おわりに
子供が自分の親を殺害するというような事件も後を絶ちません。家庭の中で、暴力ばかりでなくいのちまでも奪われるという痛ましい事件が起きていることを考えると、現代の家族には一体どんなことが起こっているのかと不安になってしまいます。事件を起こした家族にしても、事件が起こるまでは必ずしも問題がそこまでいっていたとは思っていなかったのではないでしょうか。事件が起こる直前まで、そのようなことが起こることは予測だにできないのです。そうした中で殺人というたいへんな事件が起こってしまう。
当事者は逮捕されて、裁判になっていくのですが、残された家族はそれを受け止めていかなければならなりません。たいへんな状況の中に置かれますが、当然このような経験が以前にあったわけではありませんのでどうしていいかわからないでしょう。このような大事件は年間を通じてもわずかですが、事件が社会に与えるインパクトが大きいために、同じような年代の子供をもつ親たちは相当の不安に陥るのではないでしょうか。そして、いままで経験したことのない状況に直面させられるので、専門家も含めてどのように対応すべきなのか決め手がないのも事実です。さらに、家族は核家族化と少子化、それに高齢化の中で家族のあるべき姿のモデルが見つかってはいないのです。教育改革の重要性ももちろんですが、家族とは何かということについても考えてみる時期ではないかと思います。
では、健全な家族というのはどんなものなのでしょうか。家族の健全性は家族のシステムを正しく機能させますが、家族の変化の中で生じるさまざまな問題や課題を乗り越えて家族として成長することを可能にさせるのです。
健全な家庭というのは、決して完全な家庭ということではありません。完全などということはあり得ないのです。健全な家庭とは、むしろ健全なシステムをもつ家庭といってよいでしょう。
どのような家族が健全なのかということを知ることは、家族の問題に援助を必要としている人のためにも、あるいはアドバイスを与える場合でも、その視点から考えていくことができるのではないかと思います。
家族へのコミットメント
健全な家族の条件の一つは、家族へのコミットメントがあるということです。コミットメントということは家族に「優先権を与える」ということです。
スポーツチームはこのコミットメントがなければ勝負はできません。野球チームは9人で構成されますが、そのうちのひとりが、「今日は試合に出られません」とか、試合中に「用事があるからちょっと抜けます」と言ったらどうでしょう。たとえ家族が病気であってもチームを優先するのではないでしょうか。チームより何か別のものを優先するような人はレギュラースタッフにはなれません。
家族が互いを必要としているときに、「ちょっと用事があるので」と言ってそこにいなければ、家族の一員としては失格なのです。それは健全な家族の姿ではないということです。とくに家族の基本である夫婦のコミットメントは、健全な家庭を築いていく上で基本となるものです。だからといって、夫に対して「仕事より私を優先してほしい」と言って、優先を求めるのが自分の個人的ニーズを満たすためであるならば、それは間違いです。それはたとえ夫婦間のコミットメントのことでも、コミットメントは家族全体のためであって、利己的なニーズを満たすことが優先されるものではありません。また、夫は家族のために仕事はしているのだけれども、ある一定の線を超えてしまうと、それは個人のニーズになってしまい、家族へのコミットメントをしていないということになるのです。
客観的にはどこで線引きするかは非常にむずかしいことだと思います。それは家族によっても違っているからです。チームによってもチームの事情というものがあります。家族の中で、子供がまだ小学生であれば週に一度も父親と一緒に食事ができないというならどうでしょうか。いつも子供が寝てから帰ってくるようでは問題でしょう。1年に1回の学校の父親参観日に、いつも父親が仕事で出られないということならば、それは家族ヘコミットメントしているとはいえませんし、家族が健全な姿であるとはいえないでしょう。子供たちが思春期になって家族と一緒に食事をしないというのも家族へのコミットメントがあるとはいえません。友達と一緒にいることも大事かもしれませんが、家族のそれぞれが家族への優先権を与えているということが健全な家族の姿の一つです。家にはいても自分の部屋に入って、家族と関わらないとするならば、それも家族へのコミットメントがあることにはなりません。
夫婦間のコミットメントというのは、妻が夫を本気で必要としているときに、それをしっかり認識して妻のために時間をとることです。妻の側もわがままからそういうことを言っているのではないとすれば、夫は何を犠牲にしても時間をとるということです。本当に互いを必要としているときには、家族のためにはどんな犠牲も払うということが家族へのコミットメントであると理解をしていればいいということです。
このようなケースがありました。
夫が忙しすぎて、妻のために時間をとってくれないという思いがずっと妻の側にはありました。夫は夜中に帰ってきたり、土日も仕事に出かける。そうでなければ寝ている。これ以上何かを求めたら、夫は病気になってしまうということが妻にはわかるので、妻は夫に何も言わなかったのです。ところが妻はうつ的な状態になって私のところに見えました。やはり夫に対する不満が非常に募っていたのです。
私は、何とかご主人を連れてくるように言ったのですが、妻は無理だと言いました。ところが、夫に自分の気持ちを率直に話したら、夫はカウンセリングに来ると言ってくれたのです。その後何度か見えたのですが、私から妻の心理テストの結果を聞いて、ご主人は相当ショックを受けたようです。ただごとではない、と。
夫は、相変わらず忙しいのですが、意識して妻の話を聞き、年休もとって一緒の時を過ごしたのです。そして妻のほうでも、理解されている、受け入れられているという気持ちが出てきた中で、ふとこのように言いました。「あんなにこうしてほしい、ああしてほしいと思ったのが、いまは仕方がないのだということを受け入れられるようになりました。そうしたら理解されている、聞いてくれているという思いが実感できるようになり、本当に必要なときには必ず聞いてくれるという信頼がもてるようになりました」と。まさにこれが家族へのコミットメントです。
これが健全な家族のしるしです。このコミットメントがなければ健全な家族とはいえません。
以上、健全な家庭を築くカギについて述べましたが、健全な家庭の姿をイメージしながら、個々に生じる問題を家族カウンセリング的な視点で対応するなら、どうしてよいかわからない状況に追いやられている家族も、これまでとは違った何かが見えてくるのではないでしょうか。
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