日本財団 図書館


1993/09/09 毎日新聞朝刊
[社説]教育 画一制度に風穴開ける試み
 
 数学か物理で特別に優れた能力のある高校生に、大学レベルの教育を受けさせよう――という新しい試みが、来年度からスタートすることになった。
 これは戦後の画一的な教育の反省から、子ども一人ひとりの能力を伸ばす「個性重視の教育」を打ち出した臨時教育審議会と、それを受けた第十四期中央教育審議会の答申(一九九一年四月)に基づくものだ。
 その中教審答申は高校教育改革の一つとして「生徒の個性を伸ばす」ために「特定の分野で特に能力の伸長の著しい者」を対象に、大学レベルの教育を受けさせることを提案していた。
 「特定の分野」については大学教授、研究者らからの意見聴取などで「数学と物理は若い時期に才能が芽生え、花開くケースが多い」との証言を得ていた。
 その例として、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士が、受賞対象となった「中間子理論」を二十七歳のときに発表したことなどを挙げている。
 数学や物理は自然科学の基礎であること、日本は基礎研究で遅れていることを考えれば、この分野に絞ったことも、うなずける。
 文部省はこの答申を具体化するために専門家による協力者会議を設けて検討、近くまとまる中間報告に沿って、来年度からの施策を発表したわけだ。
 計画によると、来年度は国立六大学、公私立二大学、民間教育二団体に計二千九百万円の予算を出し、公開講座や特定科目の履修という形で九百人の高校生を受け入れる。
 いまの学校制度では十八歳以上でないと大学など高等教育機関で教育を受けられないことになっている。
 今回の新制度は、これを崩し、数学と物理に限って優秀な高校生に「例外的に」大学教育を受けることを認めるもので、「同じ年齢の者が同じ教育を受ける」という従来の画一的な制度に風穴を開けるものとして注目したい。
 ただし、この制度は、あくまで高校に在籍しながら、大学の公開講座や特定の科目を履修するもので、欧米のように、大学生として入学を認めるわけではない。
 過熱する受験競争の現状を考えれば、この日本的システムの方がベターであろう。
 課題は、数学や物理に「特に能力の著しい」生徒をどう選ぶかだ。単にペーパーテストに強いだけの受験秀才では趣旨に反する。「受験エリートに利用される制度であってはならない」と中教審答申もクギを刺しているところだ。ざん新な発想力や応用力、創造力を秘めた生徒を対象にすべきである。したがって、選ぶ側の“眼力”も求められる。
 また、彼らの才能を開花させるためには、得意な分野だけを狭く学ばせるのではなく、幅広い視野と教養を身につけさせる教育上の配慮も必要だ。専門以外のことは無関心、で通用する時代ではないからだ。
 すでに東京工大や名古屋大などで「高校生のための現代数学」といった公開講座が開かれている。それに参加した高校生たちは「受験のための数学より楽しい」「数学の面白さがわかった」と言っている。
 このことは、数学に限らず入試やテストのための授業への反省を迫っているともいえよう。
 個性を伸ばす教育をするためには、受験教育から脱皮しなければならない。今回の新制度は、そのことをも問うているととらえたい。


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION