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1964/05/03 毎日新聞朝刊
[社説]日本国憲法の“ゆれ”と定着
 
 日本国憲法が施行されてから十七年、その間あらゆる批判にもかかわらず、この新憲法は次第に国民の間に定着し、風当たりの強かった当初の大幅なゆれ≠ヘようやく収まりつつある。たとえば、天皇主権から国民主権への変革は、当時の日本国民にとっては大きな衝撃だったが、その後、新憲法下の各級選挙や議会制の経験を通じて、国民の主権者意識が高まり「象徴」としての「人間天皇」も、いまでは広範な国民の間にほとんど抵抗なく受け入れられているようである。
 ただ、非武装条項と呼ばれる第九条をめぐる論争は、依然として鋭く対立しており、近い将来、これに対する賛成論者と反対論者の意見が一致するとは考えられないし、そのかぎり、憲法擁護か、改正かの論争は果てしなくつづくであろう。憲法におけるゆれ≠フ中心は、けっきょく、この非武装条項の帰すうであり、それは、今後の世界情勢の変転のなかで、日本が独立国として善処できるか、どうかの試練を含む重大な問題を残している。
 こうして、日本国憲法は一面において宿命的なゆれ=|−動揺、不安定の要素をかかえながらも、他面では、その理想主義的行き過ぎや、起草上の諸欠陥にもかかわらず、国の基本法として広く国民生活のなかに根をおろしつつある。改憲論者も護憲論者も、この現実を見落としてはなるまい。改憲に急なあまり、その定着面への影響を無視するのは危険であり、逆にまた、現憲法の一言一句も変えてはならない、というような固定的な主張にも、国民の多数は賛同しえないであろう。
 
憲法の二つの側面
 したがって、重要なのは日本国憲法がすでに十七年にわたって、よかれあしかれ、有効にわれわれの生活を支配してきたという事実の認識である。かりに、憲法を改正するにしても、それが近い将来期待できないとすれば、現憲法がなお今後も有効にはたらくのはいうまでもない。そうだとすれば、当面の急務は改憲か、護憲かを争うことよりも、むしろ現憲法をいかに実効的に、摩擦なく運用するかということでなければならないだろう。
 憲法は、いうまでもなく国の基本法であり諸法の法≠ニしての最高法規であるが、他面、内外に向かって国の目的や理想を約束した宣言≠ニいう性格をもっている。とくに、日本国憲法を貫く高度の平和主義は、世界にも例をみない理想主義的、宣言的性格を特徴としている。学者によっては、戦争放棄を規定した第九条をさえ平和宣言≠ニみて、自衛隊違憲論など問題にしない向きもあるといわれる。
 しかし、だからといって、憲法が国の基本法であるかぎり、憲法違反がゆるされてよいはずはない。その意味では「憲法擁護」や「憲法の完全実施」は当然の要求であり、現憲法が存続するかぎり、いやしくも憲法を軽視するようなことがあってはならない。ただ、護憲や完全実施のみを強調して、憲法をあまりに窮屈に、固定的に考えないで、運用に当たっては、もっと幅の広い解釈をとることが実際的であろう。
 とくに現憲法は前述のように、いちじるしく理想主義的、宣言的側面が強い半面、占領下の短期間に起草された事情から、全体にわたって多くの不備や欠陥が指摘されている。それは、護憲論者も認めており、それらの改正が早急に期待できないとすれば、運用面で法の不備を補い、欠陥を是正するほかはないであろう。問題の第九条に関する自衛隊違憲論についてみても、警察予備隊から現在の自衛隊にいたるたび重なる既成事実の積み上げは、憲法上けっして好ましい措置でないばかりか、それは、自衛隊にとって最も重要な士気に関する問題にさえなっている。しかし、それにもかかわらず、自衛隊の誕生と成長が、わが国のおかれたきびしい現実の要請から生じた事実を否定するわけにはいくまい。
 個々の行為についての違憲か、合憲かの判定は、もとより、裁判所の判決にまたねばならないが、自衛隊の存否というような重要問題については、たとえば、野党の代表を含む超党派的な形による政治的解決ができないものだろうか。また、国民の生存権(憲法第二十五条)に関するいわゆる朝日訴訟なども、現憲法の理想主義的側面を、直ちに文字どおり実施すべきだとする考え方を代表する一例といえよう。憲法の完全実施が望ましいのはいうまでもないが、財政その他の理由から、いま直ちに条文どおり実施しえない宣言的条項はこのほかにも多いのである。憲法に対する良識ある解釈と、無理のない運用が望まれるゆえんである。
 
憲法調査会の業績
 内閣の憲法調査会は、八年にわたる現憲法の全面的調査、審議の結果を近く内閣と国会に報告する段取りになっている。調査会の内部にも、改憲論と非改憲論が鋭く対立しており、報告書そのものが、憲法に対するやかましい国論の縮図となるものと思われるが、制定経過から運用の実態にいたる精細な調査、審議の結果は、この憲法の長所はもとより、起草上の欠陥や、条文の不正確、構成の不備などを国民の前にあますところなく明示するであろう。とくに、調査会が全国にわたって行なった「都道府県別公聴会」の記録は、全国の各界、各層にわたる意見を反映して、最も世論的価値あるものということができる。また、地方における労働関係公述人の大多数は、革新陣営の主張を代表しているといってよく、調査会が、中央の調査活動では聞きえなかった主張を補足している点、重要である。いずれにしても、憲法調査会がその全国的規模の調査活動を通じて、広く国民の間に憲法知識を普及し、憲法問題に対する関心を高めた業績は高く評価さるべきであり、近く公表されるはずの最終報告書は、今後国民が憲法問題を考えるうえに貴重な資料となるであろう。
 さて、社会党をはじめ革新陣営のいわゆる護憲勢力は、ことしを憲法危機の年≠ニして、はげしい改憲反対運動を展開しているが、この護憲勢力の憲法絶対擁護の主張にも、率直にいって、いたずらな危機%I誇張と戦術的なにおいが感じられる。共産党の護憲がブルジョア憲法≠フ一時的利用であることは明らかといえるが、社会党のそれにも、いわゆる社会主義憲法≠ヨの過渡的憲法として、現憲法を擁護するという含みと受け取れるフシがあるからである。
 一方、政府はいったい、憲法問題をどうしようというのであろうか。池田首相は、口を開けば「世論の動向を十分に尊重し、慎重に対処したい」というが、この世論にきく≠ニいう常とう語が、しばしば逃げ口上に終わるのは遺憾である。憲法調査会の設置を決めた鳩山内閣は、憲法の全面的改正をさえ企図し、自民党の憲法調査会は、いまなお強い改憲主張を持しているが、岸、池田両自民党内閣は、憲法問題からは終始逃げ≠フ一手で今日にいたっている。改憲論にも十分な理由はあり、擁護論にもそれだけの論拠がある。当面の課題として、われわれはさきに現憲法の実際的運用の必要を強調したが、けっきょく、改憲か非改憲かの選択は、問題の重大性からみて、当然政治≠ェイニシアチブをとるべきであり、政治がいつまでも逃げていることを許さないであろう。


 
 
 
 
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