1997/05/31 毎日新聞朝刊
[社説]中教審 議論が足りない入試改革
中央教育審議会が30日公表した「審議のまとめ」は、入試改革、公立への中高一貫教育の導入、高校2年から大学へ「飛び入学」を認める――の3点が柱だ。これで、教育は変わるのだろうか。
今回、中教審は「子供たちに生きる力とゆとりを」とうたいあげた第1次答申を受けて、具体的方策の提言を目指した。「まとめ」は「ゆとりの中で生きる力をはぐくむことを目ざし、個性尊重の考え方に立って、一人一人の能力・適性に応じた教育を展開する」と宣言する。しかし、この3点の内容では、生きる力とゆとりは依然として育ちにくいのではないか、というのが率直な印象だ。
公立への中高一貫導入は、将来相当数の生徒が入学できるようになれば、教育が変わる可能性があるが、「まとめ」は規模には言及していない。一県に1校程度なら、受験エリート校化することの方が心配だ。
飛び入学は、そもそも極めて例外的な場合に限るべき話で、風穴の意味は大きいが、教育を変える性格のものではない。
問題はやはり入試改革だ。中教審は「必ず本格的にやる」と公約していた。ヒアリングで都道府県教委連合会は「大学入試改善が教育改革全体の成否を左右する」と述べたが、同じ認識だったはずだ。知識量の多寡を問うペーパーテストによる学力試験の成績を偏重し、1点刻みで合格者を決める入試が続けば、小・中・高校などで「生きる力」の育成を主眼とする教育は難しく、ゆとりは生まれないからである。
「まとめ」の大学入試改革はよく練られてはいる。調査書や小論文などを組み合わせ、時間をかけて、ていねいな入試をするという提言は大事なことだ。ただこれらの改革は、制度的には現在でも可能であり、今の事態を招いた入試システムの延長線上でのものだ。すでに取り組んでいる大学もある。あまり変わらないだろう、と思わせるゆえんである。 入試改革は容易ではない。だれもが納得する理想的な入試はないことも確かだ。中高一貫の成否もそうだが、教委や大学をはじめとする社会の意識改革、努力によるところが大きい。しかし、中教審はそれを承知の上で臨んだはずだ。
今回の審議で、大きな手がかりになると思われたのは、大学入試の資格試験化だった。ヒアリングで、経済同友会や日教組などが提言。委員の間にも、大学入試センター試験を資格試験化してはどうか、との意見があった。資格試験化の定義は一通りではないが、外国での例も多く、十分に研究し、議論するだけの価値はあった。
ところが中教審は、現実的ではないなどとして「否定的に結論付けざるをえない」と一蹴(いっしゅう)した。否定するにしても、説得力がない。
「まとめ」では、芸術関係の大学では、センター試験の結果を複数年度利用するのも良いとした。事実上の資格試験化だ。また「センター試験の結果を、A・B・C・Dなどの段階別にまとめ、他の選抜資料と組み合わせて合格者を決定する方法」も提示しているが、これも資格試験的取り扱いに通じるものがある。
中教審は、資格試験化について自ら提示した方法も含め、抜本的な入試改革の可能性をさまざまな角度から検討する必要がある。まだまだ、議論の余地があるように思う。
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