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藍染め教室
 現在、アイコウボウのワークショップでは藍染め教室が定期的に開かれ、日本からの参加者だけでなく、現地に住むアメリカ人や日本人も藍染めを体験することが出来るようになっている。
「アメリカで藍染め」というと、なんだか場違いな感じがしないでもないが、藍染めが好きだというアメリカ人はけっこう多い。
 毎回参加者は二名程度ではあるが、一度来れば二度三度と続けて来る人が多く、二度目は友人を連れてきたり、三度目は家族を連れてきたりと口コミで地道な広がりを見せている。
 教室では、だいたい午前中に絞り染めの基礎を学び、昼食を食べたあと自由製作に入る。
 作るものは人によって様々で、初心者はいちばん手ごろなハンカチから始め、慣れるごとにショールやスカーフ、Tシャツやランチョンマットなどを染めていく。また、染めたい材料を持参して参加する人もけっこう多い。
 技術の内容も最初は絞り染めから始まり、回を追うごとに板締め、型染めとプログラムが進むようになっている。
 よくアメリカ人は手先が不器用だと言われているが、藍染め教室に参加する人たちは普段から物作りをしている人が多く、みんな慣れた手つきで器用に作品を作る。だが、まれにどうしようもなく不器用な人もいて、そういう人にはビー玉絞りのような簡単なものから始めてもらっている。
 
藍染め教室で絞り染めをするアメリカ人
 
 また、藍染め教室では藍染めだけでなく、日本食のランチも提供している。
 最近はあちこちに寿司屋が出来、アメリカ人もけっこう日本食を食べるようになってきている。しかし、それでもまだまだ日本食はめずらしい。
 最初の頃はちらし寿司やてんぷら、テリヤキチキンなど無難なものばかりを出していたが、毎回続けて参加する人もけっこう多く、いつも同じというわけにはいかない。アメリカ人の好みなどを考えると毎回メニューを考えるのも大変で、最近はもう私たちが普通に食べるものを出してしまっている。
 これまでにもいろいろなものを出してきたが、なかでもアメリカ人を困らせたのはカレーうどん。アメリカ人は麺を「すする」ということが出来ないので、食べるのに苦労したようである。
 参加者はアメリカ人と日本人が半々ぐらい。意外なことに、地元の人たちよりもシアトルから参加する人たちの方が多い。シアトルは芸術活動が盛んな都市で、藍染めに興味を持つアメリカ人が多く住んでいるからである。
 しかし、シアトルからアイコウボウまでは車で片道三時間もかかる。そのため日帰りだとかなり日程がきつくなってしまう。だからシアトルからの参加者は、アイコウボウに一泊して藍染め教室に参加する人が多い。
 そんな藍染め教室であるが、現在のような形になるまでにはずいぶんと紆余曲折があった。これまで藍染め教室に関わっていただいたいろいろな人たちの苦労の上に、今の教室は成り立っているのである。
 
 一九九八年二月、バンテックという作業所の人たちがアイコウボウを訪れた。
 バンテックとはアイコウボウからいちばん近いアメリカの作業所で、知的障害者と身体障害者が通所している市の施設である。このとき、「日米の障害者の交流」ということでワークショップで藍染め教室が開かれた。
 参加したのは障害者六名とスタッフ一名。アイコウボウに滞在している日本の障害者と共に、簡単な絞り染めを体験した。
 それからしばらくたった九八年の春ごろ、バンクーバー市の施設であるバグリーセンターからアイコウボウに問い合わせがあった。レクリエーションのプログラムとして、バグリーセンターで藍染め教室を開かないかとのお誘いであった。
 私たちは飛び上がって喜んだ。これは願ってもないことである。プログラムとして採用されれば、市の広報誌でアイコウボウが紹介される。アイコウボウと藍染めを多くの人たちに知ってもらうチャンスである。すぐさま私たちは市の申し入れを快諾し、さっそく藍染め教室の準備に取り掛かった。
 会場はバグリーセンターのフロアの一角を使うことになった。藍ガメはそのまま運ぶことは出来ないので、藍(液体)を一度ポリタンクに移して会場に持ち込むことになる。いろいろと道具を買い足したり、染めのプログラムを考えたり、準備は着々と進み、ついに藍染め教室がスタートした。
 ところがである。月に二回のペースで予定されていた藍染め教室。だがふたを開けてみると、驚いたことにたった一度しか実現しなかったのである。それはなぜか?話は簡単、参加者が集まらなかったからである。
 募集は市の広報誌で行なわれた。対象は障害者と一般の人たち。なぜ参加者が集まらなかったのかは分からない。おそらく開催日がいずれも平日だったため、参加出来る人が少なかったのだろう。
 ちなみに、最初で最後の藍染め教室に参加してくれたのはアメリカ人二名。二人はどちらも身体障害者で、車イスでの参加だった。
 そんなわけで、夏の教室が一度しか開かれないという寂しい状況の中、秋の教室はどうするかという問い合わせがバグリーセンターからあった。開催日は前回と同じくいずれも平日。バグリーセンターが平日しか開いていないので、それは仕方がなかった。はたして今度は参加者が集まるのだろうか。不安ながらも私たちは藍染め教室の継続をお願いした。
 しかし、残念なことに私たちの不安は的中した。なんと、すべての日程がキャンセルされたのである。しかもそのあと予定されていた冬の教室もすべてキャンセルであった。惨澹たる結果に私たちはみな目まいを感じた。
 だが希望が全然ないわけではなかった。申し込み者がまったくなかったわけではないのである。
 藍染め教室の最低催行人数は二名だった。つまり、いくら参加したいという人がいても、一名だけだとキャンセルになってしまうのである。そしてどうやら、参加希望者はあったが一名だけだったので中止、ということが何度かあったらしいのである。
「申し込みをしたがキャンセルになった。藍染めをやりたいがどうすればいいのか」という問い合わせが、しだいにアイコウボウに来るようになった。
 それと時期を同じくして、地元の日本語新聞「北米報知」や情報紙「ソイ・ソース」の記事を見てアイコウボウを知ったという日本人から、「藍染めをやってみたい」という電話が入るようになった。
 そうした電話があると私たちはすぐに日程を調整し、臨時の藍染め教室を開いていった。そして、そうした教室がぽつりぽつりと増えていき、藍染め教室は不定期ながらも回数を増やしていったのである。
 藍染め教室が現在の形になったのは、二〇〇〇年に入ってからである。二〇〇〇年二月から新井さんという専門の講師を招くことが出来るようになり、教室の内容は飛躍的に向上した。そして、それにともなって藍染め教室は現在のように活性化していったのである。
 
 藍染め教室のおかげでアメリカ人、日本人を問わず多くの人と知り合うことが出来た。なかでもシアトルの城丸さん、地元のダイアンさんとデールさんにはとてもお世話になった。
 これから藍染め教室がどのように発展していくかは未知数だが、今後も多くの人たちに藍染めを知ってもらえるよう努力していきたい。







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