〔関係者・市民・ボランティア等〕
・「どめくら」という言葉は、障害者本人の言葉を通して表現されているので問題はないと思う。見えない人を通して家族のあり方を訴える作品でとてもよかった。
・「めくら」という表現以外、目が見えない人を対象としていることは差別的とは思えない。
・「女こじき」という表現はどうかと思う。
・「主婦手帳」は「母子手帳」が正しい呼び方と思う。
・真打はすごいと思った。話に引き込まれた。
・目が見えると「見えないもの」の大切さを感じることが出来ない話ではないかなと思った。「夢の中でよく見える」ことよりそのイメージが強かった。
・落ちが物足りない。
・始まりが前回と同じ、違ってもよい。
・視覚障害者曰く「めくらがめくらといって何故わるい」当人はさほど気にならないそうです。
・懇親会の席で「めくらのくせに」というところだけ聞き胸に突き刺さる思いだったが、落語の会話として聞いたらどうなのか、又機会があったら聞いてみたい。
・「めくら」という言葉は失礼と思った。差別とは思わないが。
・夢の中というオチがオブラートになっていて救いがある。
・「どめくら」という言葉がなければ生きない噺である。
・障害を乗り越えて頑張っている。良かった。
・差別とは思わない。それぞれの人の特徴を言葉で表現したものと思う。
・好きな人情噺の一つである。京楽さんの思い入れと考えの深さに感動した。
・眼が見えないから心の暖かさを感じる。現代社会にも云える。見えるが故に欠けているものを考えさせられた。
・円朝の名作、聞けてよかった。
・「どめくら」を「ひどく眼の不自由な」と言い換えると流れや雰囲気が伝わらない。どんなものでしょうか?
・芸の力を感じた。
・お竹さんが美人では噺が面白くない。
・外見の美醜をめぐる差別を感じた。ジェンダーの問題か?しかし問題があるから演じないというのはおかしい。差別は言葉ではなく心の有り様だと思う。
・最後に今までのことがすべて夢の中であった。それは人の生き方で何が大切かを考えさせるものでよかった。眼の見えないということを理解していなければ出来ない落語である。差別問題にむしろ薦める作品と思う。
・視覚障害の方は、風で状況を感じると聞いている。見える人より鋭い見方に聞きながら涙が出た。
・眼が見えているのに感じない人にならないように自戒。
・熱演だった。内容も素晴らしい作品。
・障害を持つ人を美しくえがかないのはむしろ安心感があるが、女性には聞きづらいと思う。時代が違うので工夫がほしい。
その他自由な意見
〔障害者〕
・障害者としても決して恥ずかしくないと思います。社会復帰は恥ずかしいけれど、また同じ会社に行かれればいいと思う。(精神)
・古典落語には障害者に対する暖かな周りの人がいる。暖かな風潮もあった。差別は昔から強かったわけではなく、用語だけ消しても意味がない。(精神)
・言葉は文化、もっとどんどんやって良い。(身体)
・心のこもった落語で入りやすかった。(身体)
・親をうらんだこともあるが、今は生きる甲斐があるので頑張ります。(身体)
・障害を持っているが、面白くて気にならなかった。落語を聞く機会があまりなく誠に有り難かった。(身体)
・落語が好きで自分でも聞きに行く。話術が素晴らしく差別など小さなこと、楽しんだら良い。差別は自分自身が作り出すものではないか。(身体)
・差別、偏見は身近な言葉の中にもあり、どう受け止めるかにかかっていると思う。障害を持つ人、家族がありのまま受け止めることが大切。健常、障害の枠を越えてお互いに思いあっていきたい。(身体)
・自分自身の心の差別を取り除きたい。(精神)
・時間を短く、解りやすい話にしてほしい。(精神)
・これからもどんどん新作落語を作ってほしい。(精神)
・福祉の現状を小学校から高校まできちんとわかる教育をしてほしい。理解していないとき、間違った考え「差別」を生むことになると思う。(精神)
・普段有料なので機会がない。今日は嬉しく楽しめた。(精神)
・京楽さんに落語以上の深い魂に感じ入った。人の心の本来の在り方を学んだ。(その他)
・家族に失明している人がいて、その人に差別用語のことを聞いたら、「めくら」は言って良いが、「ちんば」は言ってはいけない、といっていた。ちょっと分けが分からず、その答えが今日出るかと思ったが分からなかった。こんなにも、差別用語が増えているのは、現在の家族関係が希薄になっているのも要因の一つではないかと感じています。(精神)
〔家族〕
・全体にいえることだが差別用語を意識しては話が面白くなくなる。そう考えるのは差別になるのか?
