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大阪から江戸へ―3
広重画
東都名所高輪二十六夜待遊興之図
(神奈川県立歴史博物館蔵)
(拡大画面:215KB)
諸国から江戸に入港した船、これから出港する船が高輪(現在の品川)沖に停泊している
 
●江戸は巨大な消費都市
 幕末の江戸は、人口100万人を越える巨大都市で武士と町人が半々であった。当時の関東圏には、とてもこの人口を支えるだけの生産能力はなく、諸国の産物に頼っていた。
 このことを米を例にあげてみると、東北を中心に江戸へ廻送されてくる米は13万t余り、ほぼ人口分の食べる米の量であった。ところが酒や醤油(しょうゆ)などの加工品や日用品は不足し、つねに大阪商圏に依存する割合が高かった。
 幕末までには、関西圏商人の江戸進出により、関東圏の生産能力も向上するが、それを上まわる需要の増大により大阪に頼る割合は増える一方であった。
 
正徳4年(1714)、大阪から出荷された酒・醤油・酢・菜種など各種油類など樽物の合計はすでに1万5000tを上回っていた。
 
豊国画
江戸両国すずみの図
(国立国会図書館蔵)
(拡大画面:228KB)
江戸・両国橋のにぎわいの様子、絵図の左下には「大阪下りもの」の登り旗が立てられている。荷は何であろうか。江戸での下りものの人気がうかがえる
 
Edo, The Large Consumption City
In the end of the Edo Era, Edo had grown to be a great city with a population over 1 million. It depended on North Japan for the supply of rice and on Osaka, for that of sake, soy sauce and other goods for daily use. Barreled goods that were shipped out from Osaka in 1714 were well over 15000 tons and their amount increased rapidly later on.







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