第4部 第Iセッション
「日本の自画像」
白石 隆(議長) それでは、時間がまいりましたので早速始めたいと思います。私、この「アジアの中の日本」の座長を務めております白石でございます。よろしくお願いいたします。
今日のワークショップは大きく3つのセッションから成っておりまして、第Iセッションを白石、第IIセッションを添谷さん、第IIIセッションの議長を伊藤理事長にお願いするということになっております。最初に第Iセッションの基調報告を添谷さんにお願いする前に、少なくとも私どもの方で「アジアとの対話:アジアの中の日本とその役割」ということで、およそどういう問題意識で考えたのかということについて、ごく簡単にお話しさせていただきたいと思います。
もうよく言われることでございますが、やはり1990年代の10年を経過して、日本とアジアの関係というのは非常に大きく変化しました。それはごく簡単に申しますと、1985年のプラザ合意以降、非常にはっきりしたことなのですけれども、日本の直接投資と日本の経済協力政策、この2つを車の両輪として、日本が先頭に立って雁行型の経済発展によって地域を引っ張っていくというものです。それでもって東アジアの地域が地域として経済的に発展し、そこで東アジアの国々の間で相互依存が進展して、地域そのものが形成されていく。一言で申しますと雁行型発展モデルとでも申しましょうか、そういうものが明らかに終わったのです。
終わった理由については幾つかございますけれども、大きいのはやはり日本の経済そのものがこの10年停滞していることです。2番目に1997年から98年のアジア危機において、日本語では開発主義と言われておりますし、英語ではディベロップメンタルステイトというのが一般的な表現だと思いますが、そういったタイプ、つまり政治の安定と開発を目的とするような国家の運営の仕方そのものがほぼ終わりに来たということです。それから第3番目に、もちろんこれもよく言われることですが、中国の目覚ましい経済的発展によって、中国が一大パワーとしてこの地域に登場した。こういったことにより、かつての雁行型の経済発展モデルというのは、おそらく終わりを迎え、今、我々は東アジアにおける新しい時代に入りつつあるだろうということです。
とすれば、日本として東アジアの地域形成の中でどういうことをすればよいのか、というのが基本的な我々の問題関心です。そこで、第Iセッションで特に我々として提起したいことは、やはり1980年代から90年代の初めには、日本の経済がおそらくは実力以上に評価され、その結果、政治的インプリケーションとして日本の将来についてもおそらく実力以上に日本が評価されたということです。これは外国においてもそうでありましたし、日本の国内においてもそうでありました。その結果、ひょっとすると日本は21世紀にヘゲモニックなパワーになるのではないかという議論すらなされました。このような、いわば日本の自画像そのものを見直していくことが必要なのではないだろうか、というのが第Iセッションの基本的な問題提起です。これについては添谷さんの方から後ほどお話しいただくことにしたいと思います。
その後、第IIセッションでは「中国の台頭」をどう考えればいいのかということです。日本としては中国とどのようにおつき合いをすればいいのか。それから以上の2つのセッションでの議論を踏まえ、これから先、東アジアの地域形成の中で日本として、あるいは単に日本政府ということではなくて、日本人あるいは日本国民それぞれとしてどういうことを考えればいいのか、どういうことをすればいいか、ということを考えるのが第IIIセッションの基本的な趣旨でございます。
議長があまりしゃべるのも何ですので、早速添谷さんに基調報告をお願いしたいと思います。では、よろしくお願いいたします。
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