・今まで聞いたことがなかった。もう少し面白く話してほしかった。
・今の世の中、人を思いやる暖かさが少なくなって、日本人ならではの良さをなつかしく思う。落語の世界ではせめて人情に泣き、笑いたい。この素晴らしい世界をどうか頑張ってほしい。
・生で初めて聞いた。とにかく楽しかった。
・精神障害の作品はどうでしょうか。
・個性を尊重してみんなで助け合い、暖かく見守っていきたい。
・日本の歴史に誇りを持ち、文化を継承し後世に引き継いでいかねばならないと思う。
・是非々々いろいろな場で語り続けてほしい。京楽師匠の暖かいお人柄にひかれた。
・心眼で夢の中で眼を開いたときに見えない。今まで見えていたものが目を開いたときに見えない。思わずうなってしまった。私たちの心そのものであって、心の眼とそれを置き換えてみたとき、私自身も障害を持つ息子を持たせて頂いて、その中で多くの人に出会いお話を聞くことで、その人の心を感じ取れるようになった気がする。差別をなくす問題は、私は必要ないと思う。息子にすべてあるがままの姿と形で付き合っていたいと思う。
・「金明竹」は何度でも聞きたく、心より笑える。
・落語の上では笑いの中、差別用語とは思わない。どしどし昔の落語をやってほしい。
・古典落語はノンフィクションであり差別用語は気にならない。
・差別言葉は言う人の心次第。弱者でもしたたかに生きることが出来ることを教えていきたい。
・久々に古典落語を聞いたが、言葉はその時代の生活背景を知らないと本当の面白さが解らない。現代の感覚ではひょっとすると差別用語とは思わず「そういう落語が上演されている時代があったのだな」と感じているのではないだろうか。
・古典落語を文化の言葉として遺す努力をしてほしい。
・小、中、高の学校教育、又各職場にもこういう会があってほしい。
・古典落語には「めっかち、つんぼ、ちんば」など多数出てくるが、昔は、障害者は地域に根を張りまわりも暖かくケアされていたと思う。
〔関係者・市民・ボランティア等〕
・障害を障害として受け止め正しく理解してゆくことが大切であると考えるが古典落語の世界ではそれが出来ているように感じました。落語初心者としては生意気ですが、すべて作品として残してゆくのがいいと思います。
・差別とは、蔑視の気持ちを言わしめること。人情噺をこだわることもないと思うが、一対一の言葉のやりとりで「ふとっちょ、でぶ」等は問題。バカでもバーカの言い回しはユーモラス?
