2. 基調報告要旨
(1)第Iセッション:「日本の自画像」添谷 芳秀
日本は、アメリカ、中国、ロシアと並んで東アジアにおける「四大国」の一角に数えられように、しばしば「大国」としての地位を与えられてきた。しかし、日本外交がアジア諸国から「大国外交」のレンズでみられるのは、その潜在性に懸念の眼が向けられるときである。また、日本人が「大国外交」を語るのは、現状に対する批判としてか、意気込みの表明であることが多い。すなわち、戦後日本外交の実態は、決して「大国外交」ではなかった。
身の丈にあった日本外交とは、決してアメリカや中国のような大国間戦略ゲームを繰り広げる外交ではなく、アジア諸国との「ミドル・パワー・ネットワーク」の形成に汗を流すものでなければならない。それは、アジア諸国との対等な目線から、市民社会を基盤とした関係を強化する外交である。
ただし、そうした外交の大前提は、大国間戦略ゲームを否定するものではなく、日米安保関係を通じて大国間関係に対する軸足を定めることにある。米中関係は、アジアの政治システムを左右する戦略的な重みを持っている。日本を含めたアジア諸国がそこに関与する単独戦略を持つことは不可能である。日本は、米中の狭間にあって、等距離的スタンスから日米中関係をイメージする誘惑は断ち切るべきである。日本とアジア諸国は、多国間協調の前提に立って、同じ視点から米中戦略関係を語れるようになりたい。アジア諸国が日米安保関係を安定要因として歓迎する論理は、そこから生まれる。
「ミドル・パワーとしての日本の自画像の確定は、米国との関係の基本的スタンスを定めるための大前提でもあるが、日本にとってより重要なのは、それがアジア諸国との対話を対等な目線で行うための基礎であるということだ。
そのための最初で、最も重要な対象国は、お隣の韓国である「大国」のレンズで日本をみる韓国の眼差しは、ほとんど韓国の人々の体質となってしまっている。これから北朝鮮をめぐる情勢の変化が加速化する可能性が高いが、その際の日本の対応は、「大国外交」のレンズで見られる限り、韓国国内で実像どおりに受け止められない可能性が残る日本の朝鮮半島政策において韓国との協調があくまで大前提であることが、単なる外交戦術なのではなく、日本の自画像から来る本質的対応であることを、あらゆるチャンネルを通じた対話と交流で分かってもらう必要がある。
今日の東南アジアにおいて、政治安全保障領域での日本に対する伝統的なステレオタイプは、ほとんど姿を消しつつある。しかしながら、日本は、東南アジア諸国が基本的に「域外大国」の一国として日本を捉えようとする習性に対して無頓着になりがちである。そのことに慎重に配慮した上であれば、東南アジア諸国との関係は、アジアにおける多国間アプローチの実践の場として大きな潜在性を持っている。ASEAN、ASEAN地域フォーラム、ASEAN+3などの東南アジア諸国を中核とするフォーラムでの日本の振る舞いは、その意味で重要である。同様に、ASEANとの関係を中核として、「東アジアコミュニティー」の創設に向けてのモメンタムを強調した小泉純一郎首相の政策スピーチ(2002年1月、シンガポール)の今後の実践が期待される。
(2)第IIセッション:「中国の台頭」高原 明生
21世紀はアジアの世紀となる、なかんずく中国の世紀になる―そのように語られた楽観主義はもはや慎重に受け止められるようになっている。しかし、20世紀末から21世紀初めにかけての中国の台頭は、世界史的な事件だと言ってよかろう。アジアの中の日本を考える上で、中国という要因について検討することが一つのカギとなることは間違いない。
今すでに、中国は世界第6位の規模を持つ経済である。世界貿易機関(WTO)への加盟による外資導入と制度改革の促進が、一層の経済活性化をもたらすことも期待される。中国は、グローバル・パワーに発展する過程にある地域大国だと自己認識しているが、確かに唯一の超大国候補として、地域と世界における存在感を日々増大させてゆくものと見てよいだろう。
他方、中国社会が抱える深刻な問題も多い。不良債権が累積し、その処理は財政のツケに回された。その後の国債発行への依存の深まり、構造調整のむずかしさ、社会の老齢化の進行などに加え、環境問題や、地域や階層間の所得格差の拡大も世紀の深まりとともにいよいよ深刻となることであろう。そして社会の多元化と意識の多様化とともに当局は政治改革を迫られる。また、当局はナショナリズムを国民統合の求心力として活用する方針だが、対応を誤らずにそれをうまく統制していくのはやはり容易なことではない。
