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Q:「子どもが大人から尊重されていることが分かる」ということをもう少し具体的に説明してください。
 
ミムジー:子どもがしていることを大人が真剣なものと判断している時です。特別なことでなくても、カードゲームをしている時でも自分に真剣なまなざしを向けられていると感じる時、その子は自分が尊重されていると感じるのではないでしょうか。子どもとのコミュニケーションも自分と同年代の人とのものと同じようにすればいいのです。そういうコミュニケーションをとっていれば、子どもが大人から知りたい事がある時には尋ねてきます。大人同士でも教えて欲しいことあれば相手に尋ねるのと同様です。子どもを尊重しているとお互いの関係性がよく保たれているので、必要な事は子どもの方から尋ねてくるでしょう。
 
Q:では子どもが大人に失礼な事をした時も、大人の友人に文句を言う様に年齢によらず幼い子にも不満を伝えてもいいのでしょうか?
 
ミムジー:もちろんです。私は、犬を子どものように育てようとして失敗しました。というのは犬を育てるのと子どもを育てるのは正反対です。犬を育てる時は人に支配権があると犬にはっきり感じさせるのが重要です。しかし子どもとの関係においてそれは避けた方がよいです。
 
Q:幼い子どもが冗談のつもりやテンションが上がっていたりして、大人をたたいてきたりする時にはどう対処したらいいでしょうか。
 
ミムジー:SVSでは子どもが活発になるように大人がもっていくことがないので、はっきりとした答がわかりません。しかし一般的にそういうことはあるものです。子ども達も大人に対して一人の人間として尊重する態度で接するべきです。大人も子どもを尊重する態度を取っているのですから。
 大人をたたく事があっても、その子ども達を小悪魔のように見るよりは、その子たちにきちんと説明できるシステムを持つ必要があるでしょう。そしてそのシステムの中で自分のした行為に対する見方や概念を作り上げられるようにしていくのが良いと思います。個人的なしつけがスタッフと子どもの間で行われるよりは全ての人が同じ人間として制約される機関を作るということです。SVSでそれは司法委員会にあたります。大人が子どもに「〜してはだめ」と教えるのではなく、その機関がメンバーにそのことを教えていくということです。司法委員会とは大人も子どもも皆そこにいる人が守らなければならないルールを話し合って民主的に決めているところです。つまり、皆が守らなければならないものを決める事に同意することによって、そこにいる人皆が制約を受けます。一個人がうるさいからといって、子どもに静かにさすというのではなく、皆で決めた事に反しているかどうかがポイントです。
 
Q:子どもに「やめてよ」と伝えてもその暴力行為を止めない場合も、全校集会で皆に話すということですか?
 
ミムジー:大人であろうが子どもであろうが「人に対して暴力的な行為をすることは許されていない」ということに気付いてもらうことが大切です。「人に暴力を振るわない」ことは確固たる物で、それを理解するにはSVSでは司法委員会が必要となってきたのです。
 
Q:大人にかまって欲しい、気を引く為に蹴って来たりする場合はどうですか?
 
ミムジー:相手をして欲しければそう話せばいいのです。気を引く為にたたいたり、けったりするという行為は相手にとって受け入れられるものではなく嫌なものですから、こんな行為で人の注意は引けるものではないと子どもも分かっていくでしょう。大人が何かやっている時、子どもも大人を尊重するべきです。子どもが何かやっている時にも大人は子どもを尊重するべきです。大人が子どもを尊重した態度をとることは、子ども達がお互いに尊重し合う関係を作るいい模範になります。
 
Q:子ども達は成長過程にいるわけですから、それに付き合う大人はどのようにして自分の身を守ればいいですか?
 
ミムジー:子どもは長い成長過程を経て成熟していくので、それは長い時間を要するものです。子どもの行動を大人が避けるのは無理でしょう。そこに集まっている人達、そのコミュニティ自体が子ども達に「お互いに尊重し合う」ことを期侍しているのを分かってもらうことが大切です。そういう場所にいてお互いが尊重し合えるようになっていくのです。もちろん全ての子が自由になれるとは限りません。とても低い割合ですが、自分自身に責任を持てない子もでてきます。スタッフが少ないと、多人数の大人が常に持っている感覚を子どもが感じにくいことがあるかもしれません。
 
Q:具体的にはどうリアクションをかえせばいいのですか?
 
