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特集 緩和医療と宗教
仙台近郊圏における「お迎え」現象の示唆するもの―在宅ホスピス実践の場から―
清藤大輔 板橋政子 岡部 健
 
 当院でこれまでに経験した在宅死患者の臨終間際では、物故した両親や祖父母の姿を見る、会話をする、美しい花畑の光景を見る、といった体験を語る言動が少なからず認められ、家族はそのような場面を「お迎えが来た」と表現していた。そして、「お迎えが来た」患者の最期は非常に穏やかな印象であった。こうした事例の実態を把握するため、患者の死後家族に対し「お迎え」に関するアンケート調査をおこなったところ、約7割が「お迎え」が患者に認められたと答えた。また、当院外来患者の聞き取り調査では、「お迎え」証言の背景をなすと思われる先祖信仰型の死生観が地域レベルで存在する可能性が示唆された。末期癌患者の地元の死生観文化と、自宅での穏やかな最期との関係は、日本型ホスピスのあり方を探り、在宅ホスピスの射程を測るうえで、今後も実態を調査し、学際的かつ多面的に検討すべき重要なテーマであると考える。
 
KIYOFUJl Daisuke, ITABASHl Masako, OKABE Takeshi/医療法人社団爽秋会岡部医院
 
KEY WORDS
「お迎え」
死生観文化
在宅死/病院死
在宅ホスピス
日本型ホスピス
 
はじめに
 本稿の共同執筆者の一人である岡部は、1997年5月に在宅ホスピスケアを中心におこなう「岡部医院」を宮城県名取市に開業して以来、仙台市内およびその近郊で三百数十例の末期癌患者を自宅で看取ってきた。それらの患者の診療経験を通じて、岡部は少なからぬ患者が、臨終に際し古来「お迎え」とよばれてきた現象を体験しているのを観察した。この「お迎え」現象(以下主として単に「お迎え」とだけ表記)の実態を把握するため、岡部は患者の死後、家族に依頼して「お迎え」に関するアンケート形式の実地調査をおこなった。その結果、1〜2割という当初の予想を上回り、約7割の家族が、患者に「お迎え」があったと感じた、と回答した。岡部はまた、「お迎え」が来た患者はほぼ例外なく非常に穏やかな最期を迎えたという印象をもったという。これらの調査結果や経験的印象から岡部は、「日本人の個人が潜在的にもっている死生観は、死ぬ間際に浮かび上がる」という仮説を立て、「日本人は基本的に無宗教であり、祭礼に際してのみ何らかの宗教儀礼を利用する」といったこれまで多くの病院従事者が暗黙裡に前提としてきた1)2)、日本人観、および「スピリチュアル」な領域にキリスト教や仏教の枠組みのなかで対処しようとするかのような既存のホスピスケアのあり方の両者を、とくに死生観に関しては見直す必要があるのではないかと考えた。
 死が病院へ集約化されはじめたのは昭和30年代に遡ると思われる。それ以前、「在宅死」はむしろ普通だったのであり、家族は患者の最期の時間に立ち会い、看取っていた。死後の患者の扱いに関しても、多くは地域文化や地元の宗教の共同性を反映しておこなわれていたのであり、死に方の多様な文化が家族や地域の世代間で受け継がれていた。そこに、個人の死が病院に吸収され、たとえば死亡直前には医師の形づくりの救命処置(心臓マッサージなど)のために家族は病室から出なければならず、死後も、看護婦によって「死後処置」(清拭、更衣など)が施され終えてからはじめて家族は患者の遺体と面会することができる、といったケースが増加した。死後処置は、宗教的差別をしてはならず、宗教的に中立な対応が必要な病院という公的施設の脱宗教的性格を反映した、人工的儀式としての側面をもつ。一般に公的病院では、死生観の多様性に即した細やかな対応はいわば構造的に禁じられているのが現状である。このように、「最期の時間」が家族から病院内に隔離されたことが、家族や地域の死生観文化に与えた影響は小さくないと考えられる。
 したがって、このような再検討は、上記のようなこれまで大多数の病院従事者が抱いてきた素朴な日本人観を前提したかのような既存の非宗教的な終末期病院医療や、キリスト教や仏教的色彩の濃い既存のホスピスケアを見直し、これらを一旦括弧に入れ、死生観文化の実態調査とその学際的かつ多面的な検討に立脚した、いわば日本型ホスピスケアのあり方を確立する一歩として寄与するのではないかと考えた。同時に、そのためには最期の時間を家族に提供できるという在宅ホスピスの環境のもつ可能性をも、多面的かつ十分に考慮せねばならないことを強調すべきであると考える。
 この仮説を検証するために、現在当院では地元住民の死生観文化のあり方を調べる目的で、外来患者を対象にして死生観に関する聞き取り調査を開始し、継続中である。
 本稿では、まず、在宅死した患者の家族を対象とした「お迎え」に関するアンケート調査とその結果について報告し、そこで浮かび上がった臨終期の患者の言動から示唆される死生観について若干の考察を加え、つぎに、個人の死生観の背景にあると考えられる地域の死生観文化について、現在当院外来で実施している聞き取り調査の途中経過を報告し、暫定的な考察を加え、最後に、日本人が潜在的にもっている可能性のある先祖信仰などの死生観や、それにもとづく日本型ホスピスケアのあり方について、現時点でのまとめを示してみたい。
 なお、本稿では「お迎え」の何であるかの定義的検討はあえておこなっていない。それは、「お迎え」とは、患者の言動を本人や家族が形容した呼称をそのまま採用したものだからであり、本稿の目的が「お迎え」概念そのものの検討をめざすのではなく、「お迎え」という言葉が実際に用いられた場面での患者と家族の言動を鍵に、そこから示唆される死生観に焦点をあてた検討をめざすものだから、である。
 
