2001/07/16 毎日新聞朝刊
[社説]考えよう憲法/7 環境条項 地球を守るよりどころに
◇時代は移り国民に義務が
自動車排ガスによる大都市の大気汚染公害の改善は進まない。各種の騒音被害も存在する。それでも水俣病や四日市ぜんそくなど4大公害が社会問題化した「公害列島」時代に比べれば、日本の環境は良くはなったのだろう。
一方で地球温暖化やオゾン層破壊、熱帯雨林の減少、酸性雨など空間的な広がりを持つ地球環境問題が深刻さを増してきた。
身の回りでも自然破壊が進んで生物の多様性が急速に損なわれている。ダイオキシンや環境ホルモンなど化学物質が我々の生存を脅かす。廃棄物も増え続ける。
◇人類に22世紀はない?
人口増加と利便性追求で地球が目いっぱい利用され、局所的な公害でなく、人類の存続にかかわる地球規模での制約として環境が問題になってきたのだ。「人類に22世紀はないかもしれない」との警告もある。なんとかしたい。「憲法に環境条項を入れ、地球環境を守るよりどころにすべきだ」という声が国内で高まってきた。
人間は良い環境の下で生活する権利を有しているという環境権の議論は日本でいち早く起こった。4大公害時代の70年3月の公害国際会議で採択した東京宣言は「人たるもの誰もが健康や福祉を侵す要因にわざわいされない環境を享受する権利を持つ」として環境権の確立を訴えた。
同年9月の第13回日弁連人権擁護大会で大阪弁護士会は「個々の国民は、良好な環境を享受する権利に基づいて妨害の排除または予防を請求する権利がある」と差し止め請求権の根拠としての環境権を提唱した。従来の受忍限度論との間で対立が起こった。
大阪国際空港公害訴訟など幾つかの訴訟で原告側は環境権を根拠に差し止めを請求した。だが、裁判所はいずれも「個人の権利としての環境権」を認めなかった。
名古屋新幹線公害訴訟での85年4月の名古屋高裁判決はこう厳しく言い切った。「実定法上何らの根拠もなく、権利の主体、客体及び内容の不明確な環境権なるものを排他的効力を有する私法上の権利であるとすることは法的安定性を害し許されない」
欧州では72年の国連人間環境会議以降、環境権や環境保全義務の規定を憲法に入れた国が多い。スペイン憲法は「何人も人格の発展にふさわしい環境を享受する権利を有し、これを保護する義務を負う」と規定した。韓国は87年の憲法改正で環境権規定を入れ、「国家及び国民は環境保全に努めなければならない」とうたった。
早くから論議した日本はもたもたし、環境影響評価(環境アセスメント)法の制定や化学物質対策でも欧米諸国に後れを取った。
93年の環境基本法制定に当たって環境権規定を入れるかどうかが論議になった。だが、旧環境庁は「議論がある環境権を入れるわけにはいかない」と消極的だった。3条(環境の恵沢の享受と継承等)に環境権の趣旨は盛り込まれたものの、権利的要素は弱い。
公害や環境問題の現れ方が複雑になったいま、憲法に環境条項が全くないことへの疑問は強い。
環境庁の初代地球環境部長で、「NPO法人環境文明21」代表の加藤三郎さんは「環境条項を入れるためだけでも憲法を改正すべきだ。事態はせっぱ詰まっている」と訴え、条文案をまとめた。
しかし、これまで環境問題で発言を続けてきたリベラル派は憲法に環境条項を盛り込むことには消極的だった。戦争放棄をうたう9条改正に利用されると恐れたからだ。護憲の社民党は参院憲法調査会で「現憲法が環境権の行使、環境権の主張の足を引っ張ってはいない」と発言した。
「まず環境基本法3条に環境権規定を入れたらいい。基本法をほうっておいて憲法改正を言うのはおかしい」(淡路剛久・立教大法学部教授)という意見もある。
◇問われる「環境権」の言葉
環境権は憲法25条(生存権)や13条(幸福追求権)を根拠として国に環境保全策を求める綱領的な権利として認められているとする解釈が学界では主流だ。知る権利やプライバシーと並んで環境権を基本的人権として位置付けるべきだとする考え方もある。
環境や環境権に対する考えは時代とともに変わった。国民は良好な環境を享受する権利を持ち、国は環境保全の義務を負うとした当初の環境権は反公害の論理として勢いがあった。いま国民には環境享受の権利と並んで環境保全の義務があると考えられている。そのことは温暖化やごみ問題などを頭に描けばよく分かる。
国民の義務が前面に出て「環境権」の言葉が適切か問われていると言える。環境条項を憲法に盛り込む時は当然、スペイン憲法などのように国民の義務も書くべきだとする意見が出てくる。
いずれにしろ環境条項を憲法に入れると、公共事業などの開発と環境がぶつかった時に判断の基準点が環境側に動く。環境教育に役立ち、経済より環境優先の社会につながっていくだろう。
政府は責務として環境保護を重視し、国民の自由や財産をより抑えても許されるようになる。規制緩和との関係も問題になる。環境条項の創設の持つ意味と社会に与える影響は予想以上に大きい。それだけに是非の論議は大切だ。
自然保護や環境保全は現世代の人間だけでなく将来世代の人間や他の生物のためにも欠かせない。地球や生態系を守るため国際社会で積極的な役割を果たす根拠になる条項を憲法に入れることは、世界や人類に向けた日本の遅まきながらの環境宣言となる。
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