日本財団 図書館


1991/04/03 毎日新聞朝刊
[教育どこへ]先生の現実 断絶と交流/1 燃えた生徒に「上意下達」の冷水
 
◇夢と消えた野球部
 いよいよ佳境のセンバツ高校野球。甲子園の球音が全国のお茶の間に響く。日本高野連の加盟チーム数は年々増え、昨年末で硬式四千四十七校。とかく暗い話題が続く高校界の中で、甲子園は夢だ。ところが、生徒の強い要望がありながら、教師の反対で野球部創設を見送った学校がある。
 名古屋市郊外の愛知県立旭野高校。大学進学で実績を積み上げつつあるこの高校で昨秋、創立二十周年を機に「ぜひ野球部創設を」の声が生徒有志から上がった。一年生の約六割にあたる三百十八人分の署名を集め、記念事業の準備を進めるPTA会長(51)の元へ駆け込んだ。
 「市長も応援してくれる」と、張り切る会長。だが、山北尭垤校長(60)は「やり方がルール違反。進学率が下がるのでは」と渋い顔をした。両者の顔色をうかがって困惑する教頭ら。「野球部」の話は職員会議の議題に上らなかった。
 署名活動の中心になった男子生徒はもどかしそうに話す。「陰で賛成してくれる先生は多い。皆が納得のうえで、スタートしたかったのに……」。グラウンド探しまでやる生徒の熱意に動かされ、体育教師が顧問を買って出た。それなのに話は一歩も進まない。「先生に口止めされているから」と、最後には生徒も黙り込んだ。
 三学期早々、小さな「事件」が持ち上がった。二年の男子生徒が、校則に違反して、ガソリンスタンドでアルバイトをしていたことが発覚、二日間の謹慎処分になった。大半の教師は処分が決まった後で、それを知らされた。
 同校では、生徒指導は校長、教頭、学年主任らの特別指導委員会で決まり、教師らは担任ですら参加を許されない。たまりかねたベテラン教師が反抗に出た。「生徒指導は職員会議に出すべきだ」「まともな学校のやることじゃない」――赤ペンで大書きした段ボールを、職員室の自分の机に立て掛けた。急きょ開かれた職員会議、山北校長は言明した。「職員会議に諮る必要などない。やり方を変えるつもりはない」
 匿名を条件に、数人の教師が重い口を開いてくれた。「野球部も校則も、生徒指導にかかわることは、校長らお上の命令がないと動けない」「野球部を応援したい、もっとオープンに教育問題も語りあいたい。でも、管理職に逆らって、異動で指導困難校に飛ばされるのが怖い」
 深夜に及ぶ進路協議。正月には、三年生の担任がそろって合格祈願もした。熱心な教師ばかり。だが、実態はまるで校長のロボットのようだ、というのである。
 二月下旬に開かれた記念事業の最終準備会。校長の意見が通って野球部創設は見送られ、記念事業は体育館の暗幕贈呈に変わった。全校生徒には、その結果が報告されただけだった。
 校長室に、山北校長を訪ねた。「新しい部の創設は、生徒指導課特活係の先生が担当する決まり。予算の検討が必要だし、水泳部をつくるときも二年かかった。生徒全員に還元できる暗幕の方が、記念事業にふさわしい」と、正しさを強調した。
 帰り際、もらった父母向けの学校新聞に「異質との出会いと自己変革」と題する校長自身の投稿があった。ベルリンの壁崩壊など激動の世界情勢の中、日本の閉鎖性と停滞性を指摘。「同質社会からの脱皮と行動範囲を広げる努力」を呼びかける内容だった。しかし、二時間に及ぶ話からは、旧態依然とした学校の殻を破ろうとした、生徒への理解の言葉はついに聞かれなかった。
 三月末、山北校長は三十六年間の教師生活を終えた。その胸に去来するのは「野球部はつくらない」伝統を守った満足感なのだろうか。=つづく


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION