2001/05/02 毎日新聞朝刊
[特集]衆参両院憲法調査会(その3) 審議ハイライト/3止
◆改正手続き ハードルは高いのか 発議条件の緩和で論戦
第9章 改正
第96条
(1)この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
(2)憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
施行以来54年の間に1回も改正されないどころか、改正の発議さえ行われなかった日本国憲法だが、小泉純一郎首相が「首相公選制を導入するために憲法改正をめざす」と宣言したことで、状況は一変した。日本の場合、憲法改正手続きのハードルが他国と比べて非常に高いというのが定説だが、では、これを緩和すべきなのかどうか。この問題に関する両院憲法調査会の審議を追った。両院調査会は海外調査団を派遣して憲法改正の実績をもつ欧米5カ国の事情も探っており、その概要も紹介する。
昨年9月、ローマを訪れた衆院調査会海外調査団は現地在住の日本人作家、塩野七生(ななみ)氏と懇談した。古代ローマ史をめぐる著作を通じ、日本国内に幅広い読者をもつ塩野氏は、ローマ法の特徴は「法に人間を合わせるのではなく、人間に法を合わせる」ところにあると語り、「日本国憲法も、しばしば変わる可能性をもった方がいい」と提言。
「両院の総議員の3分の2以上の賛成に加え、国民投票も過半数――という改正発議要件を緩和し、『両院議員の総議員の過半数の賛成』で足りる、とすればいい。96条の厳格な手続きを緩和するという1点だけに絞った改正を行うのが現実的だと思いますね」と具体的に語った。
11月9日、衆院調査会に呼ばれた政治学者の佐々木毅・東京大教授(現学長)はプレゼンテーションの中で「96条、特に国会の発議の条件についてどのような政治判断をくだすかということが非常に重要」だと指摘し、こう続けた。
「最近の世論調査の動向を見る限り、国民は、もし国会が改正発議をするならば、それを受け止める用意があるという傾向を強めつつある。21世紀の社会的必要に応じて憲法を見直し、それを一定程度つくりかえていく意向を示し始めているように察せられます」
佐々木教授はさらに「発議条件を緩和することは十分考えるに値すると思っております。今の制度(96条)を守るべきだという議論にくみするつもりはございません」と言いきった。
こうした議論の流れに反発したのが、11月9日、衆院調査会に登場した憲法学者の小林武・南山大教授である。小林教授はプレゼンテーションで、塩野七生氏を名指ししたうえで、「96条に関して国民投票を削除し、国会の発議要件も3分の2を単純多数決(過半数)にすべしという議論があるが、国民投票を除くことは国民主権の原則と抵触する。憲法の限界にあたるもので、改正対象にはなりえないとするのが憲法学の通説であります」と論じた。さらに、「外国憲法の改正回数に注目して、改憲は常識である旨説く論法も問題だ。スイス憲法の改正はほとんどが連邦と州の権限分配にかかわるもので、スイスの連邦制度に固有の事情がある。こうした事柄を考慮せずに彼我を結びつけて説くことは、ほとんど意味がない」と語った。
◇諸外国の憲法改正、実績調査 スイスは140回、9条へ関心高く
両院憲法調査会は昨年から今年にかけ、憲法改正の実績をもつ欧米5カ国に調査団を派遣し、改正の経緯や主な内容についてヒアリングを実施した。スイスの140回からイタリアの10回まで頻度の違いはあるが、制定以来一度も改正を経験していない日本との隔たりは大きい。
衆院調査団は昨年9月半ば、ドイツ、スイス、イタリア、フランスを歴訪した。調査を終えた中山太郎団長(憲法調査会長、自民党)は「どの国の憲法も不磨の大典ではなく、具体的な政治課題が憲法の条文をめぐって公明正大に議論されている」ことで各党が共通の認識に達したと語る。
■手続き容易な欧州4カ国■
中山調査団が訪れた欧州4カ国は、多い国で年1回程度、少ない国でも5年に1回程度の割合で憲法(ドイツは基本法)を改正している。改正手続きに関する規定を見ると、たとえばドイツは「連邦議会と連邦参議院の3分の2以上の賛成」となっており、日本に比べて容易に改正できる仕組みになっている。
スイスは連邦税率など行政の細目まで憲法に定められていることから最も改正が頻繁で、部分改正が過去140回。部分改正を整理した全面改正も行われた。
■米は修正条項を追加■
一方、江田五月氏(民主党)を団長とする参院調査団は、今年1月、米国を訪れた。米合衆国憲法は日本国憲法と同様、改正が困難な「硬性憲法」だが、原文は変えずに修正条項を追加するという形で、過去214年の間に27カ条を補っている。古くは奴隷制の禁止、黒人の選挙権、女性の選挙権などが修正によって確立された。
合衆国憲法の修正は通常「上下両院の3分の2以上の賛成による発議と、4分の3以上の州議会の承認」を要件として認められる。修正案自体は過去1万件以上提案されている。
