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Number 14, March 2003
Report of Akajima Marine Science Laboratory
みどりいし
[midoriishi]
 
【阿嘉島臨海研究所から】
 研究所では、1988年の設立以来、「サンゴの有性生殖」、「サンゴ礁と環境」など、サンゴ礁に関する基礎的研究に取り組んでいます。これからも国内国外を問わず、いろいろな方と交流を深めながら研究と環境保全のための活動を進めていきたいと思っています。当研究所を研究のために利用されたい方やボランティアとして当研究所の活動に参加をご希望の方は、財団法人熱帯海洋生態研究振興財団・東京事務局までお問い合わせ下さい。
 
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限りのある海の生物資源
滅びの道を走らないために
大森 信
阿嘉島臨海研究所
How to manage marine living resources wisely;the human impact component
M. Omori
 
1. 人口増加に追いつけない陸上の資源
 地球の人口は60億人を超えた。2030年には現在の1.5倍に増え、今世紀の半ばには100億人近くになると予想されている。今日でも人と家畜が陸上の全生物の半分くらいの重量を占め、それらを養うためには膨大な食料と飼料が必要である。
 人口増の主な部分を占める開発途上国の人たちが、私たちと同じような生活レベルを求めて活動を増大するのに歯止めをかけることは困難なので、資源の消費は今後さらに加速するだろう。ところが、世界の食糧生産量は、ざっと見て穀類20億トン、肉類2億トン、乳類5億4千万トン、水産物1億トンで、ここ10年ぐらいの間にあまり増えていない。
 7千年以上にもわたる農耕の歴史を通じて、人類は表土を繰り返し耕し、土壌の生産力を奪い続けることで、生命と文明を育んできた。近代になって化学肥料や農薬が開発され、大型農業機械や品質改良技術の進歩と灌漑面積の増大とが相まって、食糧生産は飛躍的に増大し、人類は飢餓から解放されたかのように思えた。しかし、近代農業は化学肥料の投入を続けない限り、土壌の生産力の低下を回避できないし、農薬が周辺の環境に及ぼす負の影響については、今更述べるまでもなく明白である。
 陸上の総面積148.9ヘクタールの内、32%にあたる47.8億ヘクタールが耕地、樹園地および永年採草地、放牧地である。残りは森林40.9億ヘクタール(27%)と不毛の地(40%)が占める。新たなる農耕地を求めて人類は灌漑面積を大幅に増やしてきた。その面積は20世紀の間に地球全体で10倍強に増加したが、近年に至って蒸発と塩害による農業生産の阻害が顕在化してきている。その最たる例が中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタン両共和国にまたがるアラル海である。1969年代のフルシチョフ時代、当時のソビエト連邦では、この世界第四位の広さであった湖に流入する河川水を利用して、周辺の広大な半砂漠地帯を農地に変える大掛かりな灌漑事業が行われた。事業は順調に進展し、穀物と綿花の生産量を飛躍的に増やしたが、天山山脈の融雪水を唯一の水源とするこの閉鎖湖の水位は、1987年には13mも低下したばかりか、その塩分は当初、海水の1/4程度であったものが海水並みに増加した。こうしてはじめは北海道ぐらいであった湖水面積は60%に減少し、漁業生産は殆ど壊滅した。その上、農地に引き込まれた河川水は、地中の塩分を表土に残して蒸発した。乾燥地域では雨水が塩分を流し去ることがなく、灌漑面積が増えると蒸発量が増加し、塩害は広がる一方である。
 米国でもグランドキャニオンを流れるコロラド河は、下流のカリフォルニア州で灌漑などに使われるために、殆ど海には流れ込まない。昨年は中国の黄河も数回、水が河口まで達しなかった。中央アジアやアフリカからは、家畜の飼い過ぎと干ばつのために永年採草地や牧草地の減少が報告されている。
 工業国に今日のような豊かな暮らしと長寿が保証されるようになったのは、とりもなおさず自然環境を破壊して、土壌や水辺の生産力を奪い、資源を欲するままに費やしてきたからだ。人間活動が増大すれば、環境は劣化する。しかし、ヒトは自然環境を創造することはできない。技術開発によって問題を解決できたと思っても、長期的にみれば、その場限りの解決にすぎず、自然の反作用によって災いをかえって大きくしてしまったことに後で気付くことが少なくない。
 