ミムジー:「やめて、痛いわ」と相手に伝えます。大人も痛いときは「痛い」、やめて欲しい時は「やめて」と言います。それが自分の気持ちだからです。そして子どもに分かりやすく説明するようにしています。しかし、子どもの中には自分の中にある何かを解決したり満たす為に大人の助けが必要になる、大人と触れ合ったりなじむ事によって自分の問題を解決するといった子もいます。SVSのような環境にはこういった子は適さなくて難しいです。幼い子の場合などSVSに来た当初多くの子どもがいる事、いろんな年齢の子どもが入り混じっている事や子ども達同士でやっていく事に馴染まず、ずっとスタッフにくっついたままの子もいます。四六時中そのスタッフの行くところについていくといった具合です。1、2週間ならいいでしょうが、もしこの学校で自分自身の教育を考えながら自分で成長していくことを考えるなら、それが長つづきするのはよくないです。その子を無視するといったことではありませんが、あまり楽しませるようなことをしない様に私はしています。
 
Q:「自分で自分を律していくこと、自律」について説明してください。
 
ミムジー:自律とは他人の手助けがなくても、どうにか自分自身のことをやっていけることです。経済的なことというより精神的な面においてです。自分がやりたいと思ったことに取り組んでいて、それがとても困難な時に人は多大な自律心が要求されます。例えば一輪車に乗れるようになるとか写真の現像を覚えるとかです。又、人間関係でとても感情的になっている時にそのまま感情的な態度を取るのではなくて、相手を尊重した態度をとる時などにも要求されます。日頃から毎日毎日こういったことは起こっていることではないでしょうか?
 
Q:では、自律心が育つには、まず自分の中にはっきり「これがしたい」というものが芽生えてくることが前提にあるのでしょうか?
 
ミムジー:そうです。最初は自分自身のことがしっかりわかり、そしてそれをやり始めるといった流れの中で自分自身が自分を律していくことになります。自律は自分自身がやりたいことをやることから始まります。
 
セッション3
いかにデモクラティックスクールを作り、充実させたか。
 
ミムジー:親子関係というものは、他の人間関係に比べて全く違うものがあると思います。出産後、子どもは親に完全に依存しなければ生きていけません。親の方も子どもが自立していくように育てても、結局はいつまでもお互いの気持ちの上で支え合っている感覚があると思います。親がスタッフとして自分の子と学校でかかわっていくのは、精神的にも難しいです。今まで培ってきた関係性を一度壊さなければいけないといったことがあるので、お互い他のスタッフとの間に築いていてゆくものとは、同じにはならないでしょう。又、自分の親ではない他のスタッフに自分の親に対するような感情を抱くことも難しいものでしょう。
 家庭にもSVSのような学校のシステムを取り入れるのは難しいと思います。ある何々に従って動いているような感じで、民主主義のような形を設けても、結局は親が子どもを養っているところにおちついてしまうので、子どもにとっても難しいでしょう。例えばお風呂に入りたくない子を親であれば無理に入らせてしまうとかです。スタッフなら、本当は入ってほしいのだけど、子どもの意思を尊重してそれはまかせるということです。
 また、家庭では食事時間が決まっていると思いますが、学校では好きな時間に食べます。家庭では特定の時間を共有できると思います。
 
Q:親子関係だとルールだけでないお互いの関係性の中でその時その時了解して納得してやっていくことがあるということですか?SVSだとルールに従うだけですが、親子関係だとそれは感情的な部分で依存関係があるので、その時々に臨機応変に変わっていくということですか?
 
ミムジー:全くその通りです。
 
Q:逆にSVSのようなシステムとまではいかなくても、対等な人間関係を家庭に持ち込むことに関してはどう思われますか。
 
ミムジー:たまにそういう家族もいるらしいのですが、完全にそれが機能するとは限りません。なぜなら家庭は親自身の住む場所なので、子どもに権限はないわけです。どこに住みたいとか経済のことに関しても結局親の権限になってしまうので、完全に対等にするという機能は果たさないでしょう。それは本当の民主主義ではなく偽りです。偽りであることは、子ども達ももうすでに解っているということで・・・。
 
Q:「自分の子は学校では私には寄ってこない」と言われたのは、学校での関係性と家庭での関係性は違うからで、学校の中で自分を発見するには、親のそばにいない方がいいから子どもはそうしているのでしょうか?
 
