日本財団 図書館


1993/06/22 毎日新聞朝刊
[社説]教育 権利条約と教師の意識改革
 
 「先生に思い切り顔を殴られた。学校に行くのが怖い」「小学一年から、ずっといじめられてきて、死にたいと何度も思って、手を切ったこともある」
 録音テープから流れる悲痛な声に、子どもの権利条約を審議する衆院外務委員会の委員有志たちは真剣に耳を傾けていた。
 その条約は参院に送られ、可決寸前までこぎつけたが、衆院解散のあおりで流れてしまった。
 子どもに基本的人権と市民的自由権を保障するこの条約は、息の詰まる学校生活を送る子どもたちを救済するとともに、子どもに社会的自立を促すものとして早期完全批准が期待されていただけに廃案は残念だ。
 もっとも、与野党とも批准そのものには基本的に合意しているから、次の国会で可決されるはずだ。これまで条文の訳語や解釈をめぐって、審議が十分尽くされたとは思えないから、改めてしっかり条約の精神を踏まえた審議を望みたい。
 かねてからこの条約に取り組んできた日教組は先週、大阪で開いた定期大会で、条約を学校現場に生かす運動方針を決めた。
 「条約を学習し、学校に何が求められているか、何をしなければならないかを明らかにし、教職員の意識改革を図る」とし、具体的には校則の見直し、いじめ・体罰の根絶、内申書など教育情報の開示に取り組むことにしている。
 子どもの置かれた状況を一刻も早く改善しようと、批准を前提に教師たちが動き始めるのはいいことだ。
 大会の討論でも「この条約をもとに、教育に対する新しい見方、考え方をつくり出す必要がある」「条約の精神を生かして、子どもが主人公の学校づくりを」といった意見が相次いで出された。
 北海道の教師は、ある中学校の生徒会が制服廃止に取り組んだ様子を報告、「服装が自由になって気持ちが明るくなった」「制服を着なくても、きちんと生活ができることを、先生が信じてくれたのがうれしい」と生徒たちの反応を紹介した。
 条約に定めた、自分にかかわることへの意見表明権や表現の自由などを保障することで、生徒に自主・自立・自律の精神が育つこと、そして子ども中心の学校へつくり変えていく道筋を、この報告は示している。
 しかし一方で「条約を学校に受け入れる力量が私たちにあるだろうか」「教師一人ひとりの人権感覚が問われている」といった発言も大会で聞かれた。
 この指摘こそ、学校現場の現実を突いているといえよう。いまの学校状況や教師の意識を見ると、そう簡単に条約の精神が学校現場に浸透するとは思えない。
 教師たちはこれまで「教育的配慮」という錦(にしき)の御旗(みはた)のもと、子どもを「管理」し、「指導」することを職務と心得てきたからだ。
 それが厳しい校則や体罰、暴言となって表れ、子どもの心を抑圧し、登校拒否や中退、いじめを生む土壌になっていた。
 条約はそうした古い体質の学校を変えていく跳躍台になるだろう。そのためには、日教組の運動方針にもあるように、教師の人権に対する意識改革が何より必要だ。
 意識改革といえばおおげさだが、要するに子どもに対する教師の心の持ちようを改めるということだ。
 子どもの悩みを共に悩む、子どもの笑顔を大切にする、そんなことから変わっていくのではないか。


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION