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児童養護施設「島添の丘」における学習ボランティアの活動
 
竹内恒
(福)島添の丘(沖縄県島尻郡大里村)
 さまざまな事情で家庭で暮らすことができない、幼児から高校生までが生活する児童養護施設です。中高校生の自活訓練事業や中卒児童の自立相談援助事業なども行っています。
 
 子どもたちと生活を共にしながら受験生の学習指導、サークル活動の援助、スポーツ指導など行事活動の補助、生活指導などを行います。子どもたちの遊び相手、相談相手ともなります。
 
 児童養護施設「島添の丘」で、一年間ボランティアとして活動する中で、多くの人に出会った。「島添の丘」の職員や子どもたちはもちろん、他にも児童福祉の関係者、地域の人々や実習生などさまざまな人と出会った。その中で私が印象に残っている人の中にボランティアの方々の存在がある。私自身の立場も「島添の丘」のボランティアである。だからこそ、その立場の人に注目してしまう。しかしそれを除いて考えても、「島添の丘」においてボランティアの活動は多岐にわたり、大きな存在である。
 例えば、子どもの文化活動の指導者として、琉球舞踊、三線や英会話があり、以前には空手や生け花などもあった。この多くは村内からのボランティアであり、地域からの支えを感じられた。他にも美化活動を行ったり、クリスマスパーティに子ども達を招待したりするといったイベントとしての活動もある。また、日常的に学習やピアノなどを個別に教える活動も存在する。このようなボランティアは子ども達の生活において大きな刺激になっている。その中で本論文では特に日常生活において学習やピアノなどを個別に子ども達を対応するボランティア(以下、学習ボランティアとする)を中心に見ていきたい。私自身の活動の中心に受験生への学習指導がある。そのため学習ボランティアとの関わりは、自然と多くなる。そこで感じたことは、子どもの中にある学習ボランティアの存在の大きさであり、子どもとの学習の難しさでもある。それは私の活動の刺激にもなり、学習を行う参考にもなった。
 「島添の丘」では、県内大学を始め、専門学校などさまざまな所から実習生を受け入れている。その関係から引き続き、学習ボランティアを行っている場合が多い。他にも学習ボランティアの紹介による拡がりも見せている。学習ボランティアは、基本的に一人の子どもに対して、一人の学習ボランティアがつき、週1回1時間程度、学習などが行われる。しかし、全ての子どもに学習ボランティアがつくわけではない。子どもが学習ボランティアを希望して、学習意欲のあるもの。もしくは、職員から個別の対応が特に必要であると考える子どもにつく。これは、学習を始めるにあたり大きな違いを持つ。前者においては、子どもの意欲もあり、そのため学習を行うことが当然として始まる。そして、その学習の中で関係作りが行われる。しかし後者においては、学習ボランテイアヘの期待はあるが、学習に対する意欲はあまり高くない。そのため学習以前に関係作りが必要となる。ここで学習をしようと考えている学習ボランティアの時、子どもとの意識の違いが大きく、関係が上手くいかないこともある。
 しかし職員が一番求めているのは、どちらの場合においても、まずは学習よりも一対一の人間関係の構築である。施設という枠だけでなく、その外側にいる人と関係を持っことが重要であり、それが子どもの支えにもなるのである。すなわち、学習ボランティアに求められている役割は、学習だけではない。それ以上に子どもとの関係作りがある。また、それ故に学習ボランティアを行っている人は、家庭教師や仕事では感じることのない魅力を感じているのである。
 しかし長く続けていると、時間を割いて毎週来ることは決して楽なことではない。長く続けているボランティアの方になると、来ることに対して、抵抗を感じることも時にはあると言う。一方で来て良かったと思えることもそれ以上にあるとそのボランティアの方は言っている。しかしこのような場合が全てではなく、時に子どもとの関係がうまくいかず、どうすればよいのか悩んでいるボランティアの方もいる。他人との関係作りが簡単にできる子どもばかりでなく、むしろ他人との関係作りが苦手な子どもの方が多いのである。他人との距離がうまく取れない子どもが多く、そのためボランティアの方は非常に苦労してしまう。そのため関係作りで最も重要となるのが、子どもの話を聞くことである。私が一年近く「島添の丘」で活動して、感じたことであるけれども、子どもは、職員の方々の話を聞く機会は多い。しかし、子ども自身が話す機会は少ないように感じる。そのため、自分の考えなどを整理して話すことの苦手な子どもが多いのではないだろうか。職員は、子どもの話を聞こうと心がけている。しかし15人近くの子どもを一人の職員が見ている状況で全ての子ども達の話を聞くことは、どうしてもできない。そのため学習ボランティアとの一対一の関係の中で、子どもの話を聞くことのできる機会を作ることは重要である。もちろん全ての子どもが話をしたがるということではない。そのため子どもが話をできるような関係作りを目指すことが必要なのではないだろうか。これは学習ボランティアだけでなく、私や今後の一年間ボランティアのような施設の中に入ってのボランティアにおいても変わることはない。子どもとの関係作りを行う中で、話を聞かせることではなく、子どもが自ら話すことのできる関係こそが目指すべき関係作りではないだろうか。
 目指すべき関係作りがあっても、それは簡単な事ではない。そのため、受け入れ側である「島添の丘」がやるべき事もあるのではないだろうか。それは学習ボランティアヘのフォローである。具体的には、第一に、学習を行う前にどんな子どもに対して、どういった目的で学習ボランティアを行うのかなどの事前説明である。次に学習場面での資料(参考書・問題集など)の提供である。個々人によって、その要望は変わってくるけれども、教科書に沿った問題集といったある程度の資料はそろえる必要があるかもしれない。そして最後に、学習を行っている間、一定期間での担当の職員との相談である。これは学習ボランティアからの要望であり、学習ボランティアを計画的に行うためにも必要なことではないだろうか。学習ボランティアをより効果的に活用するためにも以上のような対応を「島添の丘」にお願いしたい。
 
 最後に「島添の丘」において、一年間ボランティアは私で9人目になる。2003年で「島添の丘」は19年目を迎え、ほぼ半分の期間にわたって、関わり続けている。これは「島添の丘」の職員はもちろん、子ども達の協力のおかげである。この場を借りて感謝したい。また、私に素晴らしい一年間を送る機会を与えてくださった、全ての関係者の方々、本当にありがとうございました。
 
[24歳/大阪府出身/大学院生(卒業)]
 
支援者としてのこどもへの関わり方について
〜学校現場及び養護施設での体験から〜
井口明日香
(福)調布学園(東京都調布市)
 さまざまな事情により家庭で暮らすことができない、幼児から高校生までの子どもたちが生活しています。また、市と連携して子どもを短期間あずかるショートステイ事業を行うなど、地域との交流も積極的に行っています。
 
 子どもたちの生活の援助が活動の中心です。また、園内にある「どんぐり文庫」などを通した文化活動にも参画します。園には地域の子どもたちが集まるスペースもあり、そこでの遊びを演出する役割も期待しています。
 
 こどもへの関わり方、支援者としての在り方・・・、それは、学校現場と養護施設では多少異なると思われる。それは、子どもにおいて、前者は「教育」の場であり、後者は「生活」の場であるからだ。しかし、「対子ども」という点で、双方に、何かしら共通する思い、大事にしていくべき思いがあるのではないだろうか・・・。
 私はこれまで、どうすれば自分らしいこどもとの関わり方を持てるか、自分は支援者としてどう在るべきなのか、悩んできた。偶然にも、この2年で、二つの現場を見る機会を得たことから、それをふまえて、今後の子どもとの関わり方を少し考えてみたいと思う。
 