1. 「お迎え」アンケート調査について
1)背景
 「はじめに」で述べたように、岡部はここ数年来、在宅ホスピスケアの実践を通じて少なからぬ頻度で観察された、患者の臨終間際の特徴的な言動に注目し、それらの言動から示唆される死生観が、じつはこれまで多くの病院従事者によって暗黙裡に前提されてきた「葬式宗教」的な日本人の死生観や、既存のホスピスの枠組みとなっているキリスト教や仏教の教える死生観とは異なる可能性を疑った。そこで、まず岡部が観察したこれらの「臨終間際の患者の特徴的な言動」を4例サンプルとして示し、調査を開始するきっかけとなった背景として述べたい。
 
(患者1)W氏、70歳代後半、男性
 亡くなる1週間強前、岡部が患者の自宅で診察中に、W氏は壁を指さして「先生、あそこに、戦艦陸奥に乗っていて呉で爆沈された兄貴が見えるよ。何にも言ってくれないんだ」と言った。岡部が、「私はちゃんと見えるの?」と尋ねたところ、「先生のことはわかるよ」と答えた。そこで、ほかのことは正常に認識しているうえでの言動であると考えられた。
 
(患者2)O氏、32歳、女性
 O氏は脳腫瘍で失明して以来、「校庭で遊んでいる」などの夢をよく見ていた。このように1日中ベッドで横になって、現実は「暗闇のなか」なのに対し、夢は「カラー入りでリアリティーがある」ため、本人にとっては夢のなかのほうが現実的なのだそうであった。岡部が「ラジオを聞いてご覧なさい」などと現実との接触を保つように指導をしていたところ、0氏はある日、「夢におじいさんが登場した。『こっちに来い』って言われたんだけど、「子供がまだ大変なんだからまだ行きたくないよ。だから行かないよ」って言って追い返しました」と言った。O氏は、その後3〜4ヵ月ほど存命した。
 
(患者3)T氏、82歳女性
 亡くなる数週間前、自宅の2階で寝ていた丁氏のところに、娘さんがトントンと足音をさせて2階に上ってきた。すると丁氏は、「今せっかく私の父ちゃん、母ちゃんがここに来ていたのに、お前の足音で消えてしまったよ」と言った。
 
