昭和二十二年五月三日、きょうこそ民主憲法下の日本として出発する、わが国歴史の上に不滅の一ページを加える日が訪れた。かえりみれば、明治の欽定憲法が制定されてから、すでに半世紀余りになる。この間、年とともに●と矛盾とが●されて来た結果として、すでに国家の基本法である憲法そのものに、根本的なメスを加えねばならぬ時期が来ていたのである。それは決して敗戦の結果として甘受せねばならないものではなくして、もしもわれわれが真に歴史の流れにさおさし、人●不断の向上を求めてやまぬ真理と正義を愛するものである限り、自ら進んで根本的改正を行うべきものであった。ここに新憲法制定にも等しい憲法改正の必然性があったのである。またかかる認識があってこそ、新日本建設の礎石としての、民主憲法の発足に対する正しい理解とこれが運用の最善を期する決意と努力が生れるのである。
新憲法の要点が何であるかについては、ここに重ねて説くを要しないが、それは概ね次の四点に集約しうると思う。第一は天皇制を確立したことである。この天皇制は過去の神秘的天皇観を否定して、新たに合理的基礎の上に置いたものであって、統治権の総覧者としてではなく、日本国の象徴、日本国民統合の象徴として天皇を仰ぐことを確認したのである。さらに主権が国民にあることを明確にすることによって、国民こそ政治の主人公であって、世論を主動力として政治の動向を決定する民主政治は、ここに高揚され徹底されることとなったのである。また日本の最大の欠陥は、個性の尊厳を歴史的にも現実的にも自覚しないところにあり、明治憲法はこれが尊重についてはなはだ微力であったことにかんがみて、国民を個人として尊重し、個人の権威と異性の本質的平等を規定するなど、基本的人権の尊重に意を注いだのである。さらに世界にも類例ない規定としてわれらは戦争の放棄、戦力不保持、交戦権の否認を高くかかげたのである。ここに平和を念願し、人間相互の高遠な理想を求めてやまない、われわれの世界平和提唱への、捨身の構えが表明されたのである。天皇の確立、民主政治の高揚、個性の尊重、戦争放棄に、今後日本が民主主義、平和主義に徹した文化国民として出発するものであることを、力強く表明しているのである。それはこれからの日本の国家綱領であり、同時に基本的な国民倫理であるといわねばならぬ。
しかしながら、われわれがかくの如き民主憲法を制定し、その実施期に入ったということだけで、日本が直ちに民主的、平和的、文化的国家になったということを意味するものではない。否それどころか、われわれはいまようやくかかる国家としての門に入ろうとしているだけに過ぎないのである。それには、八千万国民の大いなる努力を必要とする。マ元帥はさる四月二十七日の声明で「最近行われた一連の選挙によって、新日本の憲法を実施するに必要な最後的準備段階は完了した」と述べ「この憲法は世界における最も自由かつ進歩的な国家憲章の一つであり、人類の偉大な精神的改革の一つを意味する、その●は●に新しい時代を画するものであり、このことはまた当然文明の将来にとって、ヴァイタルなものとなろう」と述べて、この憲法施行の意義を強調した。マ元帥はさらに日本国民が新しい義務の遂行に失敗しないことを確信するものとして、四月選挙において自由の維持と個人の名誉の高揚を確立するため、共産主義による指導を断固として排除し、極右極左のいずれにも偏しない穏健な中道を選んだことを指摘している。われわれもまた新憲法の実施について、誤りなきを期待し希望するものである。
率直にいって国民の自由に表明した意思によって、われわれ自身の手で制定した新憲法ではあるが主権在国民という真の民主政治を確立することも、また自己の良心にのみ従うという個性の尊重を確立することも、さらに戦争を放棄してあくまで平和主義に徹して、国家の存立をはかるということも、どの一つ一つをとりあげても、並々ならぬ努力と、不退転の決意を要するのである。かくの如き憲法に規定された条項が忠実に実行され、現実に民主主義国家として、この地上に結実するためには、恐らく相当の年月を要するであろう。しかしわれわれはあくまで、その理想に向って進まねばならぬ。その第一着手として正しい選挙を行った結果を、立派なものとするため、まず次期政権の確立に遺憾なき新憲法の運用を各党に望んでやまない。
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