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1993/11/27 産経新聞朝刊
【沈黙の大国】(215)憲法への視角(10)ニューウエーブ
 
 長期連載「沈黙の大国」は、顔のない国といわれる日本が国際社会でその「顔」を示していくにはどうすべきか、さまざまな角度から追い求めることをねらいとした。取材班は、その長い旅が終わりに近づいた場面で、やはり、憲法にぶつかった。九条をはじめとする多くの制約が、日本の脱皮を阻む最大の要因となっているのではないか。日本人の生き方そのものをも、ねじ曲げてきたのではないか。われわれはそうした思いをぬぐえない。「平和憲法によってこそ平和は守れる」といった観念的平和論、一国平和主義では、もはや、日本は国際社会の孤児となる以外にないのではないか。憲法見直しをめぐる新しい動向を報告して、「憲法への視角」シリーズを終える。
 
◆学生の過半数“改憲派”
 慶大法学部で憲法を担当している小林節教授(四四)は、学生の意識の急激な変化を改めて痛感したという。
 小林氏が初めて学生の前で講義したのは十四年前。五百人が収容できる大講義室だった。最初の講義で改憲の是非について尋ねると、「改憲容認」という学生は数人しかいなかった。
 しかし、今年の春、同じ質問をすると、過半数の学生が挙手したのである。同時に、「きちんと説明できなくてもかまわないが、自衛隊を合憲と思うか、違憲と思うか」と聞くと、やはり半分以上の学生が「合憲」と答えた。
 十数年前と現在の反応を比べて、小林氏は「憲法に対する考え方が、柔軟になってきた証拠の一つだと思います」と指摘する。
 「憲法守って国滅ぶ」−。いささか刺激的なタイトルの改憲論を小林氏が発表(KKベストセラーズ)したのは、昨年春だ。すでに二万部が売れ、この種の硬い本としては破格の売れ行きといっていい。
 この本を出版したことで、小林氏にはさまざまな批判、攻撃が集中した。右翼からは脅迫めいた言葉をぶつけられ、左翼からは「軍国主義者」とたたかれた。憲法学界の会合で、重鎮の一人から「君は右翼だよね」と面と向かっていわれる目にもあった。午前一時か二時になると、電話がかかってくる。受話器をとると、相手は「小林先生のお宅ですね」とだけいってガチャンと切る。そんないやがらせが続いた時期もある。
 右からも左からも攻撃され、学界からは異端視されるかたちになったこの本の基本的な趣旨は、「憲法は国民が幸福になるための道具にすぎない。それならば、時代にあわなくなったり、使う側(国民)が使いにくいと感じたら、変えてもいいのではないか」というものだ。
 
◆条項ごとに“是々非々”
 本では、各条項ごとにその理由を述べており、天皇制、元号・日の丸・君が代、九条問題から、基本的人権の拡充や政治改革まで言及している。九条に手をつけることで国際貢献の幅を広げるべきだと主張する一方で、環境権やプライバシー保護などを盛り込み、憲法条文上の根拠をはっきりさせる必要性を説いている。
 個別の条項ごとに「是々非々」を問うた論じ方は、かつて、護憲派はもちろん改憲派にもなかったものだ。それが、左右両派の拒否反応を招いた最大の要因らしい。既成の改憲論にしばしばみられていた「戦前日本への回帰」を促すような論旨も徹底して排除している。
 もちろん、好意的な反応もあった。財界や政界、さらに学生グループなどから、「話を聞かせてほしい」という要請が増えたのである。
 小林氏は、こうした「柔らかな改憲論」にたどりついた契機として、二十九歳のとき、米ハーバード・ロー・スクールで独立戦争について学んだ体験をあげる。
 「国家も憲法も、国民が幸福になるための道具である。しかも、憲法というのは、特定の時代的な制約のもとで、神ならぬ不完全な人間がつくるものだ−という話から始まったのです。それで、目からウロコが落ちました」
 小林氏は、かつて改憲論の主流だった「連合国軍総司令部(GHQ)による押し付け憲法論」にはくみしない、とも力説する。
 「押し付け憲法論は、敗戦ショックの裏返しです。ぼくは典型的な戦後世代ですが、この世代には、そうした感覚はまったくないのです」
 事実、ほぼ同世代で、軍隊の保持を認めていない九条二項の修正、削除を唱えている立教大学の北岡伸一教授も、「自主憲法であろうが悪いものは悪い。押し付け憲法でも、役に立つものは役に立つ」と、この点では小林氏と一致している。
 
◆かみ合わぬまま半世紀
 小林氏の本は、その後出版された憲法関係の著作のほとんどに、参考文献として記載されてはいない。学術本としてはみなされなかったのか、それともあえて無視されたのか。あるいは、これまでの護憲Vs改憲の対立構図をくつがえしかねない内容に、既成の論者たちが警戒感を抱いたか。
 「改憲への流れはできていると思います。あとは加速するかどうかでしょう」(小林氏)
 日本国憲法を「平和憲法」と称して神聖視する護憲派と、とかく「押し付け憲法論」を掲げ「戦前へのノスタルジー」がちらつきがちな改憲派。双方の議論は一向にかみ合わぬまま半世紀が過ぎた。閉塞状況に陥っている憲法論議に風穴を開けるのは、こうした戦後世代のニューウエーブなのかもしれない。
 
<憲法制定史>
 
昭和20年
8・15 ポツダム宣言受諾
10・9 幣原喜重郎内閣発足
11 マッカーサー連合国軍最高司令官、幣原首相に憲法改正を示唆
27 松本烝治国務大臣を長とする憲法問題調査委員会(松本委員会)発足
昭和21年
1・11 米政府が「日本の統治体制の改革」を連合国軍総司令部(GHQ)に送付
2・1 毎日新聞が松本委員会試案をスクープ
3 マッカーサー、GHQ民政局に憲法草案の起草を命令
8 松本案、GHQに提出
13 GHQ、松本案を拒否。英文草案を日本側に提示
3・6 GHQ案に基づく憲法改正草案要綱を公表
4・10 初の女性選挙権を認めた総選挙実施
17 改正草案要綱を口語で文章化した憲法改正草案を作成
5・22 第1次吉田茂内閣発足
6・20 第90回帝国議会の衆議院に帝国憲法改正案として提出
25 衆議院に憲法改正特別委員会設置。共同修正のための小委員会(芦田均小委員長)が修正作業に当たる
8・1 9条に関する「芦田修正」まとまる
24 衆議院で可決
10・6 貴族院で可決
11・3 日本国憲法公布
昭和22年
5・3 日本国憲法施行


 
 
 
 
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