訪問先各国の行政官の間でも日本国憲法9条に対する関心は高かった。調査団と懇談したオークランド市長のブラウン氏(元カリフォルニア州知事)は「戦争を放棄する日本の憲法は、これから非常に戦略的な有利性を持つ」「米中が防衛力を増やそうとする中で、日本が、それをできるだけ避けるよう呼びかけるべきだ。核戦争のリスクはまだある。日本が現在の憲法を変えるとなると、さらに問題が複雑になる」と語った。
■独伊の「良心的兵役拒否」■
日本と同じく第二次世界大戦の敗戦国であるドイツの基本法、イタリアの憲法は、いずれも日本国憲法と同様、侵略戦争を否定する趣旨の規定を持つ。ドイツ基本法は「侵略戦争の遂行を準備する行為は違憲であり、処罰される」と定め、イタリア憲法は「他国民の自由に対する攻撃の手段および国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄」をうたうが、その一方で、両国とも兵役の義務を明記している。
徴兵制との関連で注目されるのは、兵役を拒否し、引き換えに一定の社会的奉仕義務が課されるドイツの「良心的兵役拒否」の制度だ。養護施設のライマー所長は調査団に「今この制度がなくなると福祉事業に大打撃になるほど、社会福祉分野での貴重な労働力となっている」と語った。
イタリアは、兵役免除を認めていなかったが、憲法裁判所の判決に基づいて「良心的兵役拒否」制度が導入された。イタリア憲法裁判所のミラベッリ長官は「兵役に対する国民の意識が『軍事的に祖国を守る義務』から『社会公共に対する連帯義務』に変化してきた」と調査団に語った。
■参院の存在意義 衆院の「コピー」脱却、改革不可避?−−元老院型、政党関与排除
第42条
国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
第43条
(1)両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。(以下略)
第46条
参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。
小泉首相の誕生で「自民党必敗」という今夏の参院選の予測もくつがえりつつあるが、本当に自民党は安泰かといえば、そうとも言い切れない。仮に自公保与党が参院の過半数を割り込めば、法案処理で与党はさっそく立ち往生する。過半数を守ったにせよ、ややもすれば衆院選以上に政権の命運を左右する参院選とは何かという問題が残る。第1院と似た構成で、かねて「衆院のカーボンコピー」と陰口をたたかれてきた参院のあり方も憲法調査会の議題になった。
そもそもGHQ(連合国軍総司令部)の日本国憲法草案では、国会は1院制になるはずだった。それを、幣原内閣が「2院制堅持」へ巻き返したというのが憲法制定史の定説である。1院制をふっかけておき、後で譲歩するというのはGHQの高等戦術だったともいわれている。
今年3月7日、参院調査会に登場した慶応大の小林節教授(憲法)は、民選議院ではなく、元老院的なものに改組してはどうかという案を示し、注目を集めた。
いわく――。
「参院はやはり上院、元老院型になるべきだと思います。それには民選でなく推薦制にし、議員は閣僚になることを求めないこと。衆院とまったく機能分化した新参院をつくれば、いけると思う」「首相や国会の議長・副議長経験者は定数を決めず、全員が参院議員になっていただく。最高裁長官や知事の経験者、元国会議員からもクジ引きで何人か選ぶ。大学の学長や日弁連会長をやった人もいい・・・」
同じ日、同調査会で政策研究大学院大の飯尾潤教授(政治学)は、いずれにせよ、大胆に衆院との差別化を図るべきだとして、こう論じた。
「権力闘争は衆院に集中させ、参院は法案の綿密な審査を行うということにすればどうか。良識の府たらんとすれば、権限を自発的に制限することが必要になる。政党が投票で党議拘束をかけたりすると、自由な討論ができなくなる」
この問題は翌週14日の参院調査会でも取り上げられ、成田憲彦・駿河台大法学部長は、参院の現状を次のように批判した。
「第2院は政権の所在にはかかわらないようにすべきだ。政党の党議、本部決定が衆院、参院をまたぎ、かつ衆院優位で行われているから、参院の存在意義がなくなる。法案が来た時、上院議員団として対応すれば、意義が出てくる」
衆参両院の論戦を通じ、明確な参院廃止論は見当たらない。逆に参院の現状に対して積極的な評価もあった。1968年から4年半、参院議員を務めた石原慎太郎・東京都知事である。昨年11月、衆院調査会で「参院の役割は何か」と聞かれ、こう答えた。
「私が(参院に)いたころは衆院のカーボンコピーだと言われましたが、今はむしろその役割を発揮し、チェック・アンド・バランスというのか、存在感が出てきたんじゃないでしょうか。今ある参議院はとてもアクティブで、2院制の意味というのは、やはりあったのだな、という感じを得ております」
(この記事には表「衆参の調査会が訪問した国の現行憲法比較」があります)
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