ミムジー:子どもは結局親は自分に対し批判的なのだろうと感じていると思います。やはり他の大人はそうではないので、親でスタッフとして学校にいる人達は、そのことを非常に重荷に感じています。でも現実的にはスタッフで、自分がいないと学校の機能・運営が出来ないので、そこに選択肢はなく、学校にいるしかないのです。
 
Q:親子関係は批判的にならざるを得ないのですか?人間本来そうなのですか?
 
ミムジー:はい、そうです。非常に自然なものです。生まれた時から親としていろんなことを言っていますからね。
 
Q:ハンナ(SVSスタッフ)が「SVSでは、雪の降る寒い冬の日に薄着で遊びに行っても服を着ないと風邪をひくよとか、体調が悪いのに服を着なさいとか言わない。子どもはばかではないから自分で服を着る」と言っていました。親だと小さい頃から「着た方がいいんじゃない」とか口を出す関係がありますね。だから学校の中でと家庭の中でと人間関係は違うということですか?
 
ミムジー:SVSについてハンナが言っていることは、私も同じような感じでよくわかります。SVSでは「着なさい」とは言わないけれど、寒い時には「ジャケットが必要なんじゃない、あなたジャケット欲しいんじゃない」というような声はかける。それは自然な人間関係だから、そういうことはべつに言います。とりあえず今言われたのは、私がさっきから言っているのと同じ種類のことです。親としては「あなたジャケット着ないのなら、外に出ないでよ。出たらだめ」とか言えます。しかし、スタッフとして言えるのは「ジャケット着た方がいいじゃない?必要じゃない?」というぐらいのことです。その違いでしょうね。
 
Q:「スタッフは自分をコントロールする術を身につけなければならない」とハンナが言っていました。それは「自分がしたいことに誘いたい」といった衝動を抑えることですか?
 
ミムジー:「子どもの邪魔をしない・押しつけない・指示をしない」ことです。でも、子どもが指示をされていないと感じる、つまり関係性がよくできていれば、何を言ってもいいのではないでしょうか。例えば、その子どもをよく知っていて、「この天文学の本とっても良い。おもしろいから気に入ると思う、読んでみたら」というような投げかけはできると思います。でもあまりよく知らない子には非常に注意をはらった方がいいでしょう。そういう場合に一番いいのは子どもが求めてくるまで応えないことです。
 
Q:SVSを作る時5〜6家族でスタートしたと聞きました。言葉では「子どもの好奇心から学びは始まる・子どもの邪魔をしない」とか同じでも、その認識は各自違うものです。どうやって各スタッフや保護者間で共通認識を作っていたのですか。
 
ミムジー:非常に細かい質問です。たった一言でも、どんな人でも本当に同じ認識の人はいませんね。どんな学校にしても、そこの思想に基づいた学校を建設して構成して行く。人々はいろんな考えの元に、学校として発した言葉がどういうものかを理解しにやってくる。「子どもは好奇心によって学ぶ」という言葉を掲げたとしても、ほとんどの人達は子ども達が授業で受けているような勉強を興味によってやり始めるのではないのだろうかと思っています。しかし、現実は彼らをすごく驚かせました。子どもが自由になることは、学校でやっている授業や時間割りの中でやっているようなことを、子どもが自主的に選んでやっていくことではありません。自由は本当に自由なのです。とりあえず、そういうふうに学校をやり始めても、こういう現実にぶち当る過程で人々は非常に怒りを抱き始めます。結局そういったことでSVSのやり方をしていくうちに大人自身も自分自身のやり方を非常に試されます。学校が始まって構成されて機能を果たして行くうちに、今まで信じてきたものがどんどん打ち砕かれて、信頼してきたものが試されていきます。多くの親が激怒したり文句を言ったりすることもあります。大人は自然な学びを望みながら、一方では子どもを束縛しようとします。ですが、自分の興味にそって進めないことは子どもを大変ビクビクさせてしまいます。
 スタッフも保護者もプロセスの中で学びあっていくのでしょう。他のことも人間は生きていながら学んでいるように、皆学んでいくのではないか。他の人間にも同じような行動を取ることを期待してはいけないと思います。でも、スタッフ同士の間でいろんな意見を交換しあって、様々な意見を出し合うのは大切です。これは非常に大切ですが、大変むずかしいことだと思います。







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