 私は、昨年度、小学校で非常勤講師をしていた。その1年を通じて感じていたことは、「教師は、子どもたちに、生きていく術となる知識や、生きる力を引き出すきっかけを与える」ものであり、且つ、「一人一人の社会性とともに、集団を育てる」ものだということだった。
 教師は、一度に30人にも近い子どもたちを相手にする。その上、学校という組織を運営する中で担う雑務や、教材研究に費やす時間のことを考えていくと、どうしても、目の届かない部分が出てくると思われる。実際、なかなか一人一人に目がいかないのが現状だとも思う。
 教師も人間だ。元気がない日もある。気持ちが不安定な時もある。けれど、どんなに辛くとも、気分のままに振舞うことは決してできない・・・、なぜなら「先生」であるからだ。「先生」と呼ばれるに値しなければならないからである。子どもを叱る時も、褒める時も、常に冷静な判断、理性を持ち合わせた上で、言動が成されねばならない。「先生」と呼ばれるからには、彼らが生きるための知識を習得し、その知識をいかに生かすことができるか、そのために、いかに彼らの学ぶ意欲をかきたてる授業を行うか、そして、得た知識を日常生活にどう生かすか教師自らが生き字引となって、指し示さなくてはならないと思われる。教師は、子どもとともに学び、常に世の中の情勢に耳を傾け、新しいことに取り込み、自らを開拓していかなくてはならないとも思う。
 また、社会的動物であるわれわれ人間にとって、集団生活を送るということは、必要不可欠である。集団に属するということは、互いを尊重し、互いに思いやる心が大事である。みなで何か目指す目標がなければ、うまく機能しないものだという気もする。だが、「十人十色」ということわざがあるように、30人の子どもがいれば、30人の性格があり、個性がある。ゆえに、学校という社会、クラスという社会では、まずは教師が軸となって、子どもたちをつなげていかなくてはならないと思う。ゆえに教師には、「こんなクラスにしたい」だとか「こういう子どもたちに育ってほしい」などという明確なビジョンが必要ではなかろうか。教師自身が強い信念を持って、子どもたちにぶつかっていかなければ、曖昧な態度は、子どもたちとの信頼関係をギクシャクさせるとともに、不信感すら与え、集団はいとも簡単に崩れ去っていくだろう。中には、自分と性に合わない子どももいるかもしれない・・・、けれど、そのような子どもをも納得させ、引っ張っていく根気強さ粘り強さ、そしてやはり信念を貫く意志が大切になってくるのではないかと感じられた。
 今年度は、V365の活動を通して、養護施設に片足を踏み入れる経験を得た。養護施設とは、それぞれの家庭の諸事情により、保護者と暮らすことができない子どもたちの生活一般を支援する施設である。施設内では、下は1歳から上は18歳までの異年齢における集団生活を余儀なくされる。施設の子どもたちは、一般の家庭と同様に、この場所で朝食をとり、この場所から登校し、この場所に帰宅し、この場所で就寝する。施設は、彼らにとっての唯一の居場所といえるだろう。入所してくる子どもの多くは、虐待やネグレクトを受けてきた生育歴を持ち、心的外傷を負っていたり、IQが年齢不相応な児童が少なくない。私の半分も年のいってない子どもたちが、とても複雑な境遇の中で生きてきた、いや、生き抜いてきた事実は、私の想像をはるかに絶するものであった。そういう彼らたちが、一般家庭の子どもたちと同じように、笑ったり、はしゃいだりしているのを見ていると、何か切ない気持ちでいっぱいになったこともある。頭が下がるような思いでもあった。だから、たとえ、一般的に問題児と思われる子どもがいたとしても、そのこどもはそういう行動によって自分自身を守っていたり、そうすることでしか生きてこれなかったという彼らなりの壮絶な背景があるということを念頭に置いておかなければならない。まずは、複数の職員において、その子を受け止め、ありのままを受け入れることが、大切なことなのだと痛感した。
 「あるがままに」「わがままに」・・・、それは、子どもたちにとって、自分が認められている感覚。そしてそれは、職員にとっても必要な姿だということも今回初めて知った。本当に、職員の方々は実にユニークな先生ばかりだった。スポーツが大好きな方、似顔絵が得意な方、手芸が上手な方・・・、本当に多種多様で、そういう様々な先生方が一丸となって、みんなで子どもたちを見ている、そんなチームワークを感じさせられた。職員それぞれが自分の持ち味を発揮し、ありのままのステータスで自分らしく振舞い、子どもと関わっていくことは、彼らの人格形成にとって、より柔軟で、いい刺激を与えることにつながるのだと感じた。
 養護施設は大きな家族なのだと思う。本来「家族」とは、血のつながりがあって、ありのままの自分をさらけ出せる場所、無条件に自分が受け入れられる場所・・・(現代ではそう断言することは困難ではあるが)だろう。施設内では、血のつながりはないにしても、もし子どもたち、職員それぞれがどこか緊張していたり、馴染めないでいると、「家族」にはなれないと思う。みんなが一個人として、自由に生活できる空間であるべきなのだと思う。学校が子どもたちにとって、将来を支援するものならば、施設とは、人として生きる上での最低限度のマナーや心を学ぶ場所だと言えるのかもしれない。
 
 このようなことから考えた、私の思う子どもへの関わり方とは、まず、「自分らしくいること」だ。いつも笑っている自分、他人と言い争ったり、けんかしたりするのが苦手な自分、踊ることが大好きな自分、みんなと一緒に何かをすることが大好きな自分・・・、そんなあらゆる自分をそのまま許せる、出せる人であることだ。大人だから、てきぱきと物事をこなさなくては、とか、一瞬で子どもを黙らせてしまう強さが必要だとか、「こうならねばならない」という感覚に縛られないでありたい。無理のかからない自分であり続ければ、こどもと一緒に心から笑ったり怒ったりということが自然とできてくるのではないかという気がする。自ら子どもとともに楽しむことができる、そんな支援者でありたい。
 そして、私が今、人としてこれだけは大事にしなければという信念・・・「自分を愛せること」、そのことを自分の中でひとつの軸とし、それを基盤に、自分もそうだし、子どもたちにもそれを伝えていけるようなスタンスでありたい。また、目まぐるしく変化するこの世の中、何が起こるかわからない・・・、ゆえに、どんな事態にも対処できるような精神的強さを身につけるためにも、常に新しい情報に耳を傾け、様々なものを見聞きし、いろんなことを体験するバイタリティーの持ち主でありたいと、切に思う。V365の活動を終え、やはり一度は教壇に立ちたいという気持ちが強くなった。複雑な家庭環境の子どもも増え、多種多様な子どもたちを前に、自分が教師としてやっていけるのか、今も不安でたまらない。ただ、とりあえずやってみないとわからないという気がしてきた。やってみて、無理ならまたそこから考えていけばいい・・・まずは、自分自身、もっともっと勉強が必要だ。今回、学園の子どもたちを見、強く生きている姿を見て、とても勇気付けられた思いだ。
 
[23歳/福岡県出身/臨時講師(退職)]







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