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1992/11/18 毎日新聞朝刊
[日本人の平和観]カンボジアPKO/2 「憲法」を見る目 理想から現実へ
 
 「憲法・・・というのはみんなの心を一つに合わせるものだと思う。なのに、一つにならないのは何だろう。残念だ」
 出版社の小学館が一九八二年に発行、ブームを呼んだ『日本国憲法』の愛読者返信カードの中に、横浜市の十一歳の女子小学生からのこんな感想文があった。
 それから十年。自衛隊の部隊参加を盛り込んだ国連平和維持活動(PKO)協力法とのからみで再び憲法に焦点が当てられ、カンボジアPKOが始まったいまも、平和憲法下での国際貢献の在り方をめぐって賛否両論が渦巻いている。
 
 八九年の総理府世論調査では、日本が戦後四十年以上平和を維持してきた理由として「平和憲法の存在」を挙げる人が最も多かった(複数回答で六四%)。日本人の平和意識は憲法と密接にからんでいると言える。
 しかし、『日本国憲法』の編集を担当した小学館編集委員の島本脩二さん(46)は、「PKO問題を経験して、『憲法は私たちの暮らし方を決めている最も基本的な約束』という意識がまだ国民に浸透していないことを痛感した」と言う。ひとつには、「平和」ということばの持つ意味合いが、使う政権側の事情や時代によって変化してきたからだ。
 新憲法施行後、歴代首相が行った最初の施政方針演説で、「平和」がどのような文脈で使われたかを調べてみると、憲法施行二カ月後の片山哲首相(四七年七月)は「平和主義」を「民主主義」と並べて新憲法の「大理想」と位置付けた。
 国連加盟翌年の石橋湛山首相(五七年二月)では世界平和と関連づけて、初めて「貢献」ということばを使い、竹下登首相(八八年一月)は「国際秩序の担い手」としての「国際貢献」を力説した。
 宮沢首相(今年一月)は「世界の平和秩序構築」への「貢献」と「参画」を唱え、PKOへの人的貢献を訴えた。「平和」ということばの使用回数は歴代最高の二十四回に上った。
 国際社会の中での日本の影響力増大に伴い、政権側にとっての「平和」は、当初の「理想」から「世界平和への貢献」、さらに「PKOへの人的貢献」へと次第に具体化してきた軌跡がうかがえる。
 一方、国民の側の平和意識も次第に現実的になっている。憲法施行五年後の毎日新聞世論調査(五二年)によると、軍隊を持つための憲法改正に賛成の人は四三%で、反対の人(二六%)を大きく上回っていた。しかし、八七年調査では逆に、戦争放棄、戦力不保持の憲法九条を支持する人が八割に上った。これに対し、自衛隊の必要性を認める人も八割を超えている(八四年の総理府調査)。
 
 憲法の平和主義と自衛隊を矛盾なく受け入れているこうした日本人の平和意識構造について、アジアの人々に対する戦後補償問題に取り組む川崎市の在日韓国人牧師、李仁夏さん(67)は「戦前、戦中に日本がアジアで何をしたか、戦後何をしなかったかの反省がないから、平和概念が極めてあいまいだ」と批判する。
 ベトナム反戦運動を組織した吉川勇一・元ベ平連事務局長(61)も「六〇年代までは被害者意識が強かったが、いまは加害者としての側面が出てくるようになった」と市民レベルの意識変化を認めながら、「よく言うとバランス感覚が強く、悪く言えばずるい。生きるための知恵とも言えるが、論理的には矛盾している」と日本人の平和観の弱点を指摘する。
 カンボジアPKOへの自衛隊参加という新たな一歩を踏み出した日本は、この矛盾をまた、一つ積み重ねているのか。
 (つづく)
 (この記事にはグラフ「憲法9条は=毎日新聞世論調査より」「自衛隊は=総理府調査より」があります)


 
 
 
 
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