旧約聖書の“共苦する神”
これはキリスト教に限ったことではなく、もともとユダヤ教の経典である旧約聖書イザヤ書53章には有名な「苦難の僕(しもべ)」と呼ばれるモチーフが描かれています。「神様が苦難を負う僕(しもべ)を私たちのもとに送られる。その人の受けた傷によってわたしたちは癒され、その人の苦しみを通してわたしたちの苦しみが軽くなり、癒される。こうしてわたしたちが自分自身を取り戻す」とあります。
「苦しみを通して神と人が出会い、結びつけられる」という意味では、旧約聖書の中心をなす物語、映画『十戒』で有名な「出エジプト」の物語があります。いまから3200年以上前の出来事ですが、世界中のユダヤ人は今日でもこの出来事を想起するカレンダーに従って、毎年、生活しているのです。
この壮大なドラマの発端は神様がモーセを呼び出して伝えた次の言葉です。
「私はエジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、その痛みを知った。今、行きなさい。人々をエジプトから連れ出すのだ」(出エジプト記3章7〜10節)
人々の苦しみ、痛みに共苦し共感して「どうにかしてあげたい」と思い、積極的にかかわりを求める神の姿がそこにあります。
新約聖書の“共苦する神”
新約聖書のギリシア語に「スプランクニゾマイ」という舌を噛みそうな言葉があります。スプランクとは、腸とか腹のことで「はらわたがよじれる、はらわたがちぎれそうだ」という意味です。文字どおり「断腸の思い」ということです。沖縄では「チムグルシ」、つまり肝が苦しいというそうですが、それにもつながるイメージの言葉だ思います。
実はこの「断腸の思い」は、新約聖書の大事なキーワードのひとつなのです。この言葉が使われている場面を2カ所だけ紹介しておきましょう。
ひとつは有名な「善いサマリア人」(ルカ福音書)のたとえです。ある旅人が強盗に襲われ瀕死の状態で置き去りにされていた。そこを通りかかったユダヤ人仲間の祭司たちは見て見ぬふりをして行ってしまった。結局この人のいのちを救ったのは仲間ではなく、ふだんは仲たがいしていたサマリア人であった、という話です。このサマリア人は瀕死の旅人を見て「憐れに思い(10章33節)」とあります。これがスプランクニゾマイです。断腸の思いを抱いた。共苦した。それが彼を愛の行動に押し進めた転換点となったというわけです。
もうひとつの例は、これまた有名な「放蕩息子」(ルカ福音書)のたとえです。父親にせびった財産を放蕩のかぎりを尽くして使い果たした息子は、豚の餌で飢えをしのぎたいと思うほどになって悔い改め、もはや息子としてではなく雇い人として使ってもらおうと決心し、よれよれの姿で実家を目指します。その姿を遠くに見た父は「憐れに思い(15章20節)」、つまり断腸の思いで、共苦の念を抱いて走り寄り、変わり果てた息子を抱きしめ、接吻をして受け入れてくれたと書かれています。
神を離れ罪を犯した人間に、父なる神はどんな思いでどうかかわるのか。人の痛みを自らの痛みとし、断腸の思いで共苦し、あるがままの姿で無条件に抱きとめてくれる、というのです。
苦しみを契機にして放蕩息子は我に返った。その苦しみを共に担うことで、父親は息子と和解し無条件に受容する。
ここでは「苦しみ」と「共苦」とは、もはや罪に対する罰でも、因果の報いでも、孤独と絶望のきわみでもなく、人と人とを深く結ぶ恵みのきざはしとなっているのです。
それを通して人は本来の自分を取り戻し、他者との深い人格的な関係を回復し、いのちの根源である神と和解する契機を得るのです。
健康−本来の自分を取り戻す
さて、冒頭でWHOが最近「健康」の定義を見直しているということをお話ししました。ほんとうの健康とは「身体的のみならずスピリチュアルにも良好な状態」のことだ、というのがひとつのポイントのようです。
WHOは世界保健機関ですから、保健、医療といった観点からの定義だと思いますが、私もそのとおりだと思います。あえて私なりに言い換えてみれば、「健康とは、心身ともに本来のその人らしさ、自分らしさを取り戻した状態のこと」だといえるのではないかと考えています。
その人らしさを取り戻すことが健康の本質に違いない、と私が考えるに至った経過を、ご参考までに述べさせていただきます。
実は英語の“HEALTH”という言葉が健康とは何かという問題を解くカギとしてとても役立つことに気づきました。調べてみると英語だけではなくゲルマン系の言葉に共通にいえることで、確認しただけでもドイツ語、オランダ語、それにスウェーデン語、ノルウェー語などの北欧語でもそっくり同じことがいえます。
さて、HEALTH(健康)とは何か。その答えは“HEALTH”という言葉の中に明示されているのです。末尾のTHを除くと“HEAL”となります。「癒す」ということです。つまり癒された状態、それが健康の意味内容だということになります。まあ、あたりまえかもしれません。
では、「癒された状態」とは何を指すのでしょうか。実はHEALと同根の言葉を集めてみると答えが浮かび上がってきます。いわば同じ親から生まれた子どもたちですから全員集合してもらえば「健康」家族の全体像がつかめるというわけです。
さて、HEAL、HEALTHのもう一人の兄弟、それはWHOLEです。英語では残念ながら15世紀頃、頭にWがついてWHOLEというスペルになってしまいましたが、もともとはHOLEという綴りだったのです。多分、「穴」のHOLEとの混乱を避けてのことでしょう。
WHOLEというのは「全体」ということです。ケーキ屋さんで、小さく切り分けないで丸のままのケーキを「ホール」と呼んで売っていたりします。欠けたところのない丸のままの全体、それがWHOLEです。
ホーリスティックな医療という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか。近代医学が人間を循環器だ、消化器だ、精神科だとバラバラに分けてしまうのに対しで、人間をひとまとまりの「全体」としてみていくアプローチをそう呼ぶことがあります。この「ホーリスティック」も「ホールとして、全体として」という意味です(ホーリスティックというときはいまでも余計なWをつけずにHOLISTICと書きます)。
これでかなり見えてきました。つまり、癒しとはその人の全体性を回復することであり、全体性が回復された状態が「健康」なのだということになります。
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