日本国憲法は三日、施行四十年を迎えた。敗戦から独立を経て今日の経済繁栄に至るまで、憲法は日本のあり方を定めた最高法規として、政治体制はもちろん国民の生活や意識に強い影響をもたらしてきた。先月末毎日新聞社が行った世論調査によると、国民の約七割が「全体として憲法の精神は定着した」と答えており、政治的には、護憲対改憲が、与野党の中心的争点ではなくなりつつある。
しかしこの半面、防衛費の対国民総生産(GNP)比一%枠の撤廃や、首相・閣僚の靖国神社公式参拝問題、防衛秘密法(スパイ防止法)制定の動きなどは、憲法の各条項と (かい)離しており、憲法の空洞化を示すものと指摘する声も強まっている。
中曽根首相は今年一月四日の伊勢神宮参拝での記者会見で、「立法、行政、司法の関係を基本的に再点検を行う」と語った。三権「見直し」は一年前にも表明しており、明らかに意図的発言であった。
今年一月の施政方針演説で首相は「戦後の四十年間が民主主義の大本、議会政治の大道にいかほどの進歩をもたらしたか」と述べ、それまでの行政改革の枠から一歩踏み込んで国会をも巻き込んだ「戦後民主主義全般についての検討と建社的討議が必要だ」との認識を示すに至った。
これまで防衛費の一%枠撤廃や、靖国公式参拝など、憲法との関係で国論を二分してきた重要な政策決定で、国会よりも各種審議会や私的諮問機関の役割を重視しすぎると批判を浴びてきた首相だけに、この首相の憲法認識は、国権の最高機関である立法府や司法府に重大な問題を投げかけたものといえよう。
もともと中曽根首相は、自らを「改憲論者」と称してはばからず、昭和三十年代には「憲法改正の歌」を作り、「自主憲法の基本的性格」という著書を著したこともあった。首相就任後の昭和五十七年十二月の衆院予算委でも「内閣としては改憲を政治日程にのせることはしない」としながらも、「私個人は議員としての立場では憲法改政論者だ」と言い切っている。
その中曽根首相も昨年十月には「米国の『押しつけ憲法』だと訴え、改憲問題に取り組んできたが、国民の理解は結局得られなかった。もう戦中時代の古い頭ではダメで、戦後世代が理解できるような説得力のあるものを、国民に問いかけなければならない」として「自主憲法制定」論の挫折を認める発言を行い注目された。このような首相の憲法観の変化は、総人口の八四%が昭和生まれ世代で、全体の六割は戦後生まれという現実からくるものといえる。
しかしこうした変化はあくまでも憲法条文を変えるかどうかという「明文改憲論」に限ったことであり、実際の解釈や運用についてとなると話は別である。奥平康弘東大教授(憲法学)は「確かに中曽根氏も明文改憲については、不可能とあきらめたことがうかがえる。しかし靖国問題や一%枠突破など、現実の問題では明らかに憲法の空洞化を狙っており、その意味では改憲論者としての実体は何ら変わっていないのではないか」と指摘している。
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