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1993/11/23 産経新聞朝刊
【沈黙の大国】(211)憲法への視角(6)空白の1分間
 
 日本中が深夜までテレビの前にクギ付けとなったサッカーW杯アジア地区最終予選。観客席では日の丸が打ち振られ、試合前のセレモニーで、人気選手・カズも右手を胸に当てて君が代を歌った。そこには何の違和感もなかったはずだ。しかし、日本では、憲法にも法律にも、国旗・国歌についての定めは一切ない。そのことは、「日の丸・君が代は戦前の軍国主義を想起、復活させるもの」とする勢力にとって、国旗・国歌を否定する論拠ともなっている。
 
◆3人だけで歌いあげる
 埼玉県立川越西高校の松崎中正校長(五九)は、県内の前任校で経験した「あの日」を忘れない。二年前(平成三年三月)の卒業式でのことだ。
 君が代斉唱に強く反対する教職員側と激しい応酬を経て、式当日を迎えた。松崎氏は教頭、事務長と三人だけで、伴奏もないまま君が代を歌ったのだ。「どうして、みんな分かってくれないのだ」−。訴えかけるように、体育館中に響き渡る大きな声で歌いあげた。
 松崎氏が前任校に着任したのは、平成元年四月。校長として初めての赴任だった。それまで三十年を超える教員生活で、ただの一度も、日の丸・君が代のある入学式、卒業式を経験したことがなかった。
 しかし、校長となって「素直に国旗・国歌を尊重する心を育てたい」と、年来の持論を踏まえて教職員を説得した。さっそく入学式で校庭のポールに日の丸を掲揚し、翌年からは式場内にも掲げることを実現させた。だが、君が代斉唱は受け入れられなかった。当時、埼玉県内の公立高校の斉唱率は十数%にすぎなかったのである。
 
◆教職員側と“妥協案”
 しかし、文部省の学習指導要領が、「(入学式や卒業式などで)国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」から「掲揚、斉唱するよう指導するものとする」に改訂(平成元年告示)され、県教委は二年度からの実施を指示した。これを受けて、松崎氏は三年三月の卒業式を前に、君が代斉唱を改めて強硬に主張した。
 「国際化が進展するなか、すべての国の国旗・国歌を尊重する態度を育成することは、教育の責務ではないか」
 「教職員が個人として、どんな思想・信条を持とうと自由だが、学習指導要領に基づいて職務を遂行すべきである」
 松崎氏は懸命に説得したが、教職員側は「日の丸・君が代が、国旗・国歌である法的根拠はどこにもない」と突っぱねた。攻防が展開され、最後に、教職員側は「式の途中で、空白の一分間を用意する。その間に校長が勝手に君が代を歌っても黙認する。その代わり、日の丸は式場内には掲げず、校庭のポールだけにする」と“妥協案”を示してきた。松崎氏はこの条件で折れた。
 教頭と校長の式辞の間にセットされた“空白の一分”。突然前触れもなく、松崎氏らが君が代を歌い出すと、生徒の間からなにごとかとざわめきが起きた。しかし、歌い終えると、父母席からは大きな拍手がわきあがった。
 松崎氏はその卒業式を最後に、現在の川越西高校に異動した。当然、君が代斉唱を実施している。前任校でも今年の卒業式では、全員による斉唱が行われたという。
 
◆“慣習法”では不十分
 学習指導要領の改訂後、全国の小中学校、高校の入学式、卒業式での日の丸掲揚率、君が代斉唱率は、年々アップしている。
 今春の卒業式で、公立校の全国平均は、日の丸掲揚率が九割を大きく超え、君が代斉唱率も七−八割にまで達している。しかし、地域間の格差が大きく、高校の君が代斉唱率は、大阪府では〇%、東京都、神奈川県でも三%台にすぎない。
 自民党は今国会に、国旗法案と国歌法案を同時に提出する準備を進めている。
 提案者の中山正暉代議士(六一)=元郵政相=は、「毎春、国旗・国歌をめぐり校長が現場でつるし上げをくうなんて、異常すぎます。“慣習法”では不十分で、法律的根拠を持たせなくてはなりません。現行法では、船舶法、自衛隊法、商標法で『国旗』という言葉を用いているが、国旗そのものの定めはない。もちろん憲法に盛り込めればベストだが、改正は容易ではありませんから」という。
 しかし、「反対派が“違憲”だとして反発するのは必至で、日の丸・君が代が政争の具として使われる懸念がある。成文法化するなら、あくまで憲法に盛ることを目指すべきでしょう」(青山武憲・亜細亜大教授)とする指摘もある。
 青山氏は「日の丸・君が代がかつて戦争の道具にされたのは、わが国の長い歴史のなかで瞬時にすぎない。瞬時をもって万事を論じるというのはどうか。反対派は『君』が天皇を指しているからというが、国民の象徴と定めてある以上、主権在民とは矛盾しません」と主張するのである。
 
【国旗・国歌法案】
 自民党が打ち出した国旗法案は4条から成る。骨子は
 (1)国旗は白地の中央に紅色の日章旗とする
 (2)国旗の縦は横の長さの3分の2とし、日章の直径は縦の長さの5分の3とする
 (3)祝日や国の慶弔のときには国旗を掲揚する
 (4)国旗は厳粛に取り扱い、尊厳を汚してはならない
 ―など。国歌法案は1条のみで、「国歌は『君が代』である」と規定している。諸外国では、ほとんどが憲法(ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、中国、スペインなど)、あるいは法律(米国、メキシコ、スウェーデン、フィンランドなど)で国旗を制定しており、慣習によっているのは、英国、イスラエルなど少数。国歌は法制定と慣習が半々。


 
 
 
 
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