2. 海ではどうか
 世界の漁獲量は1950年以降右肩上がりで増加した。その伸びは1972年のペルーのカタクチイワシ資源の低下ではじめて止まったが、その後、回復して1990年代には約8000万トンに達し、現在は年間約9000万トンのレベルにある。これにトラッシュフィッシュとよばれ、漁獲後に捨てられる魚1600万〜4000万トンを加えると、実際に水揚げされる海産物の量は年間1億2、3千万トンになる。しかし、最近、世界の漁獲量をリードしてきた中国が国連農業食料機構(FAO)に提出してきた漁獲統計が実際の値より上乗せされていると指摘され、その信ぴょう性が疑われはじめた。もし事実なら世界の漁獲量は1995年頃から既に下降傾向にある。また、FAOによれば、世界の主要漁業海域のすべてで、漁業資源再生能力いっぱい、あるいは能力を超える漁業が行われている。その内9ヵ所は衰退状態にある。こうした実情を反映して、カナダ政府はニューファンドランド沖のタラ漁を禁止し、4万人が失業した。米国もニューイングランド沖の底魚漁を制限した。乱獲と漁場汚染に加えて、最も生産力が高く、産卵や稚魚の育成にとって大切な浅海域を破壊し、消滅させてきた事実を振り返ってみれば、環境の変化に如何に柔軟で大きい更新力をもつ海の生物資源といえども、漁獲量はもうこれくらいが限界であろうし、今ある資源の維持の為に用意周到な管理をしなければ漁獲量はさらに減少するであろうと思われる。
 19世紀末、ヨーロッパではトロール漁業の技術が発達し、漁船の航続距離が延びてグリーンランドの自然氷を冷蔵に利用することが出来るようになったために、北海を中心とした海域の漁獲量は飛躍的に上昇した。こうした漁業技術の進歩はまもなく乱獲による資源減少を招き、各国の資源の奪い合いは深刻な国際政治問題にまでなった。本来は共有物である生物資源を漁獲するという商業行為は、技術の進歩がやがて限られた資源の減少を招き、産業自体の後退につながるというジレンマを抱えている。他の産業では、需要が大きくなればもっと効果的な生産方法を追求するが、この方策は漁業には通じない。
 ヒトは現在、魚を根絶させる能力さえ持っている。この事実に目を閉じることなく、漁獲能力を自然の供給力に見合う水準にとどめることが、私たちの共通の命題である。
 
3. 海洋生態系は陸上生態系とは違う
 「漁業はまだ狩猟時代である。残念ながら農業や畜産業のように、人が作るという文明のレベルにまだ達していない」という指摘を時々耳にする。狩猟の方法は大幅に近代化したが、自然の生産物を「獲る」ということでは指摘のとおりである。しかしながら、これを「つくる」レベルに転換すべきかというと、それは怪しい。現在の海面養殖のほとんどすべては高価な魚をつくるためであって、漁業資源の総量を増やすことには役立っていないし、増加しつづける人口を養うためであっても、養殖によって環境を破壊し、自然生態系を崩壊させることは避けねばならない。養殖業は汚染問題から脱却しにくいし、土地と水と餌料が希少化するために、生産量は年間1300万トン(海藻類を入れると1600万トン)位にとどまるであろうと予測されている。
 漁業が農業や畜産業と違うのは、後者が極端に単純化した人工生態系すなわち田畑や牧場や鶏舎で営まれるという点にある。単純化された生態系の自己維持能力すなわち安定度は低い。肥料や飼料の投入、農薬による競争種や害虫の駆除など、人の手を加えなければ維持はできない。こうした営みは特定の資源生物の生産能力を高めるためには有効であるが、自然生態系を破壊し、化石燃料の大量消費を必然的に招く行為にもなる。今の農業や畜産業のやり方は地球環境劣化を招くことでは、かなり責任を負っている。このことは先に述べた。だから、やがて変更を迫られる時が来る筈である。
 これに対して漁業は自然生態系の中での営みであり、海水とそこに棲むプランクトンや魚類に与えられた特性の上に立った合理的な「自然界と調和した」産業である。もちろん乱獲は論外だが。それでは特性とは何であろうか。それには陸上と海洋の生物群集と生態系の違いに注目することが大切と思う。
 マイワシの資源は、極めて大きな振幅で長期変動を繰り返しており、獲れなくなるとカタクチイワシやアジが増えるというように、魚類は魚種交替を演じ続けている。これが海の自然生態系の実態であって、漁獲の圧力が今日のように巨大化する前から起こっていることが知られたのは、最近のことである。私たちは漁業の栄衰を左右する構成者の増減の要因を明らかにするところまでに至っていないが、この大きい長期変動の事実とそれを予知することの困難さは、水産資源の賢明な利用を考える際のヒントになる。
 
1)海水の特性
 海水の吸光度、粘性、密度は大気に比べて大略3ケタ大きい。従って、海の中は暗く、水は混合しにくく、混合層と下層が温度成層によって分離されやすい。海では植物プランクトンや海藻類が光合成によって有機物を作り、生きものたちの栄養源になるが、明るい光が届き、活発な光合成が行われるのは海のごく表層(有光層とよぶ。一般に沿岸30〜40m、沖合100〜200m以浅)に限られ、そこでの栄養塩類はとぼしい。一方、海水は熱容量が大きいために、温まりにくく、さめにくい。温度の変化は陸上に比べて小さく、伝わりにくいから、自然条件下での生物の反応はしばしばとらえにくい。その上、ある生物に反応が現れても、それが別の生物に影響し、ヒトの目でとらえられるまでには時間がかかる。海での生物現象はまた、複雑な食物連鎖の過程で変質し、場合によっては見えなくなってしまうことも珍しくない。
2)小さな基礎生産者と長い食物連鎖
 光合成によって有機物を作る植物を基礎生産者とよび、作られた有機物量を基礎生産量とよんでいる。陸上での基礎生産者は大型の顕花植物である。体を支えるために幹や枝や根のような硬い組織が必要で、成長は遅い。ヒトは穀類や野菜として基礎生産者を直接食べたり、飼料にしたりしているが、全体でみれば植物体は15%程度しか食べられていないし、繊維質に富むので一部しか消化されない。これに対して、海の基礎生産者は大型海藻類を例外として、微小な植物プランクトンや付着藻類や共生藻類など、何れも単細胞の植物である。希薄な栄養を効率よく摂取するそれらの植物は大きさが1〜50μm程度だから、もちろんヒトが直接利用することは出来ないが、細胞全部が動物プランクトンなどに食べられる。植物プランクトンは体の表面積/体積比が大きいために沈みにくく、ほとんどが原形質で柔らかいので栄養を細胞の全面で直接摂取し、分裂によって短時間で増えることができる。代表的な珪藻は1日に最大2〜3回分裂して、その量を30〜40%増やす。30%とすれば3日でその量は2倍以上になるわけで、この間、細胞は1〜4m程度しか沈まず、光の十分ある有光層にとどまっていることができる。
 しかし、小さな基礎生産者につくられた有機物が、ヒトが食べる魚に達するまでには食物連鎖を通じて多くの動物が関わっている。植物プランクトンを栄養段階1とすれば、それを食べる動物プランクトンは栄養段階2で、さらにそれを食う小魚は栄養段階3である。そしてマグロやカツオなどの魚食性魚類は栄養段階4になるが、餌の少ない海の世界では、特定の餌だけを食べている動物は多くない。かれらは食べられるものは何でも食べる。こうして餌は豊富さや捕まえ易さによって選ばれるから、食うものと食われるものとの関係(食物網)は複雑になる。一方、1つの栄養段階から次の段階に移る時、残る有機物量はほぼ10%であることが知られている。つまり、1尾100kgのキハダマグロには1トンのイワシが餌として必要なのだ。食物網が複雑になり、連鎖が長くなるほど高次の栄養段階に届く有機物量は少なくなり、漁業資源量は小さくなるのである。
 
