか。「稲刈りをしないで、勉強したらもっと点数は良かったはずだ」と私は真剣に考え、生まれた環境を恨んだ。
 農繁期には、家で仕事を手伝わせるために1週間程度の休みまで制度としてあって、私の「学習機会」は相当、奪われていた。全国共通のテストがあれば、こんな地域は、全国平均を下回ることはまず間違いないだろう。
 文部省は今、「ゆとり」や「生きる力」「体験学習」を教育改革の柱に掲げている。詰め込み教育の弊害を強調し、必要なのは自ら課題を探し、探究する力だという。受験のために机にかじりついていてはいけない、自然に触れた体験が必要だという。
 日曜日は勉強から離れ、両親や兄弟と共に田んぼや畑に出る。当時からそんな「体験学習」を実践していた。その結果、私は文部官僚にはなれなかった、と思っている。


 
 
 
 
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