第1分科会
(7階・鳳の間)
『こんな思いで家族会活動を』
『こんな思いで暮らしています』の体験談を家族会活動に生かすために。
司会者 |
徳島県家連 |
賀家 清 |
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日和佐保健所 |
松本 正子 |
助言者 |
徳島県精神保健福祉センター |
幸田文一所長 |
各県代表・話題提供者
香川県あゆみ会 |
中山 正行 |
愛媛県来島家族の会 |
真鍋 年郎 |
高知県ハーモニー・ホスピタル家族会 |
西内三喜子 |
徳島県阿南那賀地区家族会 |
島崎 房子 |
『こんな思いで家族会活動を』
『こんな思いで暮らしています』
香川県あゆみ会
会長 中山正行
(1)サラリーマンから福祉の世界に入ってのとまどい
(2)一年半の経験を生かし、今後の家族会活動を如何に発展すべきか。
(3)当事者を中心とした作業所運営。
(4)社会への啓蒙、また行政との綿密な協力関係。
「こんな思いで家族会活動を」
来島家族の会 真鍋 年郎
私の所属する来島家族の会は、愛媛県今治市において平成3年に開設して以来ふたつの作業所(来島共同作業所・クリエイト21)を運営しています。
私の長男が中学3年のとき発病し、いろいろないきさつがあって家族会に関わって6年目になろうとしていますが、息子は10年以上たった今も時折、妄想、幻聴が激しく一度も作業所へ行った事がありません。
私は営業の仕事をしている関係で、ほとんどの時間、車に息子を乗せて走っています。家に一人でいると恐怖感、不安感があるからです。良い悪いは解りませんが、その方が私自身安心できるせいでもあります。しかし、その表情、その動作(薬の副作用)などを見ているとたまらなくなるときも往々にしてあります。一緒に暮らしていくうえで、仕事をしているときでも、遊びを楽しんでいるときでも、飲んでいるときでも、全ての生活の中で私の心の奥にぽつんと暗い炎がくすぶっています。消える日はありません。そういう日々の中で、反面自由時間がとれるため、時々作業所に顔を出している程度でたいそうな思いがあって家族会活動をしているわけではありません。
只、関わりの中で見えてきたものがあるとすれば、自分の子供、他人の子供の枠を超えて誰かが当事者に対して声をかけ、声を聞き、その声を伝えていくことではないかと思います。わたしもその誰かの一人でありたいと、そういう思いでできることをできる時間にしているだけです。
そして、私も息子も出来るだけ精神障害を隠さずに生き、声をあげていく。その言動を通して地域の方々に家族や当事者の抱えている問題を知ってもらう。知ってもらうことで差別や偏見は消えていくのではないでしょうか。
来島家族の会も、最近は作業所運営に追われ、会員同士の話し合いさえ十分にもつ時間がなく、また高齢化に伴ってパワーも限界に近づいてきたため法人化を決議し、作業所を小規模授産施設に移行して、運営面は法人に任せて家族会は設立当初の原点に帰り、我々が歩いてきた道と同じ道をたどっている方々の悩みや不安の解消を図り、その人の辛さや苦しみを癒してあげたい。楽にしてあげたい。手を差し伸べてあげたい。ひとりぼっちではなくみんな仲間なんですよ。と言ってあげたい。
今、作業所に来ている家族会の誰もがこういう思いで、時間を作っては、当事者、関係者、地域住民の方々に向き合い、家族会の役割の再確認をしているところです。
こんな思いで家族会活動を
高知ハーモニーホスピタル家族会会長
西内三喜子
私の娘が統合失調症になったのは13歳で中学2年の夏、私がまだ40歳前でした。そのころの私は、統合失調症という病気に関しては何も知りませんでした。初めのうちは、多くの人と同じように、なかなか素直に病気の診断を受け入れることができませんでした。朝、目が覚めたら嘘のように治っているのではないかと思ってみたり、この病気に関して、できるだけたくさんのことを学ばなければいけないとあせっていました。精神疾患のさまざまな兆候や症状を、また心の痛みや苦しみをともに分かち合ってやらなければと思いながらも、自分の、この病気に対する知識のなさや経験不足から、いくら一生懸命頑張ってもこの病気というものは簡単に治るものではないと思うようになるには、何年もかかりました。その間、少し症状が軽減すれば退院させてみたり、短期間の入退院を何度も繰り返しました。その都度、自分自身の無力さをいやと言うほど見せつけられ、そして、それまでの職場を捨て、精神科看護の道に入り、病棟看護を一から学び30年が過ぎました。この頃になってやっと、この病気の人への関わり方が少しずつ分かってくるようになりました。今では私の娘も45歳になります。この病気になって30年が過ぎました。入退院を繰り返した10年間を経て、最後の退院から20年が過ぎましたが、その後一度も入院せず、定期的な通院治療をしながら、午前中は毎日作業所に通い、午後は家事の手伝いをし、自分のペースで生活しています。私も今は病棟勤務から離れ、病院のデイケアで働いています。毎日通ってくるメンバーさんの姿を見て、日々、考えることは、この人たちの将来の事です。親も子もだんだん年をとり、一人暮らしができなくなったときはどうなるのか。そんなことを考えると、夜も眠れない時が度々あります。今の日本の厳しい財政状況の中では、この人たちが地域で生活していくために、各々のニーズにあったさまざまなサービスを受けられるようにしていくためにはなかなか困難だと思われます。グループホームや福祉ホームを充実し、地域で生き生きと生活していけるよう、力を合わせて日本の精神保健福祉サービスをよい方向に向けていくよう、努力をしていきたいと思います。
第一分科会 「こんな思いで家族活動を」
「こんな思いでくらしています」
阿南那賀地区家族会
島崎 房子
1)息子の発病を通して
2)家族会と出会って
3)今、家族会の代表者として思うこと
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