中国自身が複雑で多面的であると同時に、地域にとっての中国も両義的な存在だ。確かにASEANの国々にとって経済的に競合関係にある中国の「一人勝ち」は脅威となるが、逆に中国資本の受け入れや一部産品の対中輸出についての期待もある。日本の対中認識について言えば、一部に経済的な中国脅威論が生じているが、中国の成長とともに日本の企業も発展している。東アジアのどの国にしても、中国の台頭を活用することが有益であり、中国経済が混乱して政治不安が生じることこそ最悪のシナリオだ。中国崩壊論や中国脅威論をいたずらに唱えることを慎み、中国の実像を把握することが必要である。
中国は、経済発展のために平和な国際環境を確保し各国との協調関係を維持・発展させようとするものの、実際に「独り勝ち」の形で成長を遂げると中国を脅威に感じる声が周辺諸国民の間から出てしまうというジレンマを抱えている。そこで、中国の成長という「資産」から皆が受益できるように、「ウィン・ウィン」を実現する多国間枠組みを形成することによる孤立の回避が図られている。中国自身を含む東アジア諸国と米国との緊密な相互依存関係に鑑みて、米国を含む地域協力の枠組みを重視しようとする現実的な考えも存在する。我々にとって重要なのは、中国国内の政策論争の中で、国際社会との協調をより重視する勢力を間接的にサポートするよう努めることであろう。中国を東アジア共同体の頼れるメンバーとして取り込むことが、グローバルな国際協調とアジアの融和を同時追求する上での重要なカギとなる。
(3)第IIIセッション:「アジアの中の日本」白石 隆
東アジアの地域形成のプロセスは「地域化」として進行した。ではそこではどのような力が作用しているのか。
東アジア地域システムの基本は、安全保障においても通商システムにおいても、アメリカによって作られた。そして現在でも、アメリカが東アジアの安全を保障し、アメリカ市場へのアクセスを保証するということが、東アジア地域システム存続の前提条件となっている。アメリカ化のプロジェクトはその上に実施され、その要諦は、自分たちと同じ言語を共有し、自分たちと同じようにものを考える人々を養成する、そしてそういった人々にアメリカのシステムと基本的に同じようなシステム(国家)を運転させるということである。
これに対し、日本化とは、日本国内における「生産性の政治」の成功と経済成長、産業高度化を前提として、直接投資と総合的経済協力政策のような対外政策によって経済成長と産業高度化と政治的安定を外延的に東アジアにもたらそうという試みであり、またそうした政策的支援を受けて東アジアに進出した企業が生産・流通のインフォーマルなネットワークを拡大し深化していくということである。また「中国化」とは、東南アジア各地における華人コミュニティの存在を前提として、1970年代以降、東アジアの経済発展のなかで次第に力をつけた華人企業が国境を超えて「超国籍(トランスナショナル)」化し、地縁、血縁といった人格的信頼関係を基礎としてインフォーマルなネットワークを拡大、深化させるということである。
こうした力は今日でもなお、東アジアの地域秩序形成に大きな意味をもっている。日本は、アジア経済危機以降、アジア通貨基金を提案し、宮沢イニシアチブを実施し、1999年にはシンガポールとの経済連携交渉を開始した。また2002年には、小泉首相はその東南アジア訪問に際し、日本・アセアン経済連携を提案した。なぜか。日本にとってアセアンの国々の経済的復活が大きなプラスであり、日本・アセアンの経済連携によってアセアンの国々が危機を克服し、持続的成長軌道に復帰できるよう支援することが、この地域に展開する日本企業にとってきわめて重要だからである。
同じことは中国と「中国化」についても言える。中国化は、日本化とは違って、中国モデルと中国の経済力の国境を超えた外延的拡大を意味しない。「中国化」とは、すでに長期にわたって東南アジア各地に定着し「華僑」から「華人」へと変貌していた人たちが、国境を超えてその経済活動を拡大し、それとともに華人のインフォーマルなネットワークも国境を超えて拡大していく、そういうプロセスを意味する。中国の提案する中国・アセアン自由貿易地域はそうしたネットワークで結ばれた華人が国境を超えてフォーマルな制度の障害に邪魔されることなく、自由に経済活動を行えるようにすることをめざしていると考えてよい。
こうしてみれば、東アジアにおいては、最近のさまざまな地域主義的イニシアチブにも関わらず、地域化がこれからも地域形成の基調をなすと考えてよいだろう。
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