■鹿児島県
(1)町口 義登
●造船はできない。
年齢:昭和4年生まれ
経歴: |
昭和25年21歳で牛深の藤木多市(造船)へ弟子入りし5年間修業した。昭和28年に結婚し阿久根造船に移った。その後、長島町に帰り、農業をしながら船大工小屋をもたないで(土があればどこでも)造船してきた。15年くらい前にFRPもやった。「もう目が見えんようになった」ので造船できない。 |
船種: |
キンチャクの船 イワシをとる巻網船団の船。 母船(15〜20t)これはダンベともいった。 火船(10〜15t) サツマミヨシ 全長7m(21尺)、幅1.5mカワラ幅2尺 |
船材: |
スギ・地元長島のスギ。天草のスギが良い。 釘・牛深の中村船具店 |
直近造船: |
7〜8年前(平成6〜7年頃)1トン位の漁船を5隻造り、今も漁港にある。操業している。 |
調査者:石原 義剛
(2)岩塚 司
●造船できる。
年齢:昭和6年生まれ
経歴: |
15歳の頃、明治36年生まれの父・市左衛門に最初習った。3ケ月ほど枕崎の船大工養成所へも行った。(帰りは枕崎から歩いて帰って来た)その後、父とともに長島、阿久根、川内、枕崎、串木野、甑島などの大小の船を造った。FRPはこの地で最初に昭和50年頃やった。「飲んべい司といわれたよ」と自負するこの人は豪快で、注文さえあれば木造をやるという。 |
船種: |
運搬船 100t 客船 牛深と蔵之元航路の船 長キールで35尺 テンマ 真珠作業用(三重の山勝真珠が来た) カワラ15、6尺 |
船材: |
スギ・長島一円。獅子島では牛で海岸へ出した。 釘・天草の鬼池に鍛冶屋があり、これが最良だった。 |
調査者:石原 義剛
(3)遠矢 和幸・孝幸
●造船できる。
年齢: |
和幸・昭和24年生まれ 孝幸・昭和28年生まれ |
経歴: |
兄弟でともに父・遠矢聡について子供の頃から鍛えられた。最初の頃は小さな木造船を造った。弟24歳(昭和52年頃)FRPに転換した。 昭和40年頃、伏木の船を木造で建造した。 |
備考: |
この地方でよく名を聞く船大工・大倉八郎の孫にあたるらしい。 父親の使った木造船時代の船材や道具が残っている。 |
調査者:石原 義剛
(4)橋口 昌市
●造船できる。
年齢:昭和7年生まれ
経歴: |
昭和22年15歳頃、叔父の橋口義基(昭和24年60歳で船大工をやめた)について習った。昭和25年に阿久根へ行き、大倉造船(大倉八郎)へ入り、製図場を担当した。8年後の昭和33年に串木野の岡下造船へ移った。10年やって昭和43年にやめた。昭和48年から火力発電所に勤めたが、その頃もぼちぼちとカワブネを造っていた。(昭和40頃からカワブネを造る) |
船種: |
サツマガタフネ(4〜5隻造る)サバ釣、カジキ(秋太郎)釣、全長35尺(カワラ32尺)幅7〜7.5尺 櫓帆 5〜5人乗り 各種漁船・運搬船 47t〜70t〜120tまで造った。 カワブネ 川内川の河口での漁用 全長20尺、幅3尺位(サクブネとも言う。農作業用のこと) |
船材: |
スギ・地元、阿久根の杉は光があった。 釘・古くは黒釘で地元。あと広島の亜鉛がけ。 |
調査者:石原 義剛
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