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1992/05/16 毎日新聞朝刊
[記者の目]学校週5日制の実験校を取材して・・・完全に自由な時間を
 
 学校週五日制が今年九月から、毎月第二土曜日を休みにするスタイルでスタートする。幼稚園、小・中学校から高校、特殊学校まで、学校教育史上最大規模の変革が行われようとしている。こう言っていいほどのものだが、五日制が実施された時、本当に学校生活にゆとりが生み出され、生徒たちの個性が伸ばされるのだろうか。私はこの間、文部省が五日制の実験校に指定している東海地方の小、中、高校を取材してきた。その中で、「ゆとり」とは違う方向の問題点がいくつか目についた。<沢圭一郎・中部報道部>
 休みの土曜日に趣味講座を開くなど、親や教師が、五日制対策で良かれと思ってしていることが、逆に子供を縛っているのだ。多忙だといわれる子供たちに、完全に自由な時間が与えられなければ、五日制の意味はないと思う。
 先日、愛知県春日井市の市立石尾台中の水野明校長は、感慨深げに二年前の職員会議の模様を話してくれた。全国六十八の実験校の一つに指定された直後の会議だ。
 放課後の職員室には約四十人の教師が、やや緊張した表情で集まっていた。水野校長が切りだした。「五日制の実験校として、生徒の学力低下だけは避けなければならない。現在の授業時間を確保したまま土曜日を休みにするには、学校裁量の時間をつぶすしかないと思います」
 教師の間には戸惑いも見られた。しかし、結局この方法しかないと、ほとんどがうなずいた。
 「学校裁量の時間」。十五年前に改訂された学習指導要領で登場した、いわゆる「ゆとりの時間」は、週に二、三時間をボランティアやスポーツ大会などに充てている。
 「ゆとりの時間をつぶし、子供の自主性を奪って何が週休二日制なのか」の声もあったが、現在の学習指導要領では、どこかに土曜休日の時間割を組み込まなくては授業が消化できない。文部省はあくまで、現行の授業時間を守りながら、五日制実施を進める構えだ。
 遠足、運動会の中止や家庭訪問時間の短縮などで土曜日分の授業を実施。石尾台中をはじめ、各実験校では授業時間のねん出に追われている。
 ゆとりを求める五日制なら、当然のこととして、それに即した指導要領がいるはず。時間割にしわ寄せがいったり、行事をカットして間に合わせるのでなく、無理のない時間割が組める指導要領に変えていくべきだ。
 塾通いの増加という問題もある。
 名古屋市内の進学塾で、小学五年生のクラス(二十人)を取材した。「仮に土曜日も朝から授業をするといったら、来たいと思うか」と私が尋ねるとだれも手を挙げなかった。が、「親に行けと言われると思うか」と聞くと、全員が即座に手を挙げた。
 「土曜休日には何をしたいか」。全員一致した答えは「ゆっくり眠りたい」だった。
 休みたくても休めない子供たち。
 実際この塾は、五日制が実施された場合、土曜日の午前中から授業を計画している。
 今の受験体制が続く限り、学校が子供たちを手放しても、結局、塾などが子供たちを吸収してしまうのではないか。この疑問を強く感じた取材だった。「家庭に子供を戻す」という文部省の狙いが実現されるためには、親たちも相当意識を変える必要がありそうだ。
 公民館などで地域の人が中心になって、映画会や趣味講座のような行事を行う「受け皿」づくりをめぐってもさまざまな議論が出ていた。
 石尾台中では、「休みの日に何をしたらよいかわからない」という生徒のために、休みの過ごし方を教える趣味的な講座の設置を検討。二年前の一回目の土曜休日には、市教委とタイアップして中京大学教授を招き「体力づくり講座」を開いた。体育館を開放してのイベントに、珍しさも手伝って親子約百人が参加。地域の「受け皿」づくりの模索が始まった。その後も教師や親がさまざまな講座を設けた。「化学実験」「話し方教室」「詩吟」……。だが、回を重ねるごとに参加人数は減ってきた。
 最近では、ほとんどの生徒が旅行したり、家族と一緒に過ごしており、講座は廃止の方向だというが、管理に慣れた生徒はいきなり自由にされると戸惑うようだ。
 だが、このような行事を催して子供たちを参加させるのも、大人が敷いたレールの上を歩かせることになるのではないか。おそらく、九月からの五日制実施に向けて各学校でも「受け皿」対策を考えるのだろう。しかし、無理に行事を作って子供を縛ることは授業をするのと同じことになってしまう。
 「大学生ですら自由な時間に慣れていない。時間が空くと『何かしなければ』とすぐにスケジュールを組んでしまう。五日制といっても、受け皿、塾なんて気にせず即刻全部の土曜日を休みにすべきだ。そうしないと、結局子供たちを自由にするという目的には行き着かないだろう」。元京都大学教授で数学者の森毅さん(65)は、こう指摘している。
 欧米各国のほとんどの学校は、五日制だ。家庭を中心とした地域の教育も充実している。
 「教会の行事で、休みの日に子供たちを集めようと思っても学校の部活動や塾で、年に一度も集まれない。こんなバカなことはない」
 東海地方で外国人労働者の支援活動を続け、日本の教育問題についても発言している小牧カトリック教会(愛知県小牧市)のステファニ・レナト神父(54)の実感だ。
 母国イタリアから来日して三十年余り。地域に根づいて子供や親の姿を見てきた。
 「日本の学校は、国や企業にとって都合の良い、管理されやすい人間を育てる教育しかしていない」。こう述べたうえで「親も子供もそのことに矛盾をほとんど感じずに、学校がすべてと思っている。今の学校信仰が変わらない限り、五日制にしても欧米諸国のような家庭を中心とした、子供の自主性をはぐくむ教育はできない」と批判する。
 「学校信仰」
 取材中、私自身も幾度となく感じたことだ。
 何の規制も受けず、好きな時間を過ごせる週末の二日間が必要だ。「学校至上主義」でなく、子供の教育はもっと家庭が担うべきだという意識を親の間に浸透させるきっかけになれば、学校五日制は真に大教育改革と言えるだろう。そうでなければ、今までの連休と何ら変わりがない。
 「ゆとり」という言葉がむなしく響く。


 
 
 
 
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