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1993/11/25 産経新聞朝刊
【沈黙の大国】(213)憲法への視角(8)“硬性”の壁
 
 日本の憲法は“硬性憲法”といわれる。改正手続きにきわめて厳しい条件を課しているからだ。それが、「どうせだめなのだから」と憲法改正論議の深まりを妨げてきたという側面はなかったか。制定後、一回も改正していないというのは、世界では常識外のことなのだ。
 
◆必要があればいとわず
 「閣僚に対する弾劾裁判をもっと容易にできるように、憲法を改正したい」
 昨年十一月、フランスのミッテラン大統領は、テレビ会見で、閣僚弾劾裁判の制度改正などを含む大がかりな憲法改革に踏み切る意向を表明した。
 背景となったのは、国立輸血センター所長がエイズ感染を予見しながら加熱殺菌しない輸血用血液の使用を放置、約千二百人が感染した事件だ。当時のファビウス元首相ら閣僚の責任も追及された。閣僚の弾劾裁判は国会議員で構成する高等法院が当たることになっていたが、これが有効に機能せず、訴追に手間取った。
 フランス議会は今年七月、大統領の国家反逆罪を除く犯罪は通常の裁判所で審理するとして、閣僚の弾劾裁判を容易にする憲法改正を決めた。昨年、マーストリヒト条約批准に関連して主権条項を改正しており、二年続きの改憲だった。
 フランスに限らず、各国とも必要があれば憲法改正をいとわない。主要国の第二次大戦後の改正状況をみると、スウェーデン、メキシコ、ドイツ(旧西独)、スイスなどは三十回を超えている。
 昭和二十一年(一九四六年)十一月の公布から四十七年余り。この間、一度も憲法を改正していない日本は“世界の常識”からすれば異例中の異例ということになる。
 「世の中の進歩は激しく、昔の百年は今の十年に等しいとさえいえますが、法はつくられた時点で静止します。昭和二十一年のままで止まっている日本国憲法と現実の間には、大きなギャップが生まれています」
 新しい時代を迎えて憲法改正の必要性は一段と強まっていると、自主憲法期成議員同盟・制定国民会議の清原淳平事務局長は力説する。
 国の基本である憲法に対する世界の考え方は不変ではない。十八−十九世紀のヨーロッパでは、絶対君主制に対して、農民側が「自ら開墾した土地は自分のものだ」と私的所有権を求めて立ち上がり、憲法にも財産権の絶対不可侵の思想が盛り込まれていった。
 しかし十九世紀半ばから二十世紀にかけ、私有財産をめぐってトラブルが生じ始め、他人の権利、公共の福祉を害してまで個人の権利は主張できないという認識が生まれた。ドイツの基本法やイタリアの憲法には、権利は義務を伴うという考え方が明記されている。
 
◆10年がかりで規定緩和
 最近、憲法改正を行った国は、社会福祉、環境、高齢者問題などへの対応といった新しい概念も盛り込んでいる。
 では日本も、時代の変化を踏まえて憲法を変えていくことが可能か。ここで難しい課題が立ちはだかる。
 日本国憲法は第九六条で改正手続きを規定しているが、各議院(衆院と参院)の総議員の三分の二以上の賛成と国民投票で過半数の賛成が必要−と定めている。
 〈国民投票で過半数の支持を得るか、上下両院の合同会議で五分の三以上の賛成〉=フランス
 〈連邦議会で三分の二以上の賛成〉=ドイツ
 日本の場合、ドイツと同じ「三分の二以上」でも、国会議員全体ではなく各議院の総議員とする点でハードルが高い。世界的にみてもかなり厳しい改正規定であり、改正しにくい憲法(硬性憲法)に分類されている。
 厳しい改正規定を十年がかりで緩和して、憲法を変えた国がある。核の所持と持ち込みを禁じた非核憲法で知られる西太平洋のベラウ共和国だ。
 ベラウは米国と自由連合協定を結び、防衛権を米国にゆだねる道を選択、核搭載艦船の寄港などを認めることになり、憲法改正を迫られた。しかし、八三年から七回行われた住民投票では、改正に必要な「七五%以上の賛成」が得られなかった。
 そこで昨年十一月、住民投票で、この問題に限っては「過半数以上の賛成」で改正を可能とするよう変更。今月の住民投票で、改めて過半数を獲得して憲法の非核条項を一部凍結した。時代の変化に対応した改憲に向けてウルトラCを行使したともいえる。
 「欧州大陸の考え方では、国の基本の価値観をあらわすものが憲法であり、矛盾が出れば直します。一度変えたらきりがないと心配する日本人の気持ちも分かりますが、憲法改正は正常化へのステップです。改憲したから軍国主義になるというわけではなく、民主主義国としてもっと自信を持つべきです。憲法は絶対変えないという考え方は政治的というより宗教的と言わざるをえませんね」
 在日通算二十七年になる南ドイツ新聞(本社・ミュンヘン)極東特派員のG・ヒールシャー氏の指摘だ。
 
【日本国憲法】
〈第九章 改正〉
第九六条【改正の手続、その公布】
 (1)この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 (2)憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。


 
 
 
 
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