4. 食物連鎖をめぐって
 ヒトは陸上の基礎生産量の35〜40%を直接的(食料や繊維として)、間接的(飼料など)あるいは生活活動(枝落としや公園の樹木の剪定など)に用いている。これに対して海からのめぐみは基礎生産量の2.2〜8.0%にすぎない。現在の陸上の年間食糧生産量(穀類・乳類・肉類の合計)27億44万トンに対して、海洋のそれは1億トン程度である。この差は即ち陸上と海の基礎生産者の違いと食物連鎖の長さの違いによって生じるものである。
 陸上でヒトは基礎生産者を直接食べたり、飼料にして育てた家畜の肉を食べたりしている。だから、ヒトの栄養段階は2か3である。しかし、マグロを食べる場合、ヒトの栄養段階は5以上になる。従って、仮に基礎生産量が同じとすれば、陸上ではヒトはその100〜10%を食糧にできるが、海では0.1%しか食糧にならない。陸上と海洋の基礎生産量にはそれほど大きな開きはなく、年間の総基礎生産量(炭素重量)は陸上324gC/m2(全地球の67%)、海洋69gC/m2(33%)程度である。基礎生産者の大きさが比較にならない位違うのに、どうして全体の生産量にそれほど差がないのだろうか。それこそ植物プランクトンが短命だが成長が早く、短時間の内に次から次へと増えるからだ。これを表す値であるP/B比(生産量/生物量比)は陸上植物で0.5〜2.0だが、植物プランクトンは100〜300に達する。
 基礎生産者のサイズが大きくて食べられ易ければ、食物連鎖は短くなり、大型魚食魚までの栄養段階数が少なくなるから後者の資源量は増える。それでは植物プランクトンの大きさを決める要因は何だろうか。簡単に言えば、栄養塩類の量と海水の擾乱である。栄養豊かな海では大きなプランクトンが増えるが、光の届かない深さにすぐに沈んでしまっては何にもならない。大きな植物プランクトンが有光層に長時間滞っていれば大増殖につながるし、動物プランクトンの豊富な餌になる。それを助けるには絶え間ない海水の上向きの流れが必要である。
 この条件を満たす海は、深層から栄養塩類の豊富な水を有光層に絶えず供給している沿岸湧昇域である。世界の漁獲量を左右する位のカタクチイワシ(アンチョベータ)の獲れるペルー沖を筆頭に、漁獲量の大きい水域は沿岸湧昇域に集中し、そこからの漁獲量は世界の全漁獲量のほぼ45%を占めている。しかし、海全体で湧昇域が占める面積はたった0.1%程度にすぎない。残りの45%は、季節的な海水の擾乱が海底から栄養塩類をもたらす沿岸域(大陸棚上)で漁獲されている。沿岸域の面積は全海洋の9.9%位なので、湧昇域を加えても人類が頼らねばならない「食糧資源の海」は全体の10%程度にすぎない。ヒトの生活との接点がもっとも大きく、人間活動の影響による環境の劣化がもっとも懸念される沿岸域こそ、その保全に取り組まなくてはならない場所なのである。
 
5. クラゲの海を増やしてはならない
 陸上では成長が遅くて組織が硬い大型植物による光合成生産物の多くは枯葉や排泄物になって表土に堆積し、細菌類に分解されたり、腐食動物に利用されたりする。つまり高次の栄養段階まで食う食われるの関係でつながる生食連鎖とは別に、食われなかったり消化されなかったりした有機物を起点とする微生物連鎖が大きく働いている。一方、海では、生食連鎖が物質循環の主な役割を果たしていると長い間考えられてきた。しかし、外洋では動物プランクトンに食べられないほど小さい植物プランクトンが分解したり、また、沿岸では富栄養化によって異常増殖した植物プランクトンが海底に沈んで従属栄養バクテリアや原生動物の栄養になっていることがわかってきた。大型動物が利用できないバクテリアや原生動物は分解経路に回ってしまう。つまり私たちが必要な漁業資源につながらない微生物連鎖ができるのだ。
 こうした微生物連鎖を利用してクラゲやクシクラゲの仲間が繁殖する。地球の海に魚類よりはるかな昔に出現し、永い進化の歴史を持つ刺胞動物の食性は幅が広い。カイアシ類を主とする動物プランクトクシは櫛状の繊毛をそなえた摂餌器管で餌をふるいにかけて食べるので、利用できる餌の大きさが限られるが、クラゲ類は触手と体表を流れる粘液と木の根のように広がった水管の吸口でもっと小さなものから大型動物まで餌にできるようだ。クラゲ類は魚卵や稚仔動物プランクトンも食べてしまうから、大量に増えれば魚は減少する。また、動物プランクトンが減れば、植物プランクトンが余って、微生物連鎖が勢いを増す。このストーリーは科学的に完全に検証されてはいないが、今後、人間活動による富栄養化と栄養塩のバランスの変化が微生物連鎖による物質循環を加速し、生食連鎖を支えるカイアシ類動物プランクトンや魚類が減って、沿岸はクラゲの海になると予想する研究者もいる。
 
