プール、ゴードン両氏はじめ日本国憲法制定の草案を手掛けた旧連合国軍総司令部(GHQ)民政局のメンバーに共通していることは、「高学歴」で発言がしっかりしていることのほか、軍事組織の一員で、命令要領で作業がなされたこともあり、職務に「忠実」で、そこに私心がないことなどだろう。特に、一週間で「女性の権利」や「象徴天皇制」の源流をつくったことは評価しておきたい。
そのうえで、事実関係に対する認識の一部が間違っていることは指摘しておかねばならない。例えば、プール氏は日本側が内閣や国会で草案をすべて承認し、天皇陛下が内閣を調整したという意味の発言をしていたが、これは正確とはいえない。憲法制定は、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥の示唆で始まり、GHQ案の提示によって急転し、GHQの上部機関・極東委員会の監視の下で展開し、元帥の最終承認によって効力を発した。当然、日本国憲法制定のため、民政局内に設けられた運営委員会の委員長、ケーディス米陸軍大佐のチェックを受けており、内閣や国会は反対できる立場にはなかった。しかも、当時はGHQの作った草案に関するマスコミ報道などは厳しく規制・検閲され、関係記事・文章は削除されていた。
ところで、今日の両氏の発言を総括すると、民主主義の「申し子」「先兵」との印象を深くする。彼らの考えは西洋的民主主義で、日本のためとは言うものの、そこには米国的視点から見た民主主義を絶対、植え付けねばならないという使命感を感じる。悪く言えば、ある程度、強制的に植え付けようとしていた。従って日本の伝統文化といった“日本的なもの”がにじんでいない。
また、両氏の証言にもあるように「密室」の中で草案の作成作業が実施された。このことは、主に彼らの頭の中だけで憲法が草案されたことを実証している。事実、元帥は米国務省の指令を受けることを快く思わなかったし、元帥の思うままに動かせる民政局以外は、米国や連合国の公的機関といえども、作業への参画は事実上、シャットアウトされていた。
さらに、ゴードン氏が日本の図書館などを奔走し、各国の憲法を収集したのは事実だろうが、民政局内のそれぞれのセクションが一週間という短期間で、そうした資料をどの程度読み、検証し、そして参考にできたかは疑問だ。
一方、憲法改正についてプール氏が「改正」に理解を示し、自衛隊の存在と国際平和維持への参加をきちんと明記すべきだと述べたことに注目したい。なお、一九八四年から八五年にかけ、他の民政局のメンバー数人の証言を取って回ったが、彼らからも「暫定的」であることをうかがわせる発言が相次いだ。ゴードン氏は「護憲」の立場を強く主張していたが、半世紀以上もたって世の中と齟齬(そご)をきたした憲法の存在を全面的に認めていることは非現実的だと思う。
とはいえ、今後も草案過程を検証し、これからの日本の在るべき姿=憲法の在り方について考えていくことは重要で、両氏の発言もそのきっかけになるものだったことは間違いない。(談)
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