1993/11/17 産経新聞朝刊
【沈黙の大国】(207)憲法への視角(2)「湾岸」の落差
湾岸危機は日本に国際貢献体制が備わっていない実態を突き付けた。「カネだけ」の貢献では、国際社会から敬意をはらわれる対象にはなり得ないことを、いやというほど味わった。人的貢献体制が後手に回ったのは、憲法九条の存在と無縁ではない。
◆人は出さない“日本式”
平成三年十月三十日朝、半年に及ぶペルシャ湾での機雷掃海作業を終えた海上自衛隊派遣部隊の艦艇六隻が広島・呉基地に帰港した。
基地には、海部俊樹首相、池田行彦防衛庁長官らにまじってクウェートのアルシャリク駐日大使(いずれも当時)の姿も見えた。桟橋での式典で、アルシャリク大使は「日本の国際的な役割と責任を果たそうとする姿勢が、世界に示された」と掃海作業にたずさわった隊員らの労苦に感謝の意を表した。
この事実と、同じ年の春にあった“クウェート感謝広告事件”を対比してみよう。
イラク軍をクウェートから撤退させた多国籍軍の活動に感謝する趣旨の全面広告が、その年の三月と五月、米紙ワシントン・ポストなどに掲載された。米国など約三十カ国の国名が並んだが、「日本」はなかった。
二年八月のイラク軍のクウェート侵攻以来、日本が多国籍軍に援助した額は百三十億ドル(約一兆四千億円)。湾岸当事国を除けば最大規模の資金を拠出したにもかかわらず、まったく無視されたのだ。
それが、実際に機雷掃海作業で汗を流すと、クウェート側はていねいに礼を尽くしたのである。この二つのケースの落差をみると、「カネは出すが、人は出さない」という従来型の日本のやり方が、国際社会には通用しないことを浮き彫りにしている。
「ワシントン郊外の大学教授宅に招かれて、ファミリーコンサートを楽しんだときのことです」−。ちょうどこのころ、ワシントンの国際機関に出向していたある官僚は、こんな体験を語る。
演奏が終わり、なごやかな談笑に移ったのだが、話が湾岸戦争に及ぶと、急に重苦しい雰囲気が支配した。教授は、何度か口を開きかけたが、結局、何も語らなかった。この教授の長男は、海兵隊の一員としてサウジアラビアに派遣されていたのである。
教授は、日本に憲法九条があることも、巨額の資金を拠出していることも承知している知識人だ。「それでも、口を開いてしまえば『なぜ日本は人を出さないんだ』と言わずにはいられない、という思いが強かったのではないか。日本人の私に対する思いやりから、沈黙を守り続けたのではないか、と感じました」。
この官僚はさらに、当時ワシントンに在住していた日本のマスコミ人やビジネスマンたちの一般的な心理を回想する。
「私自身もそうではなかったとはいい切れないんですが、在米日本人の多くは、“イラクが一〇〇%悪い”という米国の理屈についていけなかったようです。イラク・クウェートの国境画定が植民地主義の産物だったことや、隣接する国でありながら大きな貧富の差があることなどを理由に、むしろイラク同情論が強かった。米国人はそうした日本人の意識を敏感に察知していた」
◆考え方と行動にギャプ
だが、結局、日本は反イラク陣営の一員としての立場を取った。湾岸戦争後、一気に噴き出た米国の反日感情の背景には、こうした日本人の考え方と行動のギャップを感じとったからだ−と彼はみている。
湾岸危機の発生から戦争、そして終結に至る過程で、日本は憲法九条と正面から向かい合うことになった。しかし、実際には、巨額の多国籍軍への支援をしながら、「軍事費としては使わないと約束させろ」と迫ったり、いざ、人を派遣するとなると、国会は「海外派兵だ、大国主義だ」と小田原評定の場となった。憲法九条は不毛な国会論戦の道具にされてしまったのである。
戦争が終わって二年半が経過した。米国では、共和党から民主党に政権が交代し、日本でも自民党政権が倒れ連立政権が成立している。呉基地で謝意を表明したアルシャリク大使も、すでに日本にいない。そして、自衛隊がカンボジアでの国連平和維持活動(PKO)に初めて参加した。
当時の主役の多くは舞台から消え、新たな状況が生まれているにもかかわらず、最大のテーマであるはずの憲法九条をめぐる議論は、いまだに堂々めぐりを続けている。
当時、やはりワシントンに駐在し、子どもが学校でいじめられた経験を持つ官僚の一人は、「憲法九条と国際貢献、自衛隊の派遣に関して、国論が分かれているのは不幸なことです」と指摘したうえで、こう続けた。
「しかし、湾岸戦争が契機になって、国民が九条問題を真剣に考えるようになったのは確かです。その意味では、日本にとって貴重な体験だった」
だが、日本人は早くも、何が問われたのか忘れはじめている。
【日本国憲法】
〈第二章 戦争の放棄〉
第九条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
〈第五章 内閣〉
第六六条【内閣の組織、国会に対する連帯責任】
(2)内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
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