6. 海の再生:資源を増やすために
 水産業が農業のアナロジーでないことは明白である。農業では基礎生産者の選択ができるし、単純で短い食物連鎖を通して効率よく家畜を増やせる。基礎生産量は土壌を賢明に管理し、施肥をすれば増えるから、ある程度までは生産力を維持することができる。しかし、海ではそうはいかない。施肥(栄養塩類の増加)で基礎生産量を増やしても、ヒトはまだ基礎生産者や動物プランクトンの種構成さえ決定することはできないから、思うようには魚を増やせない。漁業資源は基礎生産者の質量だけでなく、複雑な食物連鎖網を経て高次の栄養段階に至る間の有機物の流れによって決定される。これが海洋生態系の特性なのだ。そして、その調節や管理には私たちはまだ無力である。繰り返すが、海の生産過程はヒトが計画し、すべてを管理できる陸上の温室栽培のような人工的プロセスではない。現在の海洋科学のデータ収集のレベルでは、生態系モデルが複雑になればなるほど、多数の要因が組み合った生物現象や結果を正確に予測することはまだ難しい。先に魚種交替の例をあげたのはそのためである。
 乱獲による漁場の劣化と水質汚染、そして資源育成の場である沿岸域、特に河口や藻場やサンゴ礁やマングローブ林の破壊が水産資源の将来に大きい影を落としている。黒海では魚類の乱獲が、外来種であるクシクラゲの大発生を招いた。水産学者のDaniel Paulyらは乱獲によって世界の漁場から大型魚が姿を消し、漁獲対象が次第に低次の栄養段階に移りつつあることを示して、漁業の未来に赤信号を出している。私は技術が進めば、将来は外洋の広大な空間を利用してもう少し資源を増やすことが出来ると思う。しかし、外洋生態系に手をつけて大幅な食糧増産を考えることは研究課題としてきわめて重要であっても、今は砂漠を緑にするより難しい。それより豊穣の海である沿岸域をこれ以上破壊してしまうことの愚かさを反省し、自然環境の修復と人間の管理への努力をする方が大切だと考える。繰り返すが、ヒトは自然を創造できない。自然の創造を邪魔しないように配慮しながら、海の恵みを利用するのがもっとも賢明な生き方である。
 世界中で漁業をしている人の数は1300万人と推定される。そして総漁獲量は年間1億トンぐらいが限界のようだ。熱帯のサンゴ礁で働く貧しい漁民の水揚げは年々減少している。そこでは禁止されているダイナマイト漁がまだ行われている。誰もがサンゴ礁の大切さを知っているが、そうでもしなければ、通常の方法ではもう魚が捕れないのだ。沖縄のサンゴ礁でも、潜ると10年ほど前に較べて明らかに魚影が薄くなり、大きい魚を見ることが少なくなった。
 多くの人々が云う唯一の解決策は漁船と漁民を減らすことである。しかし、そればかりではあるまい。かつて東南アジアやオセアニアの漁村には、漁場の輪番制とか漁獲の均等分配という共同社会的な制度が普通に見られ、漁場と資源が守られていた。西欧型資本主義経済の導入で、それらの地方で人びとが培ってきた賢い生き方と伝統はもろくも潰えてしまったが、今、もう一度それらを見直そうとする機運がおこりつつある。駿河湾のサクラエビ漁では、共有資源を護るためにプール制(収入均等分配制)を30年も前に取り入れて、狭い湾内の限りある資源を際限のない漁獲競争で根絶やしにしてしまう危機を回避した。漁場の魚の生活史や食物連鎖網を調べて、禁漁区域(保護水域)や禁漁期間を設けることは有効だろうし、「たとえ科学といえども不確かさがあり予測に誤りが少なくないことを認めて、最終的な決定は倫理的な判断に裏打ちされたものであることが望ましい。」と考える予防原則を法規や合意にとり込むことも資源保護に役立つ。
 海の生物資源が有限で、しかも私たちはほとんど限界を超えるところまで利用してしまっている。そうした現実を直視しないで、当てにならない経済と技術開発と未来の人類の英知に期待するという生き方は、「沈みゆくタイタニック号のサロンでブリッジを楽しむ人々」を思わせる。







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