1997/09/07 読売新聞朝刊
[内閣法制局・実像と虚像](19)憲法改正論議と一線(連載)
◆“音なし”の資料調査室 政治側どう生かす
■立案に深く関与■
「法制局は、行政府の中で最も深く憲法とかかわってきた。その長い積み重ねが憲法解釈に対する我々の自信の背景になっている」
法制局参事官OBの言葉である。
現行憲法と法制局。その深い関係の出発点は、新憲法草案作成に法制局が大きな役割を果たしたことだ。
敗戦からわずか一か月後の一九四五年九月、法制局は、早くも憲法改正の検討項目の試案を作成し、極秘に検討に入った。
翌四六年二月には、当時の佐藤達夫・第一部長(後に法制局長官)が、憲法担当だった松本烝治国務相と分担して改正案を起草。さらに三月には、東京・日比谷の連合国軍総司令部(GHQ)で、現憲法の案文について、佐藤氏がGHQ民政局次長のケーディス大佐らと一条ずつ協議した。
その中では、天皇と内閣の関係を示す条文(憲法七条)の「輔弼(ほひつ)(天皇を助ける意味)」という言葉をめぐり、改正案に残すよう求める日本側の要求をケーディス大佐が一蹴(いっしゅう)したり、逆に、GHQ案(マッカーサー草案)に盛り込まれていた土地の国有や国会の一院制などを、佐藤氏が「受け入れられない」と反論してGHQ側が引っ込めるといった丁々発止のやりとりが行われた。
退官後、佐藤氏はこの日の徹夜の激論をこう振り返っている。
「こちらがねばって、いちいち噛(か)み付いていたから、翌日の午後四時までかかってしまった。しかし、それだけの収穫はあったわけです。マッカーサー草案と今の憲法とを比べてご覧になれば、随分かたちが違っているということです」
■調査会の舞台裏■
四七年の憲法施行後、憲法に関する集中的な論議が行われたのは、五七年に始まった内閣の憲法調査会の場である。ここでも、法制局は深く関与した。
同調査会の事務局長代理を務めた大友一郎氏はこう証言する。
「憲法を担当する役所は法制局しかなかったので、法制局は調査会の事務局を定める政令を起案したり、調査会の資料を作成したりした。法制局の次長と第一部長は官房副長官らとともに調査会の幹事だったし、参考人として出席した者の中には法制局の関係者も少なくなかった」
憲法調査会は、憲法制定過程の調査や憲法改正の是非などを論議した。審議回数はのべ五百回、公述人は九百人を数え、作成された資料と議事録は千冊を超えた。
しかし、審議が続いている間に国内の憲法改正の機運は急速に衰えた。
同調査会は六四年に、憲法改正論と改正不要論の両論を併記した報告書を内閣に提出して解散した。
当時の池田首相はこの報告書を受け取る際、「政府は、まず、内閣法制局において研究・整理に当たらせたい」と表明。膨大な資料も法制局に引き継がれた。
■資料調査室■
法制局第一部の一角にそうした資料を集めた一室がある。「憲法資料調査室」という。憲法調査会の解散後の六四年九月に、法制局設置法施行令を改正して設置された。
当初は室長の参事官と職員二人が専従で、調査会の審議内容の分析・整理や調査会の報告に対する反響の収集などに当たっていた。
しかし、今は、第一部長が室長を兼任し、専従スタッフもおらず、第一部の参事官補一人が兼務している。日常の仕事も「憲法関係の新聞記事を切り抜いてスクラップを作るぐらい」(法制局幹部)という。
憲法資料調査室の業務については、七一年の参院予算委員会でこんな質疑が行われたことがある。
峯山昭範氏(公明党)「憲法改正というようなことになった場合、憲法資料調査室がいろいろな役目を果たすと思うが、どんな役目を果たすのか」
高辻正己法制局長官「憲法改正に(資料調査室が)どういう働きをするかということについては、何の働きもしない」
法制局のこの姿勢は基本的に今も変わっていない。「仮に憲法の改正案を作れと言われれば、我々はいくらでも作れる。しかし、それは我々の仕事ではない」と法制局幹部は言う。
■情勢変化の中で■
憲法をめぐる情勢は、施行五十年を経て急速に変わりつつある。
読売新聞社が今年二、三月に全国会議員を対象に実施したアンケート調査では六割の議員が憲法改正に賛成の考えを示した。国会に憲法問題を協議するための常任委員会の設置を目指して五月に結成された超党派の議員連盟も、今秋の臨時国会に設置法案を提出する構えだ。
憲法資料調査室の設置を定めた政令では、同調査室の業務として、「憲法調査会の報告や議事録などの整理」と「補充調査に必要な資料の収集」のほかに、「特に命ぜられた事項」も扱うことになっている。
「法の支配」の根幹である憲法を見直す動きが高まりつつある。憲法のエキスパート集団とも言える法制局の豊富な知識と能力を国会論議の中に生かす工夫が今後、政治の側に求められそうだ。
(おわり)
(このシリーズは、飯田政之、中山智道、柴田岳、河野修三、高木雅信、遠藤弦、吉山隆晴、野沢真司、松永宏朗が担当しました。今後、関係者のインタビューなどを掲載します)
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