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1987/12/01 毎日新聞朝刊
公開された外交文書によると、行政協定交渉は有事の措置で激論
 
 占領国と敗戦国。国力(国民総生産)で二十五対一。安保条約の締結により独立後も引き続き日本に駐留することになった米軍の特権や基地提供条件の細目を決める行政協定交渉は、今からは想像出来ないこうした時代背景の中で行われた。三八度線をはさみ一進一退を続ける朝鮮戦争遂行のため、在日米軍の行動の自由と、有事の際、日米が統合軍を作り米司令官の指揮下に入ることを迫る米側。憲法的制約と国民感情をタテに「自由党政権を崩壊させる気か」と粘る日本側。三十日公開された外交極秘文書は、この間の緊迫したやりとりを生々しく伝えている。交渉経過については二年前公表された米外交文書で既に明らかにされた部分が多いが、これに対応する日本側文書が公開されたことで日本再軍備の足どりという戦後史のナゾにわずかながら光が当てられ始めたといえよう。
 日米行政協定交渉は、昭和二十七年一月二十八日から東京で始まった。米側は交渉に先立つ二十四日、草案を提示したが、二十二条で「防衛措置」と題し、有事の際、米国は1)駐留米軍の安全確保のため必要な行動をとるに当たり、この協定の制限を受けない2)日本側と協議のうえ統合司令部を設置し、司令官を任命する3)この司令官は日本のすべての保安組織(地方警察を除く)に対し作戦指揮権を持つ−−となっていた。
 独立後の対等な二国間協定を望む日本側にとって「属国扱いのうえ有事には協定をほごにするに等しい」内容はショックだった。従って二十八日から一カ月間の交渉では、二十二条の扱いが最も深刻な争点となる。この機微にふれるやりとりは、全体会議ではほとんど取り上げられず、ラスク特使、ジョンソン陸軍次官補、ボンド参事官(国務省)と吉田首相(外相兼務)が特命した岡崎勝男国務相、西村条約局長による十六回の密室の非公式協議で討議された。
 一月三十日の第一回非公式会談で、日本側は1)有事の際、日米両政府は必要な措置について直ちに協議する2)合同委は前項についての計画を研究し用意する−との対案を示し了解を求める。
 これに対しラスク特使は「米側案は世界の現状からみて当然必要な条約で、安保条約と不可分だ」と迫る。以下の部分は公開文書では削除されているが、米側資料によると、西村局長は「米案の実質に原則的に同意するが、我々は憲法の関係から、これらの規定が成文化された際の国民の反応を恐れている」と述べ、この段階で「有事の際は別」との言質を与えている。
 米案をのむことは「自由党政権の弔鐘を意味する」と思いつめる日本側は、必死の抵抗を試みる。二月五日の会談で岡崎氏は「行政協定は軍の配備条件に限定すべきであって、米案の内容は、そのらち外であり、国会の関係でも容認し得ないし、統合軍のごときは国内法制上からも同意し難い」と撤回を求める。
 これに対しラスク特使は「軍隊は常に外部からの攻撃の脅威にさらされている」と真珠湾攻撃の例まであげ、双方、鼻白む一幕もあった。同席したボンド参事官が「日本政府は(防衛措置の)原則に異存があるのでなく、政治的理由から反対なのか」と水をむけると、岡崎氏はこれを肯定したうえで「総理も行政協定の外でいかように協議をすることにも異存はない」と述べ、協定明文化さえ避けられれば最大限の譲歩する姿勢を示す。岡崎氏は七日にもラスク特使に「総理も党首として、政府首脳として、米案には応諾し難い。特に第一項目(有事の際の米軍の行動の自由)は行政協定をほごにする感触を与え、うけ難いとのことであった」と主張する。
 米側は十六日になって、原案をやや薄めた修正案を提示する。この中で米側は緊急時、在日米軍がとる措置について「直ちに日本政府と協議する」として日本側のメンツを立てたものの、「統合軍設置」については国防総省の意向に沿って一歩も譲らなかった。岡崎氏は「統合司令部を規定することによって、行政協定における日米の平等、対等関係は消失する。統合司令部については、日本の法制上の問題もあって、それを行政協定に定めうるや否やの憲法上の問題もある」と重ねて再考を求める。
 日米間の協議は十八日になってピークを迎える。岡崎氏は「全く非公式かつ個人の責任で」と断り、背景説明メモを付けて「憲法上の制約から逸脱しない」と条件付きで、「緊急時には両国政府が統合軍を含め必要な措置を協議し、準備する」との譲歩案を示す。この譲歩は「防衛措置」にこだわる国防総省が、平和条約批准審議中の米上院に根回しして批准を遅らせる動きに出たことから、「この程度は仕方がない」(藤崎条約課長=当時=)とまとめたものだった。
 もっとも岡崎氏は、この席で「今日、最も信頼性ある内閣と政党を『統合指令部』や『米人司令官』の規定をおくことによって弱体化することは、両国の将来にとり遺憾きわまることだ」と付言するのを忘れていない。
 ラスク特使は「日本におけるシチュエーションのチェンジを心配しているのだ」と述べ、口頭了解だけでは政権が交代した時に不都合が生じるとの危ぐをのぞかせた。
 ジョンソン国防次官補は、日本側が背景説明で「法制の緩和が進めば」としている点をとらえ、「これには憲法改正も含まれているのか」と突っ込む。
 岡崎氏は「全くの私見」と断りながら、「われわれはゆくゆく憲法改正を考えねばならぬと思っている。それは総選挙で政府・与党が多数を獲得した後はじめて取り上げられるものと考えている」と答えた。
 この点について米側資料は「岡崎は米案を受け入れることは確実に次の総選挙で自由党に敗北をもたらす。国防総省は原案にどうしても固執するのか、と問い、憲法改正を考えているが、それは来るべき総選挙で勝ち、国民に説得の機会をもった後のことだ」と記録している。
 翌十九日の非公式会談で岡崎氏は「吉田総理を説得するのに骨を折った」と言いながら、前日の私案を正式提案する。ラスク特使は「感謝したい」と述べ字句を若干修正したうえ、本国に指示を求める。
 この日の国務長官あて秘密電報でラスク特使は「二十二条について日本側から得られる最大限のもの」と文案を報告した。しかし同時に「この案は吉田首相の強い反対を押し切って作られたもので、この案を成文化した場合、日本国内に平等の地位と憲法上の問題で大論争が起きるだろう」と指摘した。そのうえで「自分としては緊急時の米軍の行動の自由が口頭了解されている以上、日本政府を苦境に追いつめるより、より一般的な協議条項にとどめても米国の利益は守られる」と進言する。ジョンソン次官補もリッジウェイ総司令官の了解を得て軍事的見地から「一般的規定の方が制約が少ない」として譲歩を上申した。
 こうした内部協議をへて米国は、日本への政治配慮を優先させ二十三日の第十五回非公式会談で「二十二条は広範な原則規定のみとする」ことを提案。岡崎氏は「謝意」を表した。しかし米側は、この譲歩は対日配慮の結果であり「防衛措置についての米政府の態度変更ではない」とクギを刺す。
 岡崎氏は「総理はじめ閣僚が統合司令部や米司令官の必要性、緊急事態下における両国協力措置の緊要性については見解を等しくしており、決して懸念の要はないことを保障したい」と述べ、改めて「有事の際は別」との言質を与えたのだった。


 
 
 
 
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