・今回の作品は全体的に笑える箇所が少なかった。
・作品が重いのでやはりある程度の笑いもないと救われない面もあると思う。
・話の流れの中としてはよく聞いていれば問題ないと思うが(古典として)、しかし「めくら寝ているときだけよく見える」はオチとして愛情がないと思った。
・久しぶりに落語を聞いて気分転換になった。
・人権、差別は気にすればいろいろとあるが今日の程度であれば、深く考えず楽しんで差し支えないと感じる。もっと広く公演してもよいのではないでしょうか。
・落語なのであまりこだわらずにもう一寸笑いのオチがほしい。
・明らかな差別表現をしている落語を知りたい。
・差別ということは自分とは関係のないもの。仲間として共に生きている中では、言葉はどうあっても本人と周りが受け入れている限り差別とは思わない。
・同じ言葉でも愛情表現であったり、差別表現であったりする。それは「言う人」と「言われる人」の人間関係がどのようなものなのかによると思う。
・アメリカでの落語とはどんなのだろう。大変興味深い。これからもご活躍されますように。
・差別を意識すると逆差別が生まれる。楽しいもの、言いたいことを表現できる社会は必要。
・言葉使いに気になる箇所がある。「両親が亡くなった」は親兄弟の場合「死んだ」と表現したはず。
・「身を粉にして」は「コナ」ではなく「コ」が正しい。
・落語は普段あまり聞かないが今日参加して、人権差別ということは全く感じない。用語がなくなれば世の中の差別がなくなる訳ではない。健常といわれる人がどう受け止めて行くか机上のことではない。落語は落語として遺してほしい。
・新作は難しいとつくづく感じた。ストレートすぎて理が勝ち、人物の性格が不明瞭・・・又、あんまり「頑張る」必要はないのではないか。「ありのまま」がむしろ落語と思う。
・今日の作品は全部遺してほしい。
・TVでは見ているが初めての寄席で大変良かった。子供でも聞けました。又お願いたします。
・落語と言う器にどんなものが盛られるか新しい試みに敬意を表する。
・落語には「枕」があるのでそこで差別用語を振っておけばよい。作品の作られた時代を考えればやむを得ない部分がたくさんある。
・内容でなく言葉だけで差別を考え演ずることを控えてはいけない。障害を持つ方の意見を聞きたい。差別用語は相手を見下げる雰囲気が伴うときに問題になる。国民側からは政治上の「国民の皆様」、老人側からは「おとしより」も差別用語と感じる。昔、30数年前「パイロットの方々」の言葉にパイロットから差別だとの発言があったことを思い出した。
・普通に暮らしているので差別に対する実感がなく「馬鹿」も差別であれば日常の中にもいろいろ多いことが解った。
・新作のアベマリアのバックミュージックは今までの落語にはないもので、若い方に充分受けるのではないかと思った。
・古典落語だけではなく小説、映画等の中にも使われている。それらは未来にむけて残っていくのだろう。それと同じで聞く我々のほうが意識すべきかもしれない。
・「表現の自由」と差別用語の自主規制の問題は慎重に検討した上判断してほしい。表現を現代に適したものに変更するときは、その作品の意図が損なわれないように配慮を充分に。古典落語だけでなく戦前の小説、芝居等についての表現も現在からみて差別に当たる表現はあるが、それを全て改めるとニュアンスが違ってくる。
・言葉そのものをただ自主規制する安易な方法は「臭いものにふた」「和をもって尊しとする」に通じる。差別用語だけを消すのは「おためごかし」にすぎない。
・障害を持つものではないのでよくわからないが、女としての差別、仕事上の差別、年齢の差別等いろいろあり、言葉上の差別より心の差別のほうが根が深い。
・単なる言葉狩りは表現力を減じる。
・三つとも子供のころから知っているので改めて差別といわれてもピンとこない。
・「いかけ屋」は児童差別?「代書屋」は文盲差別?「源平盛衰記」は源 差別?人間の立場の差の表現を差別と決めつけてしまうと笑いは窒息する。私の好きなのは「たが屋」だが、あれは殿様差別?アフガン空爆はイスラム差別、原理主義差別ですね?(落語ファン)
・今日の落語はすばらしい。日常的なものではないので差別といわれても考えられない。
・雨の中、足が悪く大変だったが来れてよかった。
・「かぼちゃや」「心眼」は残してほしい。
・事件が起こるとマスコミを通じて話題になるが、日頃からマスコミとのコミュニケーションが必要である。今回の催しはPRしたのだろうか。もっとしてほしい。
・京楽さんの芸に感動、又こういう機会があったら是非聞きたい。
・特に差別を感じたものはない「心眼」ではないが心で聴けばそこには市井の人の人情がある。
・「心眼」が良い。
・良い企画だと思う。
・心暖まる下町の人情が伝わる。下町に住んでいるがまだそれが残っていて嬉しい。差別は心の問題である。同じ人間としての自覚があればなくなると思う。乙武さんが言ったように身長の高低、髪の色、痩せている、肥っている等と同じレベルで考えたい。
落語終了後の懇談会風景
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