2001/05/21 毎日新聞朝刊
[社説]考えよう憲法/3 前文 時代が生んだ理想主義、現実との整合性どうするか
憲法をめぐる論議では9条とならんで前文が改憲派と護憲派の主戦場になっている。前文が憲法全体の理念や立脚点を示しているからだ。
問題は前文が描いた世界観と現実の国際情勢との乖離(かいり)をどうみるかに集約できる。護憲派は国際社会を前文の理想に近づける努力こそ必要だと主張し、改憲派は国際社会が憲法の想定した方向に発展していないのだから「脱敗戦」の視点で見直すべきだと主張している。
◇護憲派のよりどころ
前文の特徴の第一は天皇主権ではなく国民主権であることを宣言した点にある。これについて異論はほとんどないといっていい。
第二に積極的な平和主義、理想主義を掲げたことだ。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し・・・」の戦争放棄の決意は9条でより具体的に示された。わが国の安全と生存を「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することで保つことを表明した。さらに「平和のうちに生存する権利」の概念を打ち出した。
特徴の第三は国際協調主義だ。「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは・・・各国の責務である」との表現は世界に向けられている。
前文は理想主義に彩られている。廃虚から立ち上がろうとしていた時に平和主義を掲げた新憲法は多くの日本国民に受け入れられた。戦争を繰り返さないという自省の念も強かった。前文、9条の維持を主張する護憲派のよりどころになっている。
問題は憲法制定から半世紀たっても「諸国民の公正と信義」に信頼するだけでは安全が確保できないことである。戦争放棄を含む平和主義の解釈は自衛隊の評価など現実との整合性で苦しむことになった。
改憲派の論点は多岐にわたる。
第一に「あまりに翻訳調で、わかりにくい」という批判がある。旧かなづかいが使われているとの指摘もある。第二に「内容が卑屈で日本人の誇りが感じられない」との意見が根強く、第三に「日本の文化・伝統、アイデンティティーが欠如しており、日本の顔が見えない」という意見も多い。
第四には、国民主権、平和主義、基本的人権尊重という原則は支持しながらも「一方的な平和主義に走りすぎている」「自国の安全を他国の信義に頼るという他人まかせだ」との意見がある。
第五の批判として、90年代に入ってから「冷戦終結、グローバル化の時代に沿う内容に改めるべきだ」という主張が加わった。
湾岸戦争以降に現実の問題となった集団的自衛権の行使や人道介入にどこまで関与するか。相互依存が強まり人、物、カネ、情報が自由に国境を越える地球社会時代にあって、国際貢献など新たな価値観創造を提起する意見もある。
これらの批判の根っこには、連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられた憲法によって日本が戦後も国際社会で敗戦国のまま生きていかねばならなくなったという認識がある。日本のアイデンティティーを強調する意見に通じるものだが、狭隘(きょうあい)なナショナリズムに陥る誘惑を戒める必要がある。
憲法において前文はどういう性格を持つのだろうか。一般的には、憲法が目指す理念の表明であり、憲法制定理由、統治機構の原則、その国の伝統への言及などがその内容に含まれるだろう。
フランス憲法は前文で1789年の革命で発せられた人権宣言に言及し、韓国憲法前文は1919年の三・一独立運動から書きおこしている。米国憲法の前文は歴史的経過に触れず、正義、共同防衛、福祉増進などを簡潔に記してあるだけだ。スイス憲法前文は「全能の神の名において」で始まっており、中国憲法前文は中国共産党の指導性を強調している。
敗戦国ドイツ(西独)の基本法は前文で基本法自体が統一までの暫定憲法であることを明記した。その後、再軍備条項など現実に即した改正を47回行った。統一で基本法の暫定的役割は終わったが、「憲法」と改称せずに現在に至る。しかし、ベルギーのように前文がない国や英国、イスラエルなど成文憲法を持たない国もある。
◇日本は前文想定せず
日本の場合は、太平洋戦争の敗戦から半年後、連合国軍の占領下で憲法改正作業を進めていた幣原喜重郎内閣が46年2月8日、GHQに提出した憲法改正要綱(松本委員会案)は前文抜きだった。
天皇の統治権を認めたままの改正要綱を拒否したGHQが日本側に提示した草案の冒頭は前文から始まっていた。
米国側には新憲法で日本軍国主義の復活阻止だけでなく、日本が米国に敵対しないようにする意図があったのは間違いないだろう。GHQ民政局スタッフに理想主義者が多かったことも影響しているはずだ。
前文が示した「崇高な理想と目的の達成」を国民の目標ととらえて現実との乖離を許容するか、時代状況に合わせて前文の中身も変えるべきだと考えるかで前文への評価も違ってくる。前文を「時代に合わない」と切り捨てることは可能だ。同時に「前文は本当に時代遅れの内容か」という問いかけもあり得るだろう。
私たちは、憲法施行以来半世紀を経てようやく憲法を虚心に見つめ直す機会を迎えている。前文の見直しは憲法全体にかかわる問題だ。まずは憲法前文をじっくり読んでみようではないか。
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