 以上の3例は、岡部が在宅ホスピスの診療を開始してまもない時期での経験であった。それ以来、岡部はこの初期の経験をもとに、「もうだめだ」とか「もう死ぬ」と言っている患者との日常会話のなかで、いわばコミュニケーション・ツールとして、「お迎えはもう来たの?」「まだです」「じゃまだ行けないでしょ」という表現を取るのを習慣にしていた。そんななかで、つぎの第4例のような事例を経験することが増えた。
 
(患者4)I氏、79歳、男性
 亡くなる1週間前に、患者は岡部に、「先生、『お迎え』が来たから私はもうあと3日だね」と言った。患者は、その後1週間で亡くなった。
 
 岡部はこのように、「お迎え」という表現を使って患者との日常会話をすることによって、患者自身が自らの死の準備をする覚悟を決める契機を提供できるのではないか、という心証を強くするようになった。
 
2)目的
 当院在宅ホスピス患者の「お迎え」体験について調査し、その結果をもとに死生観の文化的背景を考察することを目的とする。
 
3)方法
 当院で経験した244名の在宅ホスピス患者を対象として、「お迎え」が患者にあったと家族が感じたかどうか、あればその内容は何かなどの質問からなる10項目のアンケート用紙を作成し、患者の死後家族に回答を依頼した。
 
4)結果
 表(1)〜表(5)に示す。
 
表(1)「お迎え」という言葉を知っていますか?
知っている: 102名 73.9(89.5)%
知らない: 12名 8.7(10.5)%
白紙・無記入: 24名 17.3%
 
 
表(2)「お迎え」を感じる場面がありましたか?
あった: 76名 55.1(69.7)%
なかった: 33名 23.9(30.3)%
無記入: 29名 21.0%
 
 
表(3)「お迎え」の具体的内容は?(76名中59名が具体的に回答)
(1)先祖や知人に会う・姿を見る・話す・探す 21名 36%
(2)昏睡・呼吸の変化など体調変化 20名 34%
(3)「もうすぐ逝くからね」と自ら覚悟を語る 6名 10%
(4)呼びかけても返答しなくなった 5名 8%
(5)家族に感謝の気持ちをあらわした 3名 5%
(6)花畑が見えると語った 2名 3%
(7)その他 6名 10%
無記入 17名  
 
 
表(4)「お迎え」があった時期はいつですか?(76名中70名回答)
(1)死ぬ1年以上前 1名 1%
(2)入院中 1名 1%
(3)在宅移行直後 5名 7%
(4)在宅中ずっと 6名 9%
(5)死期が近づいたとき 40名 57%
(6)死亡直前 17名 24%
(7)死後 4名 6%
無記入 6名  
 
5)考察
 このように、先祖との対面を内容とする「お迎え」が高頻度であったことから、岡部と清藤(以下「われわれ」と略)は、個人的な「お迎え」体験は、本人や家族の死生観、ひいては地域に受け継がれてきた先祖信仰的な死生観をなにがしか反映した内容を表象するものではないか、という印象をもった。また、家族が「お迎え」から連想する事柄のパターンは、回答の7割の共通項として、おもに「あの世/この世」の2世界構造にもとづくものであったにもかかわらず、興味深いことに、「お迎え」で連想される「あの世」というのは、必ずしも「天国」「極楽」「地獄」「黄泉」「輪廻転生」など仏教やキリスト教などのいわゆる「創唱宗教」3)、の教義から連想される「あの世」のことではなく、むしろ単に、先祖や物故した知人あるいは仏様や神様が患者を「迎え」に来るという程度のイメージを内容とするものであり、はっきりとした「あの世」のイメージと結びついているのではない回答が最多であったという事実である。この事実から、われわれは、日本人が臨死期に浮かび上がらせる平均的な死生観は、必ずしも無宗教的であったり、あるいは仏教やキリスト教の教義だけから分析できる内容ではない可能性があるという心証を強くした。
 そこでつぎにわれわれは、あの世に抱くイメージや、身近な「お迎え」体験の有無、「お迎え」の示唆する死生観などのテーマをめぐって、地域では実際にどのように考えられているのかを実地に聞き取り調査をして、地域住民の死生観に関する生の声を把握する必要を感じた。







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