1996/03/24 読売新聞朝刊
[明日への条件―日本総点検]第2部憲法再考(5)教育への助成(連載)
宮城まり子さん(69)の闘いは、三十年も前から続いている。子供役が多かった女優のまり子さんは、役作りのため訪ねた病院で、脳性マヒの少女と出会う。両親が死に、帰る家はない。義務教育なのに、「就学猶予」の扱いだった。
「一緒に住み、医療と愛に恵まれ、教育も受けられる所を造りたかったの」
一九六八年、私財を投じて日本初の障害児の療護施設「ねむの木学園」を静岡県浜岡町に開設した。養護教育が義務化された七九年には、私立で初の肢体不自由児の養護学校を併設した。
肢体不自由、知的障害、家庭の不幸。重荷を背負う子供たちが、まり子さんを「お母さん」と慕い、絵や音楽に才能を開花させた。「奇跡の教育」と評される。
だが、学校経営は厳しい。私学の校舎建設に補助はない。授業は無料。当初は、まり子さんの「ありったけ」で作った基本財産二億五千万円の利息と、経費の三分の一の私学助成金が支えだった。現在は助成金が経費の半分近くだが、「ずっと大変なことばっかり」。
残りは「私がものすごく働くの」。疲れで倒れ、毎年のように入院した。
障害を持つお年寄りと若者が共生する八十ヘクタールの「ねむの木村」を、今、同県掛川市に建設中だ。
不登校や中退の生徒を人間教育で迎える私立「黄柳野(つげの)高校」。愛知県鳳来町の丘陵に今年度開校した。
県から、事前に十八億円の準備が必要、と指導された。「金のない連中のゼロからのスタートでした」と、元私立高の同僚教師三人と設立に奔走した金城恵忠理事(56)。
四人の退職金をつぎ込んで寄付集めの母体となる財団を作ったが、バブル崩壊で大企業は冷たい。「市民立」を呼び掛け、山田洋次監督の協力で、映画「学校」の寄付つき前売り券も出した。全国の百万人を超す市民から十二億円が寄せられ、五年がかりで開校した。
長い間、学校を拒んだ生徒たち。今、その出席率は八割になる。
意欲的な私学教育だが、公的助成は十分ではない。足かせとなっているのが憲法八九条だ。
「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」への公金の支出を禁じる八九条は、公権力の介入で私学の自主性を損なわないための配慮といわれる。憲法草案をつくった連合国軍総司令部(GHQ)には、国家神道が覆った戦前教育の悪印象が強かった。
だが、終戦直後から、戦災の痛手を被る私学への助成が叫ばれた。私学も法令に基づいて国の監督を受けるから「公の支配」に属し、助成は合憲――という論理で、戦後五年目に私立学校法を制定。学園紛争激しい七〇年、ようやく本格的な私学助成が始まった。
直接補助の形を避けるため、大学には私学振興財団、高校以下は都道府県を通じて国の予算が渡る。
最近は財政悪化もあり、私大経常費に占める補助は八〇年の二九・五%をピークに一二%まで落ちた。
少ない補助金を巡る年の瀬の予算折衝で、私学は教員、父母を動員して、陳情に駆け回る。浜田陽太郎前立教大総長は、私大連盟の会長退任の際、連盟の機関誌で「議員会館をウロウロして頭を下げなければ、スズメの涙ほども増額してもらえない」と嘆いた。
これも違憲説を引きずったままの抜け道的な助成に伴う矛盾の一つだ。
私立に通うのは大学・短大生の八割近くに上るが、学生一人への公費は国公立の十分の一しかない。
東洋英和女学院大の土持法一教授(51)(比較教育学)は「自分の払った税金が教育にも均等に還元されるべきだ。学校の選択は教育の理念や特長によるべきで、経済的理由で差別が生じないよう、私立も財政上は公立と同じ扱いでいい」と主張する。
私学助成の必要性が広く認知され、国民の教育費負担の軽減が叫ばれる時代に、八九条の重しは「無用の化石」になっている。
(地方部 中川俊哉)
〈私学の振興〉
私立学校法五九条 国または地方公共団体は、教育の振興上必要があると認める場合には、別に法律で定めるところにより、学校法人に対し、私立学校教育に関し必要な助成をすることができる。
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