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1964/07/03 サンケイ新聞朝刊
【社説】七年間の貴重な成果 憲法調査会の答申に関心もとう
 
 憲法調査会は、きょうその最終報告書を内閣と国会に提出し、七年にわたる任務を終えることになった。
 この七年間の調査と審議を通じ、調査会はあらゆる角度から、できるかぎり深く憲法を検討しつづけてきた。その意味で、この膨大な報告書は、汗の結晶であり、努力の所産である。わたしたちはそれなりに関係者の労を多とし、その意義を高く評価するものである。
 しかし、調査会は、いわゆる憲法改悪反対を旗印にかかげる社会党議員や学識経験者にボイコットされ、その発足当初から委員の構成が一方に片よっていた。したがって、この最終報告書に盛られている意見は、日本のすべての憲法論を、もうらしているとはいえない。
 また調査会内部にも、全面改正論、部分改正論があり、少数ではあるが改正反対論があって、かならずしも、まとまりを見せているわけでもない。
 だが、調査会が、憲法問題をより掘り下げるため、その初期と中期に行なった憲法制定経過の調査と、運用の実態調査の意義は認めないわけにはいかないだろう。それはひろく海外に調査団を派遣し、何十回となく地方公聴会をひらくなど、やはり国家的機関にしてはじめてできる、スケールの大きなものであった。調査会は、わたしたちがいつかはやらなくてはならない基礎調査のデータをそろえ、理論的根拠を明示したのである。
 その後の各委員の意見と議論は、憲法の条項ごとに記述されているが、最大の焦点は、なんといっても第九条の戦争放棄の解釈論とその改正是非論であろう。わが国の自衛体制についての政治論からはじまって、憲法の運用は判例の積み重ねによってはばをもたせるという英米法的解釈と、条文の厳格な文理をたどる大陸法的解釈が対立した。
 この異なる政治論と、法理論はどの条文にも、それぞれ関連して、たがいにからみあって、多数意見と少数意見にわかれている。調査会は、それをあるがままの形で、わたしたちの前にさらけ出している。これはかしこい方法である。なぜなら、その判断はわたしたち国民がするからである。
 調査会のなかの、改正論者からは、生ぬるいといって突き上げられ、また護憲グループからは行きすぎだと非難されながらも、調査会の良識が、結果的にはわたしたちに判断の資料を提供するという、はじめの目的からはずれなかったのは正しかったのである。
 さて、憲法調査会の仕事はこれで終わった。しかし、憲法問題は、これからいよいよ本番にはいるのである。調査会は、いわば材料を集めたにすぎない。この材料をじゅうぶんに使って、なにをつくるかは、報告書を受けとった政府と国会の役目である。そして最終的には、わたしたち国民が、よしあしをきめるのである。
 池田首相は、調査会の最終報告があったからといって、にわかに改正に動き出すわけではなく、むしろ世論の動向を見てからという慎重な態度をとっている。自民党の内部は大勢としては改正論に傾いているが、なおそのなかで積極派と消極派の色分けが見られる。
 社会党や民社党は、この最終報告書をもって、憲法改悪を促進するものと見なし、いままでの護憲運動を、さらに強力な形で展開していくことになるだろう。
 このように、政府、国会方面の反響はまちまちである。しかし、問題はわたしたち国民の受け取り方である。
 長い年月をかけ、多額の国費を使い、当代一流の頭脳を動員して、つくりあげたこの貴重な成果も、それにたいして国民が無関心であったなら、なんにもならないのである。また、かりに憲法改正問題に関心をもったにしても、憲法そのものを知らなければ、正しい判断を下すことはできないのである。
 残念なことに、最近の各方面の世論調査がよれば、六千万有権者の九割以上が、憲法の内容を知らないという結果が出ている。これでは、憲法調査会がどんなに苦心して、どんなにいい報告書を書いたところで、しょせん“ネコに小判”である。
 わたしたちは、このさい、あたらめて憲法を勉強しなくてはならない。それは、憲法の第一ページを読むことからスタートすることである。憲法は、国民の幸福をまもり、理想的な国をつくるための基本法である。国民がそれを知らないのが、おかしいのである。
 憲法を読み、それを理解することによって、はじめて憲法調査会の報告にたいする批判が生じ、正しい答えも出せるのである。そして、それが、調査会のほんとうの目的であり、使命であったわけである。


 
 
 
 
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