1999/07/30 読売新聞朝刊
[論考99]憲法論議、先人の情熱見習え 調査研究本部総務・中野邦観
半世紀以上も封じ込められてきた国会の憲法論議がようやく始まろうとしている。
平和憲法と呼ばれ、不磨の大典のように神聖視されてきた現行憲法だが、その骨格は敗戦の翌年にGHQ(連合国軍総司令部)民政局メンバー約二十人が約十日間で作り上げた「マッカーサー草案」である。
占領下で日本側の主な修正要求は入れられないまま、帝国憲法改正案は一九四六年六月から十月にかけての帝国議会での審議を経て十一月三日に公布された。
占領が終わって独立を回復した後は、東西冷戦を背景に、自民党を中心とした保守陣営と社会党など革新陣営が対立し、護憲対改憲の不毛のイデオロギー論争を続けた。加えて、第九条をめぐる解釈が混乱し、自衛隊が日陰の存在だった時代も長く続いた。
改正論を口にした閣僚が何人も辞任に追い込まれ、憲法論議はタブーだった。まともな憲法論議を封じ込めてきたのは、国会の怠慢としかいいようがない。
ところが、数年前にようやく公開された帝国議会の芦田均衆院憲法改正小委員会秘密議事録では、GHQの厳しい監視と時間的制約の中で、実に熱心な審議が行われていたことがわかった。
議事録からは、新憲法を敗戦後の新しい日本建設の第一歩にしたいという、当時の議員たちの党派を超えた意欲と責任感が見てとれる。
敗戦翌年の国会議事堂周辺は一面の焼け野原とバラック建てばかり。人々は食べるものにも苦労していた。
芦田小委員会が開かれたのは七、八月。冷房がないので事務局が一日に二回ほど、ぶっかき氷が入ったバケツを委員会室に配給した。
この暑さの中で委員たちは「これは日本の将来を決める大切な憲法の審議だ。上着をつけてやろう」と申し合わせ、十四人全員が冬服のまま、合計十三日間にわたって汗だくの議論を続けたという。
中でも、特筆すべきは、社会党議員が保守系議員とも和気あいあいと自由で活発な議論をしていることだ。もちろん、社会主義の考え方を少しでも憲法に盛り込もうと努力しているが、決して教条主義的なこだわりはなく、知的誠実さを発揮し、譲るべきところは譲っている。
最後の衆院本会議採決で、社会党(現社民党)は国民主権の一層の明確化などを求める修正案が否決されると賛成に回り、共産党は「自衛権の放棄は民族の独立を危うくする」として反対した。
それなのに、当時の憲法に対するまじめな態度や防衛の本質をついた議論がいつのまにか忘れられ、今もって両党とも「憲法論議は改正につながる」と反対しているのは残念なことだ。
現行憲法で論議すべきテーマは多岐にわたるが、なによりもまず憲法を議論することは、新しい日本の国家像を議論することであるはずだ。
現在の日本が置かれている状況は極めて厳しい。さまざまな改革を進めるにあたっては、将来の日本がどういう進路を進むべきか、国家目標を決める必要がある。
これこそ国会に求められる最も大切な機能であり、憲法を議論する意味だろう。
憲法調査会では、半世紀前の帝国議会議員たちの情熱を見習って、二十一世紀の新しい日本の方向を決める憲法論議を展開してほしい。
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