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1996/03/20 読売新聞朝刊
[明日への条件―日本総点検]第2部憲法再考(2)「子の尊厳」無視(連載)
 
◆母のイライラ虐待に
 ガリガリにやせ、目ばかり大きなカズオ(仮名)が、丸裸でカーテンのすき間から外を見ているのを、近所の人たちも気づいていた。でも、「よその家庭に口出しはできない」と、そのままにしていた。
 未婚の母が二十歳で産んだカズオは、すぐ乳児院に預けられた。三歳八か月の時、母が別の男性と結婚し、弟が生まれたのを機に母のもとに引き取られる。しかし、環境の変化のせいか、排せつの粗相が続き、母はカズオの虐待を始めた。まる一日食事が与えられないこともあった。
 そして五歳八か月の冬、カズオは極度の飢えと寒さのため、衰弱死した。身長九十九センチ、体重はわずか八・五キロだった。
 事件を扱った平湯真人弁護士(52)は「近所の人が虐待を発見しても、通報をためらってしまう。義務を果たさない親に子を支配する権利はない、という社会的合意が必要だ」と語る。
 昨年日本を揺るがせたオウム真理教事件。教団施設から各地の児童相談所に一時保護された百十二人の子どもたちは、今月一日までに、全員が親族や福祉施設に引き取られた。
 二十七人がいた東京都児童相談センターには、裁判所への人身保護請求(いずれも棄却)をはじめ、元信者の親からの子どもの返還要求が続いた。しかし、ある母親は「教団から脱会した」と手紙に書きながら、「教団施設に毒ガスがまかれたのは事実」などと公言していた。まだマインドコントロールが解けていないのは明らかだった。
 同センターは結局十二人を親元に返さず福祉施設に入所させた。「繰り返し説得してようやく親の同意を得たが、今の法律のもとで公権力が親子関係に介入する難しさを感じた」と、荻原行雄管理課長(55)。
 児童福祉法は、親が子を虐待している場合でも、子どもを施設に長期保護するには原則として当の親の同意を必要とする。オウムの子どもの扱いではこの規定がネックになった。
 憲法一三条には「すべて国民は個人として尊重される」とある。法政大の永井憲一教授(64)は「この個人の尊重には当然子どもも含まれる。だが、この原理がよく理解されていない。法律にも、子は親のものという戦前の家族制度の発想が色濃く残る」と指摘する。
 一九八九年十一月、「人種や皮膚の色などによる差別の禁止」「親による虐待などからの保護」などを定めた「子どもの権利条約」を国連が採択した。日本は二年前に批准し、法務省の子どもの人権専門委員制度など、徐々に行政の整備も進んできた。だが、世界では、憲法に子どもの権利や保護条項を設けることが大きな流れとなっている。
 今の日本では、条約が禁じる差別などの問題はほとんどない。だが、伝統的なイエ共同体が崩壊し、親子関係も変質した結果、新しい虐待などの問題を生みやすい状況になっている。
 東京・世田谷の民間団体「子どもの虐待防止センター」。年間二千件以上の相談電話の八、九割は、虐待している母親本人からだ。
 〈産まなきゃよかった、大っ嫌いなどと言ってしまう。子どもを自分のストレスのはけ口にしてしまう〉
 夫は仕事に忙しく、頼りにできない。育児書や幼稚園の先生が教える「いい子」は、積極的で、友達と仲良くできる子ばかり。近所の人々に溶け込む第一歩、「公園デビュー」をしてみるが、わが子はウジウジして仲間に入れてもらえない。イライラして、つい手が・・・。
 日弁連の子どもの権利委員、坪井節子弁護士(42)は「基本的人権の根底には、自分の生き方を自分の責任で選び取る自由、つまり人生の主人公となるのは自分だという自己決定権がある。親に虐待される子どもは、この権利が侵害されていることになる。憲法上の問題として考える必要がある」と語っている。
 「人類は子どもに対して最善のものを与える義務を負っている」(国連子どもの権利宣言)。このような精神を憲法で明らかにするのも一案ではないか。
 (社会部・木村 透)
 
◆子どもの権利条約19条
(親による虐待などからの保護)
 締約国は、(両)親、法定保護者・・・による子どもの養育中に、あらゆる形態の・・・暴力、侵害または虐待、・・・不当な取り扱いまたは搾取から子どもを保護するために、あらゆる適当な立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとる。(国際教育法研究会訳)


 
 
 
 
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